佐賀町日記

林ひとみ

宮崎の青島

6月の満月の頃、

宮崎の青島へ旅をした。

ひょいと3日間、

自由に動ける時間ができたので、

直前の思いつきで西へ向かった。

日向国/ひゅうが・ひむかのくにへ。

 

今年の梅雨入りは、

東京は6月6日、九州は6月11日で、

雨を心配したけれど、

傘が必要なのは1日目のみで、

あとの2日間は曇り空の、

ちょうどよいお天気に恵まれた。

 

パンデミック以降、

はじめて利用した飛行機は、

ブランケットの貸出中止と、

機内誌の申し出制へと、変更されていた。

ANAの「翼の王国」をわりと楽しく読んでいたけれど、

ないならないで、持参の本を読む時間ができて、

よかったのかもしれない。

与えられるものを不用意に受けとりすぎて、

自分の選択や時間を疎かにしがちだということを、

この頃よく感じていたところでもあったから。

 

宮崎までおよそ900km90分の空の時間は、

ほんとうにあっという間で、

離陸する瞬間の重力の高まりを背中で受けとめたり、

上の雲と下の雲のあいだを走行する浮遊感とか、

空にもある地球の微妙な曲線とか、

そういうことを久しぶりに楽しんだ。

空を飛びたいと願った人がいたから、

ほんとうに空を飛べるようになった。

人の望みに優るものがあるだろうか、とふと思う。

 

はじめての場所をひとりで旅するのは、

ほんとうに楽しい。

空港から目的地までの路線図を理解するのに時間がかかるし、

日南線青島駅PASMOのつかえない無人駅だから、

切符が必要だと知るのもやっとで、

そういう不自由さや、まごまごする感じが、とても楽しい。

土地の人に「お困りですか?」と声を掛けられたりすると、

ほんとうにありがたく感じたり。

 

そんなことで辿りついた青島は、

本降りの雨のなか、霞のなかに、

神秘的につつまれていた。

こういう日は人もまばらだ。

すこし前に都内で会ったハワイの人に、

「宮崎の青島はハワイそのものよ!

 ぜひ行ってみて!」

といわれて気になっていたのだ。

ハワイには行ったことがないので、

本当のところはよくわからないけれど、

とにかく亜熱帯性の植物のエネルギーが濃密で、

それらが呼吸や肌から浸透してきて、

まるで浸食されるようで、きもちがいい。

地球のエネルギーがダイレクトに植物に反映されて、

そのダイナミクスを植物から受けとるような。

 

青島は「鬼の洗濯板」と呼ばれる奇岩に囲まれた、

周囲1km・徒歩20分ほどの小さな島で、

島の中心には青島神社がある。

創建は平安時代の820年より前ということがわかっていて、

海彦と山彦の神話の舞台でもあるそうだ。

長らく1737年江戸中期までは、

3月16日から31日の半月のみ、

入島が許されたという古からの神域で、

島そのものが聖地で、

神社は人間界の目印として一応ある、という風。

とにかくまるで別世界、

すぐ隣のビーチにみられる砂浜ではなく、

貝殻やサンゴが堆積する渚に、

亜熱帯性植物群落の原生林、

石や岩にはどういうわけか、

穴のような凹みが無数にできている。

それらにそっと触れてみる。

貝殻をひろう。

蟹がいっぱい歩いている。

拾いあげた貝のなかで、

知らんふりしているヤドカリも。

ごめんなさい、

あなたのお家だったのね、

とってもきれいね。

 

海辺のホテルでの滞在中、

ずっと海の波の響きのなかにいた。

どうしてか夜は静かに、

朝は元気よく聴こえてくる。

サーフィンの人たちが無数に、

鳥のように波間に浮かんでいる。

わたしも膝まで波に浸かりながら、

ひたすら海岸線を歩く。

潮の満ち引きの、海の力のすごいこと。

きれいな貝を拾いながら、

ついついごみも拾ってしまう。

香川の直島でごみ拾いをして一緒に歩いた

友人たちのことを思い出す。もう15年も前になる。

それから石垣島の海洋プラスチックでキュートな創作をした

ヨーガンレールさんの晩年の仕事のことも。

あんなに慈愛に満ちた告発はあるだろうか。

心からリスペクトを捧げたい創造行為。

 

どこか遠くから

声が聴こえたような気がした。

 

 心をひらきなさい

 自分自身に

 心をひらきなさい

 

だれだろう。どきっとする。

だれかはわからないけれど、

母よりは父のような雰囲気。

青島へ来れてほんとうによかった。

ありがとう。

 

まだ知らないわたしがいる。

でもすこしこわい。

未知ということ。

 

ボタニックガーデンで飲んだ

日向夏のフレッシュジュースの

美味しかったこと。

その時にそこでしかできないことがある。

そういうことが愛おしい。

クローバー

6月は白い花があちこちできれい。

どくだみ、やまぼうし、カラー、

くちなし、たいざんぼく、

それに名まえを知らない大小の花々も。

 

先日は図書館に寄ったついでに、

港区の芝公園を歩いた。

曇り空がやさしくて、緑が心地よい。

だんだん息も体もゆるんでくる。

クローバーが辺り一面に広がっている。

可愛らしい白い花。

俳句では春の季語で、

苜蓿/うまごやし、白詰草/しろつめくさ、ともいう。

膝をたたんで、目線を合わせていると、

あれっと、四つ葉が目に入った。

とても久しぶりにみつけた。

 

以前にみつけたのはいつだったろう、

と思い出の中を彷徨ってみる。

過去に見つけたふたつの四つ葉は、

本に挟んで押し花になっているけれど、

はっきりと覚えているのはひとつだけ。

20年近く前のことだったと思う、

学生の頃わたしは一時体調を崩していて、

祖母のいた群馬県沼田へ度々静養に訪れていた。

そこへ父が来てくれて、

玉原高原だったか尾瀬の湿原だったかに、

ドライブに連れて行ってくれたときに見つけたのだ。

当時、心と頭と体のバランスをとるのに苦心していて、

神経が過敏になっていたのか、今でもよく覚えている。

ふつうは三つ葉のクローバーに

四つ葉があることを知ってはいても、

実際に自分で見つけてみると感動するものだ。

ところが元気なときに見つけた、

もうひとつの四つ葉のことは、まるで記憶にない。

いいのかよくないのか、わからないけれど、

記憶というものはどうなっているのだろう。

 

この6月1日は不思議だった。

四つ葉のクローバーをひとつ見つけて、

小さな幸運によろこびつつ、

しばらく歩いて、またひとつ見つけて、驚いて、

またずっと歩いてひとつ見つけて、戸惑って、

そこで五つ葉のクローバーまで見つけた。

探している時はみつからないのに、

たいして探していないとみつかるのは、

よくあることだけれども。それにしても。

遺伝子のコピーミス、変異体だけれど、

三つ葉の群生のなかで、

四つ葉や五つ葉に心を奪われてしまうのは、

その希少性のためだろうか。

たとえば二つ葉があったとしたら、

やはり惹かれるだろうか。

 

傍らに、お米粒くらいの赤ちゃん天道虫がいる。

やわらかい茜色が、きらきらしている。

 

図書館で借りた、

O・ワイルドの童話「幸福の王子」を読みながら、

日比谷線を帰路に着く。

今回はキリスト者曽野綾子さんの翻訳で、

わたしが大すきな王子の悔恨の場面と、

結論の場面。

 

「庭の周りには、高い塀があって、

 その向こうには何があるか、

 私は知ろうともしなかった。

 私は美しいものに囲まれていたんだよ。」

 

「この世で最もすばらしいのは、

 人々の悲しみなんだよ。

 みじめさにまさる神秘はないんだ。」

 

そんなふうに思える人がこの世にはいるんだな。

幸福ってすごいことだなと、いつも思うのです。

鷹ノ巣山

淡いみどり色をした新緑が

揺るぎないみどり色になってきた。

このごろは夏らしいお天気の日もあるけれど、

なんとなく涼しい5月という印象。

 

ゴールデンウィークの終わりの頃、

奥多摩鷹ノ巣山へ登った。

高山にはまだ雪が残るところもあるようだが、

思う存分に山へ行ける季節になってうれしい。

 

鷹ノ巣山/たかのすやまは、

雲取山/くもとりやまに次ぐ、

東京都で2番目に高い

標高1737mの登りがいのある中山だ。

大気の不安定な日がつづき、

天気予報は日々刻々と変化していた時期だった。

午後から崩れそうという予報と、ガイドさんと、

仲間たちとマイクロバスに乗って、

標高900mの奥集落あたり、9時前頃に、

登山道入り口のすこし手前から登り始めた。

いくつかコースがあるなかで、

今回は浅間尾根を往復する歩きやすいルートだった。

久しぶりのむきだしの山道がうれしい。

薄日に気温も快適で、からだが喜んでいる。

木洩れ日に透きとおる、

やわらかい若葉がほんとうにきれい。

視力もよくなりそう。

途中、浅間神社で木花咲弥姫命/このはなさくやひめに、

怪我なく無事に下山できますようにとご挨拶して、

心も足どりも軽い。

しだいに樹々は、すぎ・ひのきなどから、

亜高山帯のからまつ・みずなら・ぶななどに、きりかわる。

熊の爪痕がくっきりと残る幹に手を当てたり、

鹿に食べられた木の皮や、いろいろな鳥の声、

コンパスをつかったようにまん丸のキツツキの穴などを、

物めずらし気にみながら楽しい。

たとえば海を泳いでいると、

急に冷たいところがあって驚いたりするけれど、

同じように山にも、空気の切りかわるポイントがある。

と思うと、急に霧がでてきて幻想的だ。

標高とともに霧は深くなり、寒くなる。

山頂の手前の避難小屋で、

すこし早めの昼食を手早くとる。

気温は11℃、長く止っているととても寒い。

口に入れたチョコレートも容易に溶けない。

再び登りはじめて、ぽつぽつくる雨を心配しつつ、

13時頃には山頂に着いた。

晴れていれば富士山も見晴らせる、

眺望のすばらしい頂だそうだけれど、

この日は深い霧に覆われて、

50m先の見通しがやっとなほど。

どこにいるのか覚束ない奇妙さのなか、

ギリシャテオ・アンゲロプロス監督の作品を思い出す。

たとえば「霧の中の風景」「こうのとり、たちずさんで

「旅芸人の記憶」などに印象的な灰色の世界。

かなしいような、うつくしいような。

うっかりすると気をとられそうなので、

とにかく、まえへ進む。

大山桜がうつくしい。

ひとりでしずかに咲いている。

見てもらうこと、認めてもらうことを、

まるで知らない、知らないほうがいいといったふう。

下りは尾根道に並行するまき道を回遊。

この道は気ままでとても楽しかった。

ひと月もすると、つつじのトンネルが見事だそう。

ひと足先に、ほんの少し咲いてみせてくれた、

ピンク色の小ぶりな東国みつ葉つつじ。

色々な種類のすみれもあちこちに。

落葉の浅瀬を歩くように、ざくざく進むと、

あっという間に避難小屋に着いてしまった。

なぜだろう、下りは時が過ぎるのが早い。

それに、なんとなくみんな無口になる。

もと来たみちを一目散に辿り、

はじめの登山道口に着いた途端に、

雨が本格的に降りだした。

いままで我慢していたのだから、

思い切り降らせてよといわんばかりに、

堰をきったように。

 

もし山の神さまがいるのなら、

ありがとう。

おかげで、とても楽しかった。

蒸気機関車 デジャヴ 鳩 

今日は子どもの日。

光の種をまく、

小さな賢者たちの日。

健やかでありますように。

 

といっても、

そう考えるのは大人の領分で、

実際の子どもはもっと多面的で生々しい。

7歳になる甥っ子と、3歳の姪っ子と、

静岡の大井川鐵道を旅してきた。

 

今年のお正月に集まったときに、

機関車トーマスが大すきだった甥っ子が、

「トーマスのアニメはもう見ない」

と突然宣言したので、びっくりして、

「もうすぐ小学生になって、

 お兄さんになるから、無理しているの?」

ときくと「もうあんまり面白くない」という。

「あんなに夢中になって見ていたのに、

 信じられない。どうしたの?」というと、

「だって人間てそういうものでしょう」

といわれて、なんだかどうして。

「でも大井川鐵道には行きたい」らしい。

どういう具合で

アニメと実写のちがいに思い至ったのか、

いまいちよくわからなかったけれど、

いま行かないともう行かないだろうと思い、

ゴールデンウィークの初日から運行がはじまる、

特別急行列車、蒸気機関車トーマス号の

日帰りツアーに申し込んだ。

 

題して

「卒園・入学・4月のお誕生日

 ぜんぶまとめておめでとう

 Let's 大井川 トーマス号!」

のお祝い旅行がはじまった。

7時に品川発のこだまに乗車して70分、

はじめて降り立つ静岡駅は曇り空だった。

午後からの傘マークを心配しつつ、

ツアーのバスに揺られること約80分、

大井川沿いの川根温泉ホテルにて

早めのランチバイキングをとる。

子どもたちと食べると、

まるで味わう余裕がないのはいつもの通り。

だけど楽しい。雨が降りはじめた。

すると甥っ子が、

「ここ知ってる。来たことあるみたい。

 2~3日前の夢でみた。雨で思い出した。」

という。はじめて来た場所なので、

おどろいたけれど、とても印象的だった。

デジャヴというものかもしれない。

子どもたちのパワフルさに負けないように、

とにかくお腹をいっぱいにして、

大井川鐵道千頭/せんず駅で催されている

トーマス・フェアを傘のなかで楽しむ。

はじめはちんぷんかんぷんだったキャラクターたち、

ジェームス、ヒロ、パーシー、

バスのバーティ―、ラスティ―、フリン、などの

等身大のトーマスの仲間たちが一堂に会している。

ほんとうにそっくりに塗られていて、

整備工場の方のご苦労が偲ばれる。

キャラクターのライセンスをもつソニーの系列会社と

大井川鐵道とのコラボレーション。

 

大井川鐵道は、

大井川上流の電力発電と森林資源の輸送のために、

1925/大正14年に創立された産業鉄道だ。

戦後の高度経済成長期に

SL/蒸気機関車の運行を復活したことで、

観光鉄道として名が知られるようになり、

2014年からは英国生まれのキャラクター、

機関車トーマス号の運行を始め、

こと子育て世代に人気を集めているという。

千頭駅から金谷駅まで、全長40km弱の本線の、

およそ80分の蒸気機関車の旅は、

川沿いをゆく、鉄橋をわたる、味わい深いものだった。

なんといっても白い蒸気と汽笛、

走行時のぶっきらぼうな振動が楽しい。

先頭の蒸気機関車トーマス号は、

鉄道省により戦前の1942/S17年に製造された、

北海道で運行されていた一両[C11 227]だという。

1975年に廃車となったが、すぐに大井川鉄道が引取り、

翌年には日本の復活SLの第1号となったというから、

年季が入っている。動態保存とはいうものの、

もう作ることのできないヴィンテージ車を、

大胆に改装してしまって大丈夫なのかとすこし気になる。

わたしたちが乗った客車は、

国鉄時代の1951/S26年製のものらしく、

アニーとクララベルのオレンジ色に塗り替えられて、

外見は楽し気だが、乗車してみると本当に古い。

板張りの床に、空調は扇風機のみ、

窓枠は木製で、上に引き上げるタイプだけれど、

かしいでスムーズに上がらない、

網棚の目はおおざっぱなえんじ色の布紐、

天井の溶接部分の丸いビスの重厚感、

手洗いやトイレは使うのに勇気がいる。

現役で走行していることが奇跡のようだ。

川面の翡翠色がきれい。新緑が雨にぬれて瑞々しい。

ちょうど茶摘みの季節で、

お茶畑はきらきらしている。

 

静岡駅に戻った夕方には、

雨脚はかなり激しくなっていた。

甥っ子の折り畳み傘がふにゃふにゃで、

スニーカーごと水浸し、寒くて、半べそをかいている。

そういうのも思い出のひとつになる。

楽しかった。

 

江東区の家のベランダに、

昨年よく来ていた鳩が久しぶりにやってきた。

左足の指のないびっこの鳩だ。

愛らしい目はそのままに、

からだの色がかなり変わった。

薄いグレーだった体毛が、

深いグレーブラックになっている。

成長したのだろうか。

 

子どもの日、おめでとう。

 

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詩 あくび

夜中

空気洗浄機が歌を唄っていた

 

平和を愛する人間以外は

滅ぼしてしまえ!

 

あまりにも人間的な

なぜって そう

空気洗浄機は人間がうみだしたのだもの

 

力への愛だったのか

愛の力だったのか

 

人々はそれぞれに

意識と無意識で満たされている

 

健全なものが好きといって

サルバトーレ・シャリーノを聴く

 

さっぱりしたものが食べたいといって

カツカレーを食べる

 

理想を語り

戦争を始める

 

人間がすこし

わかったような気がした

 

ある日の朝

 

大気圏にまもられて

息をしている

 

自由 喜び あくび

 

人間が

大気圏をつくれるようになって

 

火星に棲むのは

いつのことだったかしら

 

 

   詩集「おくりもの」2017年より

いっぺんに春と秋

新年度や新学期がはじまり、

街も人もどことなく雰囲気が変わった。

新しく何かが動き出してゆくような、

躍動感と明るさが感じられて、うれしい。

人はポジティブなベクトルに安心する生き物なのだろうか。

自然とそういう流れを創りだそうとする。

それが人の歴史であったらいい。

 

今年はお天気のかげんで桜の花が長く、

その静かな推移をよくみることができた。

花の色がだんだん濃くなり、盛りを過ぎると、

また薄くなってゆくようにみえた。

例年この時期の天候の変化はめまぐるしく、

春らしい陽気が続いたかと思うと、

また急に寒が戻り、冷たい雨が降ったりと、

三寒四温という言葉のなかにいるよう。

 

今日も雨が降ってまた寒い。

春のコートと冬のダウンが、

入れ替わり立ち代わりしている。

数日前の夏日のような午後に参加した句会では、

施設全館の冷房が効きすぎて、やむなく暖房をつけたりと、

認識や体感がこんがらがってしまうような、奇妙を覚えた。

そうしてまた驚いたのは、

公園の樹木の一部が、紅葉し落葉していることだった。

上野公園の西郷口の階段には、

落葉がいっぱい溜まっていて、戸惑ってしまった。

昨年のものが残っているのではなく、

落ちたばかりの鮮やかな紅葉が、

焼きいもができるくらい一面に散っているいるのだ。

「え?」と声に出したいくらい、びっくりした。

たとえば漫画ドラえもんにでてくるどこでもドアで、

秋にタイムスリップしてしまったような、

でも同時に葉桜も八重桜も咲いていて、

所々には深紅のもみじが立っているような、

不思議な世界に迷い込んでしまったようで、どきどきした。

上野公園だけのことかと思っていたが、

港区の芝公園も同じだった。

そこではよりはっきりと、一樹のうちに、

若葉と紅葉とが半々、オセロのようになっていた。

樹もまさに、春と秋とを同時に体験しているのだ。

認識や体感がこんがらがってしまっているのは、

植物も動物も、同じなのかもしれない。

それほどドラマチックなお天気のなかに、

わたしたちは生きている。

 

あるいはすこしおかしいくらいが

ちょうどいいのかもしれない。

 

なにかがこわれたところに

別のなにかがつくられてゆく。

 

新しいという認識も

わたしたちがつくっている。

 

時間という概念も

わたしたちがつくっている。

 

いまここが

いちばん新しい時間だと

信じて生きている。

 

ほんとうはどうだか

だれにもわからない。

 

ほんとうが

あるのかどうかも

わからない。

 

もしわかったら

あたまがおかしく

なってしまうのかも。

さくら 2022

家のベランダの

啓翁桜の花が咲いた。

しばらく春らしいお天気が続いて、

今日の満月も影響しているのか、

例年よりすこし早い開花となった。

一昨年と昨年は、

ほんとうに花が少なく心配したが、

今年は蕾がたくさんついているので、

よかった、ほっとした。

心なしか、今年の花は

ピンク色が濃いようにみえる。

今日は一転、雨もようでまた寒い。

 

おととい3月16日の夜中、

23時半ころに、大きな地震があった。

一日を終え、布団に横になって、

さあ眠ろうとするときだった。

けっこう長く横に揺れて、

揺り籠みたいだなと思っていたら、

スタンド式の全身鏡が大きな音を立てて倒れた。

幸い割れなかったけれど、様子を見に起きた時に、

停電と断水になっていることに気づいた。

カーテンをひいてみると、街全体が真っ暗だ。

江東区に住んで10年で、はじめてのことだった。

海がすぐ近くなので、津波のことが頭によぎり、

タブレット地震速報を確認したあと、

疲れていたので、すぐに眠ってしまった。

それでも午前2時すぎには停電が解消したことを、

加湿器が動きはじめた音でおぼろげに知った。

翌朝、東京都水道局のツイッターを確認すると、

断水の原因は、集合住宅のポンプが

停電で動かなくなったためだとわかった。

 

ウクライナで、たくさんの人たちが

ライフラインを断たれ、水も電気もない中で、

不安と恐怖に向き合っていると思うと、たまらない。

国と国との戦いに、戦いの用意の全くない、

民間人の命がなぜ奪われなければならないのか、

世界全体でどうしてすぐに止めないのだろうか。

全面戦争になることを恐れるのはわかるけれど、

だとすればウクライナの人たちはなんだろう。

 

インターネットのニュースで、

首都キエフに残りつづける男性の記事を読んだ。

その男性が語ったのは、ロシアへの憎しみではなく、

ウクライナをとても愛していること、

自分が生まれ育った土地とともに運命を全うしたいこと、

だから水や食料が尽きて死んでもそれで構わないのだということだった。

そういう人がいることに、ひどく心を動かされる。

なんて幸福そのものの強い人だろう。

不幸の入り込む余地は全くない。

その人の心は、武力でさえ破壊することはできない。

わたしは俳句に詠まずにはいられない。

どうか今すぐ破壊が終わるように。

 

最期まで国土離れぬまま菫   ひとみ

 

 

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戦争のこと

今日3月10日は東京大空襲の日。

77年前の今日の日付に変わる頃、

今わたしが住んでいる江東区は、

一面の焼け野原になった。

戦争とはいえ、

一夜にして10万の市民が亡くなった、

いまの感覚でいえばまさしくジェノサイドだろう。

 

当時、練馬区に住んでいた祖母と曾祖母は、

浅草のほうが真赤に燃えて、

昼間みたいだったと後に話してくれた。

 

戦争とは一体なんだろう。

国と国との戦いとは一体なんだろう。

 

21世紀の今年2022年、

ロシアが隣国ウクライナへ軍事侵攻を開始したのは、

北京の冬季オリンピックパラリンピックのはざまの

2月24日だった。

オリンピック休戦という国際的な不文律を考えると、

いささか度肝を抜かれたが、

それも承知の上での作戦だったかもしれない。

近年では、日本の満州事変、

ドイツのポーランド侵攻に匹敵する、

まさに歴史的な軍事行動といえそうだ。

 

ロシアの今回の軍事計画は、

1年以上前から着々と準備されていたことが、

英王立防衛安全保障研究所/RUSIによる

ウクライナ破壊の陰謀」によって明らかになったのは、

侵攻直前の2月15日だったという。

 

まさにウクライナを戦場とした

西と東の覇権争い、パワーゲームだけれど、

対立は地理的にも時間的にも重層的だ。

ウクライナポーランドの領土や主権は、有史以来、

近代ではハプスブルク帝国の頃から揺れつづけている。

ウクライナ人とロシア人は、

ベラルーシ人もふくめて同じスラブ民族だけれど、

ウクライナ国内での新欧米派と新ロシア派の対立、

EUヨーロッパ連合および

NATO北大西洋条約機構とロシアの対立、

そして専制あるいは権威主義と民主主義という体制の対立がある。

それらすべては、

アメリカとロシアの対立に還元されることが、

プーチン大統領によるTV演説から実によく伝わってくる。

侵攻当日の演説全文はインターネット上で読めるが、

日本語訳が正しいという前提のもと、

一次情報に接することの重要さをあらためて実感した。

 

その演説で印象的だったのは、

まずロシアがNATOの東方拡大にかなり脅威を感じていて、

ソ連崩壊という屈辱に30年間耐え忍んできたけれど、

もうこれ以上は我慢できないという、

追い詰められた自存自衛の心持でいることだ。

これは東條大将の宣戦布告の演説と酷似していて驚く。

また西側諸国への根深い不信があり、

「確かに彼らは現在、金融・科学技術・軍事において

 大きな力を有している」と認めつつも、

「世界覇権を求める者たちは、公然と、平然と、

 そしてここを強調したいのだが、何の根拠もなく、

 私たちロシアを敵国と呼ぶ。」と非難し、

その民主主義の衰退を敏感に察知してもいる。

またロシアのように長い歴史をもたない、

若い国アメリカに対する軽蔑も随所で感じられる。

そして「反ロシア」に対してこう語りかける。

「自分が優位であり、絶対的に正しく、

 なんでもしたい放題できるという、

 その厚かましい態度はどこから来ているのか」

インドや中国も同じように思っているだろうか。

 

プーチン大統領の演説を読むと、

まるで世界の見え方が違ってくることに愕然とする。

武力行使には断固としてNOを言い続けるが、

そこまで追い詰めてしまった責任は、

日本をふくめて各国にもあるのではないだろうか。

その演説が、演じられ欺かれたものではなく、

真意を伝えたものとしての場合だけれど、

どうだろう。それ以上はわかりようがない。

 

かつて不平等条約黄色人種への差別に苦しみ、

石油を断たれたことを契機に、

自存自衛の戦いに駆り立てられた日本としては、

ウクライナからのロシア軍撤退を追求しつつも、

ロシアの言い分にもほんの一理はあると、

満州事変のリットン調査団のように、

一定の理解を示す必要はないだろうか。

ロシアの目的はウクライナの占領ではなく、

非軍事化・中立化だというのは本当ですかと問いたい。

 

ウクライナ侵攻のニュースに接したそのとき、

わたしは使いづらくなった包丁を研ぐべく、

砥石を水に浸していた。

そしてニュースを聴きながら包丁を研いだのだが、

その行為が何か象徴的で、

おそろしいもののように感じられて複雑だった。

 

包丁は命を養うかけがえのない道具だけれど、

人を殺める凶器にもなる。

使うひと次第だとして、その動機はなんだろう。

 

自分は尊重されていない、安全ではない、

自分は足りていない、充分もっていない、

そういう体験を、みんなでいっせいのせいで

ひっくりかえしてしまいたい。

大事にされている、愛されている、

充分持っている、足りている、

余ったからもらってくださいという世界。

 

あらためてユネスコ憲章のはじめを読みたい。

被害者と思いこんでいるいまの大国ロシアには

響かないかもしれないけれど、

ひとりひとりのロシア人はきっとちがう。

 

「戦争は人の心の中でうまれるものであるから、

 人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」

 

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青梅丘陵 

2月の中旬、ちょうど満月の日に、

梅丘陵へ山歩きにいった。

 

昨夏から登山をはじめて、

いろいろなツアーに参加してきたので、

そろそろひとり歩きに挑戦してみたかった。

ガイドさんに相談すると、

はじめてひとりで歩くなら、コースアウトの心配のない

「青梅丘陵」か「高水三山」ということで、

季節柄、雪のことも考慮して、

より標高の低い青梅丘陵を選んだ。

 

梅丘陵は、

JR青梅駅軍畑駅の間、駅5つ分にまたがる、

11kmのハイキングコースで、

コースタイムはおよそ4~5時間とのこと。

この日は、奥の軍畑/いくさばた駅で降りて、

9時頃に歩きはじめた。

登山道入口の榎峠まで20分くらい県道を上ると、

汗ばむくらいのよいウオーミングアップになった。

汗冷えしないように上着を脱ぎ、

人もいないのでマスクを外して、登山道に入る。

とても静かだ。鳥の声にほっとする。

息切れせずに歩き続けられる自分のペースを探しながら、

ひと足ひと足、山の奥へ歩みを進める。

道に迷う心配はほとんどなかったが、

はじめてのコースでひとりというのはけっこうこわい。

動物も怖いけれど、変な人に遭遇したら

どうしようと考えるともっとこわかった。

それでも楽しいほうがまさって、

30分ほどで雷電山494mの頂上に着いた。

雪がのこっていたけれど、よく晴れて気持ちがいい。

低山が連なる、北東・埼玉方面の眺めもよい。

ここをピークに、尾根道のアップダウンを繰り返し、

後から迫ってくるトレイルランの方と挨拶を交わしつつ、

辛垣/からかい山456mと、辛垣城跡へまわり道する。

なかなかワイルドな細道がつづき冒険心がわくわく。

頂きには中世の豪族・三田氏のお城があったそうだが、

北条氏に攻められて落城、遺構はほとんど残っておらず、

防塞のための堀切りや竪堀りがわずかにあるのみという。

反対側から登って来た人とすれ違い、ほっとする。

白い石灰石がところどころ露出している。

木洩れ日が明るい。風もなく穏やかだ。

そうしていくつかの峠を越えて、三方山454mまでくると、

かなり雪が残っていて、北側は凍っているようだった。

気をつけてはいたけれど、その急な下り道で、

つるんと滑って勢いよくひっくり返ってしまった。

背中のリュックがクッションになってくれたので、

左肘がじんじんと痛んだくらいで済んだが、

怪我をしていたらと思うとこわい。

低山とはいえ、予想外のことがあると学んだのだった。

以降はなだらかな下り道がつづき、

ときおり風が高い樹々を揺らす不思議な音、

海のざわめきのような音にときめいた。

まるで大きな樹のドームのなかに守られているよう。

お昼前に矢倉台の休憩所に着き、ほっと一息、

あとはほとんど平らなハイキングコースを残すのみで、

青梅市を一望しながらあんぱんを食べていると、

急に風がびゅうびゅう吹いてきた。

あわててダウンを羽織り、コースのつづきへ戻る。

このあたりから人も多くなり、

雰囲気もがらりと変わる。

人の思いやりの形をしたマスクをつける。

かなりの強風になってきたので風よけにもなる。

ふと案内図の立て看板に

「クマ出没注意!!」という貼紙をみつけて驚く。

「永山ハイキングコース・成木・二俣尾で、クマが出没しました。

 入山の際には、十分に注意してください!」とある。

いつの情報なのか日付はないが、

もし青梅駅からスタートして、はじめに貼紙をみていたら、

奥まで行けたかどうかわからない。行けなかったかもしれない。

複雑な気持ちで、次は鈴を持ってこよう、

それから軽アイゼンも忘れずに入れてこよう、と思いつつ、

13時半には青梅駅に着いてしまった。

 

まだ時間が早いので、

駅近くの「まちの駅青梅」に寄って、

青梅ゆかりの物産をいろいろと選んだ。

澤乃井のお豆腐、生そば、天ぷら、

野菜、天然酵母のパン、酒まんじゅう、などなど。

 

夕方には江東区の自宅に帰りつき、

お腹ぺこぺこ、

青梅のおそばと青梅野菜の天ぷらを頬ばった。

お店のお姉さんに

「春菊はぜひ生で食べてみてください!

 すごく美味しいですよ!」と言われたので、

そうして食べてみたが、ほんとうに美味しかった。

淡い春のハーブそのものだった。

ふだん春菊らしいと思っていた苦みは、

農薬による硝酸イオンの味なのだろうか。

 

本ものは淡いとよくきくけれど、

こちらがみつけなければ通り過ぎてしまうようなものが、

本当のもののような気がする早春でした。

わたしの乳歯

2月はじめの節分・立春をすぎて、

まだしばらく寒い日がつづいている。

10日には雨が雪に変わったし、

今日13日も午後から雪になる予報だ。

灰色の雲に覆われて、

街はしんとしている。

そういう静かな日もいい。心なしか、

部屋のエアコンの音が大きく感じられる。

いつもは聴こえない音に耳を傾ける。

 

わたしの歯には、まだ乳歯が1本ある。

前から5つめの左下の歯で、

生えてくるはずの大人の歯、

永久歯が下から生えてこないまま、

今に至っている。

ごくまれにそういう人がいるようで、

父にも永久歯が生えてこなかった歯が1本あるので、

遺伝かもしれない。

わたしのそのやわらかい乳歯は、

小学生のころに虫歯を治療して、

以前はよく使われていた

銀色のアルマガムの詰物がかぶせてあった。

それから長い年月を経て、歯科の記録では、

その詰物が自然に外れたのが2013年6月、

セラミックと樹脂のハイブリットのものに交換してもらった。

歯医者さんには笑われたけれど、

大すきな銘菓、信州上田のみずず飴を食べていたら、

前触れもなく取れてしまったのだ。

20年以上をともに過ごした私の一部だけれど、

アルマガムには水銀が使用されているときくので、

いっそ交換できてよかったかもしれない。

その2代目のハイブリッドの詰物が、

今度は歯磨きのフロスをしている時に

パリっと音をたててどこかへ行ってしまったのが、

昨年2021年の12月だった。

慌てて3代目のセラミックの詰物を新調し、

新しい歯に落ち着いたのは、もう節分の頃だった。

わたしのこの土台の乳歯は、よくもっているほうで、

いつまでもつのだろうと、女医さんに感心されている。

いまさら永久歯が生えてくるでもなく、

どこかわたしという人を象徴するようで、

可笑しいような面白いような。

 

先日、大雪が心配された翌日に、

目黒の権之助坂を下って、

6歳の甥っ子のピアノの発表会を観にいった。

自分から習いたいと言い出して、

昨年の4月から毎週1回通っていたようだけれど、

小さな指で、楽しそうに弾いていて、とてもよかった。

椅子によじ登って、足を宙にうかせたままで、

両の手で「かっこう」「メリーさんのひつじ」「チューリップ」、

先生と連弾で「ドレミの歌」「線路はつづくよどこまでも」を

ときどきやり直したりしながら5分くらい演奏した。

ほんとうにかわいい。

小さいながら音楽を楽しんでいるのが、

音として伝わってくるのが、興味深かった。

自意識はどのくらいあるのだろう、

緊張はしなかったらしい。

子どもは自分のすきなことを、

意識する前によく知っている。

よろこびが風船のようにふくらんで、

すばらしいところへ運んでいってくれるように。

 

ウイルスの流行がつづく最中、

常に演奏中でもマスクをしていた甥っ子が、

最後に写真を撮る時にマスクを外して笑った。

すると前歯がひとつ抜けていてびっくり。

お正月にすこしぐらぐらしているといっていた歯で、

当り前だけれど、その下には、

永久歯がスタンバイしていること。

そんなことに想いをめぐらせつつ、

自分の乳歯を思い出しながら、

目黒川を辿って駅へ向かった。

いくつもの橋を見過ごしながら、見あげると、

桜のつぼみがふくふくとしていた。

まだはっきりとわからないところで、

いろいろなものが胎動していて、わくわく。

1月尽 2022

あしたで1月がおわる。

 

日本語の国あけましておめでとう  ひとみ

 

今年の新年句だ。

 

今月はいつになくよく句会に参加した。

まだ対面でできているけれど、

急遽、通信句会に切り替えた会もあった。

 

日本は目下、

新型コロナウイルス・オミクロン株の大流行中。

12月に1桁だった都内の感染者数は、

1月の半ばころからびっくりするほど急に増えた。

第6波だけれど、

120周期、4か月周期ともいわれはじめている。

変異はどこまでつづくのだろう。

ワクチンの有効性についての見解もさまざまだ。

 

知人・友人からの話もちらほら。

知り合いの40代の女性がワクチン接種の翌日に

血栓で亡くなったとか。持病はなかったらしい。

旦那様とお子様が残されて、唖然としているという。

また20代の男性はやはりワクチン接種の翌日、

片足に血栓ができて下半身不随になったという。

車椅子になり、転職しなくてはならないという。

わたしが登山で出会った60代くらいの女性は、

2回目のワクチン接種後の高熱と、

その後の倦怠感・息苦しさが1か月続いたといっていた。

それでも3回目の接種を心待ちにしているようだったので、

いささか驚いた。

保険と同じで、お金やワクチンで、

安心感を得られるのかもしれない。

なにかあったらどうしよう。

まだ起きていないことに対する不安や心配と、

どのように付き合ったらいいのだろう。

他人ごとではない。

 

一時は忘れていた救急車のサイレンが、

ここのところまた耳に届くようになった。

 

いろいろな場所で体温を計測されることにもずいぶん慣れた。

「タイオン セイジョウ」とか

「タイオン イジョウナシ」とか機器にいわれる。

せっかく言葉をしゃべるなら、

「キョウモゲンキデ ヨカッタネ」とか

「キョウモ ゼッコウチョウ」とかいってくれたらいいのに。

そうしたら喜んで体温を測りたくなるような。

言葉の力はほんとうに大きい。

 

たとえば日本語を話す国は世界にひとつ。

ルーツはいろいろあるとしても、

自分の国の言葉をもっているということの貴重さ。

あたりまえすぎてだから何ということに、

わたしは惹かれてしまうのです。

 

日本語の国あけましておめでとう  ひとみ

 

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あけまして 2022

2022年があけました。

令和は4年、干支は壬/みずのえの寅年。

明治は155年、昭和は97年、

そして皇紀は2682年、なのだそう。

いろいろな時の計り方があって面白い。

世界にはほかにもいろいろな暦があって、

そういう認識の揺らぎみたいなものに、

ものすごく惹かれる。

 

今年の初詣は水天宮へ。

「分散参拝にご協力ください」とのことなので、

5日の夕方に一人でうかがうと、

たまたま辯財天さまが開帳していた。

お会いするのははじめてではないはずなのに、

どうしてかはじめてのように感じた。

8本の手にさまざまな道具をもつ寳生/ほうしょう辨財天で、

この日、頭上から覗くもうひとつの小さな顏に、

釘付けになった。なんともいえない奇妙な表情。

男とも女とも、笑っているとも馬鹿にしているとも、

優しいとも厳しいとも、真面目ともひょうきんとも

いえるような顔が、世俗に興味津々といったふう。

5日と巳の日に扉が開くそうなので、

また会いに行こうと思うのだった。

 

松過ぎの週末には、

奥多摩と山梨の山に登った。

ところどころ雪が積もっていたけれど、

この時期にしてはずいぶん暖かいようだった。

山梨の柳沢峠1472mから丸川峠1680mまで、

ほとんど高低差のない山道を楽しく往復する。

時折、ねずみ・うさぎ・たぬき・てん、などの足跡を

みつけては、こちらからあちらに向かったとか、

ここで立ち止まって、あそこに飛んで、などと、

その動静を思い浮かべて遊んだ。

陽のあたらない雪道では、ひと足ごとに

きゅっきゅっと雪のしまる音がして、

足裏に伝わる雪質の感触と音をよろこんだ。

富士山は真白で、いつみても美しい。

そしていつも一度きりの時。

 

人の人生みたいに。

 

今年もよい一年でありますように。

 

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映画2本 大みそか 2021

今日で2021年もおわる。

みそかは、俳句の季語で、

大年、大つごもり、という言い方もあるし、

それぞれの郷土の方言とか、古語などにも、

まだまだ知らない表現がたくさんありそうだ。

わたしは「大年・大歳/おほどし」がなんとなくいい。

365日の最後の1日という感じがするし、

1年が充実していたという雰囲気も感じられるから。

 

日本語はとても豊かだ。

その言葉とともに生きてきて、

まだまだその地平線は彼方という印象。

 

12月はめずらしく映画館で2本の作品を観た。

ひとつは「五十万人の遺産」/1963年、

もうひとつは「世界で一番美しい少年」/2021年。

 

「五十万人の遺産/LEGACY of the 500,000」98分は、

三船プロの第1作にして、三船敏郎の幻の監督作品だ。

ずっと観たいと思っていたところ、

通りかかった京橋フィルムセンターでの特集上映をみつけて、

上映日がちょうどクリスマス・イブの夜だった。

よほど観たい人しか集まっていないのではと思ったが、

まばらな客席にはやはり年配の男性が多かった。

三船敏郎は同性に愛される俳優なのだろうか。

戦争末期のフィリピンに隠された日本軍の金貨を探し求めて、

さまざまな野心を内に秘めた5人の男たちが繰り広げる大冒険で、

もちろん三船敏郎は主役も演じていて、

さながらオーケストラを指揮しながら演奏するソリストだ。

といっても脚本もカメラも音楽も俳優たちも、

黒澤組の勝手を知った仲間たちという雰囲気で、

評判がよくないわりに、とても楽しく見応えがあった。

日本ではVHSになっているだけだけれど、

なぜかフランスでDVDになっているようなので不思議だ。

やっと観ることができてよかったし、

わたしにとっては印象深い聖夜になった。

 

「世界で一番美しい少年/Most Beautiful Boy in the World」98分は、

トーマス・マンルキノ・ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」で

美少年タジオを演じた当時15歳の俳優ビョルン・アンドレセン

壮絶な半生を綴るドキュメンタリー。

1971年の公開から50年にあたる今年2021年に発表された、

美しくも哀しい再生の物語だ。

音楽学校で学んでいた、複雑な生い立ちをもつ繊細な少年が、

なすすべもなく運命に翻弄されてゆくのを、私たちは追体験することとなる。

その背景には、幼いころに母親が不審死したこと、

自分の父親が誰なのかを知らないことが影響しているのは、明かだ。

穴がぽっかり空いたままの若い心に、予想外の成功がやってきて、

どう対処すればよいか、助けてあげられる人がいなかったことが辛い。

また当時の日本の広告業界の一端を目の当りにすることとなり、

恥ずかしいやら申し訳ないやらで居心地がわるかった。

スウェーデン映画の映像の特異な美しさは、

地理的なその光にたいする感受性のためだろうか。

アンドレセン氏の澄んだ眼が、とても印象的だった。

子どもの目と似ているけれど、

子どもの目にはない何かがそこにはある。

それはなんだろう。

 

たとえば2021年、

元旦のわたしと、

大年のわたしとでは、

どこがどう異なるだろう。

できたこと、できなかったこと。

わかったこと、わからなかったこと。

どちらもあるけれど、充実していた。

心からとても楽しかった。

 

ありがとう。

来年もよい年でありますように。

 

 

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日の出山 御嶽神社

12月の中旬、

寒波がやってくる直前に、

奥多摩の日の出山へ登った。

 

いくつもあるルートのなかから、

御岳山からの尾根道づたいに日の出山へ、

梅ノ木峠をこえて、三室山845mに寄り、

愛宕神社奥の院を経て、吉野山園地へ降りるコースを辿った。

 

12月とは思えない暖かさと晴天に恵まれて、

朝9時前にケーブルカーで御岳平まで運んでもらい、

脚ならしに大塚山920mを周回して、

産安社や御嶽神社へご挨拶。

はじめてお詣りした御嶽神社929mは、

天空の社という雰囲気で、

拝殿からは関東平野が望めて見事だった。

この日は霞がかっていたけれど、

スカイツリーや江の島もよくみえるのだという。

もともと南向きだった社殿を、

徳川家康公が「西の護り」として東向きに改築したというから、

古くから重要な神社だったことがうかがわれる。

その起源は神話のころ、

第10代の崇神/すじん天皇の頃というから、

紀元前1世紀頃とも古墳時代3世紀頃ともいえるほど歴史が深い。

狼の神様が「おいぬ様」として慕われていて、

たくさんの犬たちがお詣りに来ていて、可愛いだけじゃなく、

ものすごく強そうな犬もいて、けっこう怖い。

この日は遙拝殿から奥の院へご挨拶をしたけれど、

いつかまたその向うへ訪れたいと思う霊山だった。

 

江戸時代の中頃までは、

御嶽神社への表参道だったという尾根道を辿り、

日の出山902mの頂へ。

360度の展望をもつ見晴らしのよい山頂は、

お昼時ということもあり、多くの人で賑わっていた。

お友達同士で来ている女学生、

シートをひろげて鍋をかこんでいる社会人風、

ボーイスカウトの少年たち、家族連れ、恋人同士、

独りの人も、ストイックなトレイルランの人も、

ほんとうに色々なひとたちが憩っていた。

わたしも、おむすび・あんぱん・バナナの昼食をとる。

遥か向うに、さっきまでいた御嶽神社がみえる。

ガイドさんと15人の仲間たちと歩いてきた道のりを思う。

大地がゆらゆらっと揺れる。地震だ。

山頂での体験は初めてで新鮮だった。

不謹慎かもしれないが、自分が楽しいものだから、

山も生きていることを喜んでいるように思われた。

動くとは生きていること。

 

その先も、いろいろな植物をみながら、

思いつきを話しながら、

一期一会の方々との山道を楽しんだ。

 

杉の枝が落ちていて、

葉先に黄色のつぼみのようなものがついているのを、

わぁきれいと見とれていたら、花粉だと教えてもらったり、

スギとヒノキとサワラの葉っぱの違いとか、

ミズナラとコナラの落葉やどんぐりの見比べとか、

緑色のアセビの葉っぱは毒があるので

馬が食べると酔うより死んでしまうとか、

それで水原秋櫻子の俳句結社「馬酔木」を思い出したり、

蠟梅のふっくらしてきた黄色のつぼみを楽しんだり、

鳥の鳴声、熊よけの鈴、猟銃の音、チェーンソーの音だとか、

とりとめもなく、いろいろな事象が、外側でも内側でも、

雲のように浮かんでは流れてゆく。

その流れをただみている。過ぎさってゆく。

ひたすら歩きつづける。前にすすむ。

そういうことが訳なく楽しい。

 

わたしは一体どこへゆくのだろう。

 

そうして一日を終えて、

東京の西から東へ。

家へ辿りつく。

 

楽しかった。

という想いがのこる。

暖炉の薪のように積まれてゆく。

 

だから冬でも、

寒波がやってきても、

心はあたたかい。

 

2021年もあとわずか。

一日一日を大事に過ごしたい。

自然教育園 神無月

11月もおわりに近づき

ずいぶんと寒くなってきた。

ベランダの啓翁桜も

紅葉をはじめている。

枝先の赤色から

枝元の緑色へのグラデーションがきれい。

ゆっくりと時間をかけて変身している。

 

ふと思いたち、

目黒の自然教育園に行く。

門をくぐると、すぐに自然の匂い。

香ばしい地球の匂い。

目にみえない生き物たちの気配につつまれる。

鳥はたえず歌っている。

からだの余計な力がぬけて、

本当の力につながる。

気持ちもやわらかくなる。

砂利道をひと足ひと足進める。

時計のリズムから、生命のリズムへ。

しばらくゆくと由緒ある「物語の松」と再会する。

わたしに刻まれた時間と、

大木に刻まれた時との異なりに思いを馳せる。

何百年という長い年月を

生き続けるということ。

驚くほど分厚い木肌に触れる。

ひび割れているのに、瑞々しい。

耳をおしあててみる。

音以前の振動に、

いのちのあたたかさに、耳をすます。

生きていることが愛おしい。

知り尽くせない奇跡の連続によって、

その核心に近づいてゆく。

ひょうたん池の水面に映る鏡の世界。

それはほとんどホログラム。

似て非なる世界へのポータルのよう。

わたしが今いる世界はなんだろう。

ここはいったいどこだろう。

確かさと不確かさが、

陽のひかりのように煌めきながら揺れている。

子どもたちの声が近づいてくる。

みみずがいた、トンボがいた、

枯葉色のカマキリがいたという。

目にみえるというギフトもまた。

ギフテッド。

 

11月は神無月。

あちこちの

いろいろな

神様たちは

いづもの國へ向かいます。

 

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