淡いみどり色をした新緑が
揺るぎないみどり色になってきた。
このごろは夏らしいお天気の日もあるけれど、
なんとなく涼しい5月という印象。
ゴールデンウィークの終わりの頃、
高山にはまだ雪が残るところもあるようだが、
思う存分に山へ行ける季節になってうれしい。
鷹ノ巣山/たかのすやまは、
雲取山/くもとりやまに次ぐ、
東京都で2番目に高い
標高1737mの登りがいのある中山だ。
大気の不安定な日がつづき、
天気予報は日々刻々と変化していた時期だった。
午後から崩れそうという予報と、ガイドさんと、
仲間たちとマイクロバスに乗って、
標高900mの奥集落あたり、9時前頃に、
登山道入り口のすこし手前から登り始めた。
いくつかコースがあるなかで、
今回は浅間尾根を往復する歩きやすいルートだった。
久しぶりのむきだしの山道がうれしい。
薄日に気温も快適で、からだが喜んでいる。
木洩れ日に透きとおる、
やわらかい若葉がほんとうにきれい。
視力もよくなりそう。
途中、浅間神社で木花咲弥姫命/このはなさくやひめに、
怪我なく無事に下山できますようにとご挨拶して、
心も足どりも軽い。
しだいに樹々は、すぎ・ひのきなどから、
亜高山帯のからまつ・みずなら・ぶななどに、きりかわる。
熊の爪痕がくっきりと残る幹に手を当てたり、
鹿に食べられた木の皮や、いろいろな鳥の声、
コンパスをつかったようにまん丸のキツツキの穴などを、
物めずらし気にみながら楽しい。
たとえば海を泳いでいると、
急に冷たいところがあって驚いたりするけれど、
同じように山にも、空気の切りかわるポイントがある。
と思うと、急に霧がでてきて幻想的だ。
標高とともに霧は深くなり、寒くなる。
山頂の手前の避難小屋で、
すこし早めの昼食を手早くとる。
気温は11℃、長く止っているととても寒い。
口に入れたチョコレートも容易に溶けない。
再び登りはじめて、ぽつぽつくる雨を心配しつつ、
13時頃には山頂に着いた。
晴れていれば富士山も見晴らせる、
眺望のすばらしい頂だそうだけれど、
この日は深い霧に覆われて、
50m先の見通しがやっとなほど。
どこにいるのか覚束ない奇妙さのなか、
ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の作品を思い出す。
たとえば「霧の中の風景」「こうのとり、たちずさんで」
「旅芸人の記憶」などに印象的な灰色の世界。
かなしいような、うつくしいような。
うっかりすると気をとられそうなので、
とにかく、まえへ進む。
大山桜がうつくしい。
ひとりでしずかに咲いている。
見てもらうこと、認めてもらうことを、
まるで知らない、知らないほうがいいといったふう。
下りは尾根道に並行するまき道を回遊。
この道は気ままでとても楽しかった。
ひと月もすると、つつじのトンネルが見事だそう。
ひと足先に、ほんの少し咲いてみせてくれた、
ピンク色の小ぶりな東国みつ葉つつじ。
色々な種類のすみれもあちこちに。
落葉の浅瀬を歩くように、ざくざく進むと、
あっという間に避難小屋に着いてしまった。
なぜだろう、下りは時が過ぎるのが早い。
それに、なんとなくみんな無口になる。
もと来たみちを一目散に辿り、
はじめの登山道口に着いた途端に、
雨が本格的に降りだした。
いままで我慢していたのだから、
思い切り降らせてよといわんばかりに、
堰をきったように。
もし山の神さまがいるのなら、
ありがとう。
おかげで、とても楽しかった。