6月の満月の頃、
宮崎の青島へ旅をした。
ひょいと3日間、
自由に動ける時間ができたので、
直前の思いつきで西へ向かった。
日向国/ひゅうが・ひむかのくにへ。
今年の梅雨入りは、
東京は6月6日、九州は6月11日で、
雨を心配したけれど、
傘が必要なのは1日目のみで、
あとの2日間は曇り空の、
ちょうどよいお天気に恵まれた。
パンデミック以降、
はじめて利用した飛行機は、
ブランケットの貸出中止と、
機内誌の申し出制へと、変更されていた。
ないならないで、持参の本を読む時間ができて、
よかったのかもしれない。
与えられるものを不用意に受けとりすぎて、
自分の選択や時間を疎かにしがちだということを、
この頃よく感じていたところでもあったから。
宮崎までおよそ900km90分の空の時間は、
ほんとうにあっという間で、
離陸する瞬間の重力の高まりを背中で受けとめたり、
上の雲と下の雲のあいだを走行する浮遊感とか、
空にもある地球の微妙な曲線とか、
そういうことを久しぶりに楽しんだ。
空を飛びたいと願った人がいたから、
ほんとうに空を飛べるようになった。
人の望みに優るものがあるだろうか、とふと思う。
はじめての場所をひとりで旅するのは、
ほんとうに楽しい。
空港から目的地までの路線図を理解するのに時間がかかるし、
切符が必要だと知るのもやっとで、
そういう不自由さや、まごまごする感じが、とても楽しい。
土地の人に「お困りですか?」と声を掛けられたりすると、
ほんとうにありがたく感じたり。
そんなことで辿りついた青島は、
本降りの雨のなか、霞のなかに、
神秘的につつまれていた。
こういう日は人もまばらだ。
すこし前に都内で会ったハワイの人に、
「宮崎の青島はハワイそのものよ!
ぜひ行ってみて!」
といわれて気になっていたのだ。
ハワイには行ったことがないので、
本当のところはよくわからないけれど、
とにかく亜熱帯性の植物のエネルギーが濃密で、
それらが呼吸や肌から浸透してきて、
まるで浸食されるようで、きもちがいい。
地球のエネルギーがダイレクトに植物に反映されて、
そのダイナミクスを植物から受けとるような。
青島は「鬼の洗濯板」と呼ばれる奇岩に囲まれた、
周囲1km・徒歩20分ほどの小さな島で、
島の中心には青島神社がある。
創建は平安時代の820年より前ということがわかっていて、
海彦と山彦の神話の舞台でもあるそうだ。
長らく1737年江戸中期までは、
3月16日から31日の半月のみ、
入島が許されたという古からの神域で、
島そのものが聖地で、
神社は人間界の目印として一応ある、という風。
とにかくまるで別世界、
すぐ隣のビーチにみられる砂浜ではなく、
貝殻やサンゴが堆積する渚に、
亜熱帯性植物群落の原生林、
石や岩にはどういうわけか、
穴のような凹みが無数にできている。
それらにそっと触れてみる。
貝殻をひろう。
蟹がいっぱい歩いている。
拾いあげた貝のなかで、
知らんふりしているヤドカリも。
ごめんなさい、
あなたのお家だったのね、
とってもきれいね。
海辺のホテルでの滞在中、
ずっと海の波の響きのなかにいた。
どうしてか夜は静かに、
朝は元気よく聴こえてくる。
サーフィンの人たちが無数に、
鳥のように波間に浮かんでいる。
わたしも膝まで波に浸かりながら、
ひたすら海岸線を歩く。
潮の満ち引きの、海の力のすごいこと。
きれいな貝を拾いながら、
ついついごみも拾ってしまう。
香川の直島でごみ拾いをして一緒に歩いた
友人たちのことを思い出す。もう15年も前になる。
それから石垣島の海洋プラスチックでキュートな創作をした
ヨーガンレールさんの晩年の仕事のことも。
あんなに慈愛に満ちた告発はあるだろうか。
心からリスペクトを捧げたい創造行為。
どこか遠くから
声が聴こえたような気がした。
心をひらきなさい
自分自身に
心をひらきなさい
だれだろう。どきっとする。
だれかはわからないけれど、
母よりは父のような雰囲気。
青島へ来れてほんとうによかった。
ありがとう。
まだ知らないわたしがいる。
でもすこしこわい。
未知ということ。
ボタニックガーデンで飲んだ
日向夏のフレッシュジュースの
美味しかったこと。
その時にそこでしかできないことがある。
そういうことが愛おしい。