佐賀町日記

林ひとみ

戦争のこと

今日3月10日は東京大空襲の日。

77年前の今日の日付に変わる頃、

今わたしが住んでいる江東区は、

一面の焼け野原になった。

戦争とはいえ、

一夜にして10万の市民が亡くなった、

いまの感覚でいえばまさしくジェノサイドだろう。

 

当時、練馬区に住んでいた祖母と曾祖母は、

浅草のほうが真赤に燃えて、

昼間みたいだったと後に話してくれた。

 

戦争とは一体なんだろう。

国と国との戦いとは一体なんだろう。

 

21世紀の今年2022年、

ロシアが隣国ウクライナへ軍事侵攻を開始したのは、

北京の冬季オリンピックパラリンピックのはざまの

2月24日だった。

オリンピック休戦という国際的な不文律を考えると、

いささか度肝を抜かれたが、

それも承知の上での作戦だったかもしれない。

近年では、日本の満州事変、

ドイツのポーランド侵攻に匹敵する、

まさに歴史的な軍事行動といえそうだ。

 

ロシアの今回の軍事計画は、

1年以上前から着々と準備されていたことが、

英王立防衛安全保障研究所/RUSIによる

ウクライナ破壊の陰謀」によって明らかになったのは、

侵攻直前の2月15日だったという。

 

まさにウクライナを戦場とした

西と東の覇権争い、パワーゲームだけれど、

対立は地理的にも時間的にも重層的だ。

ウクライナポーランドの領土や主権は、有史以来、

近代ではハプスブルク帝国の頃から揺れつづけている。

ウクライナ人とロシア人は、

ベラルーシ人もふくめて同じスラブ民族だけれど、

ウクライナ国内での新欧米派と新ロシア派の対立、

EUヨーロッパ連合および

NATO北大西洋条約機構とロシアの対立、

そして専制あるいは権威主義と民主主義という体制の対立がある。

それらすべては、

アメリカとロシアの対立に還元されることが、

プーチン大統領によるTV演説から実によく伝わってくる。

侵攻当日の演説全文はインターネット上で読めるが、

日本語訳が正しいという前提のもと、

一次情報に接することの重要さをあらためて実感した。

 

その演説で印象的だったのは、

まずロシアがNATOの東方拡大にかなり脅威を感じていて、

ソ連崩壊という屈辱に30年間耐え忍んできたけれど、

もうこれ以上は我慢できないという、

追い詰められた自存自衛の心持でいることだ。

これは東條大将の宣戦布告の演説と酷似していて驚く。

また西側諸国への根深い不信があり、

「確かに彼らは現在、金融・科学技術・軍事において

 大きな力を有している」と認めつつも、

「世界覇権を求める者たちは、公然と、平然と、

 そしてここを強調したいのだが、何の根拠もなく、

 私たちロシアを敵国と呼ぶ。」と非難し、

その民主主義の衰退を敏感に察知してもいる。

またロシアのように長い歴史をもたない、

若い国アメリカに対する軽蔑も随所で感じられる。

そして「反ロシア」に対してこう語りかける。

「自分が優位であり、絶対的に正しく、

 なんでもしたい放題できるという、

 その厚かましい態度はどこから来ているのか」

インドや中国も同じように思っているだろうか。

 

プーチン大統領の演説を読むと、

まるで世界の見え方が違ってくることに愕然とする。

武力行使には断固としてNOを言い続けるが、

そこまで追い詰めてしまった責任は、

日本をふくめて各国にもあるのではないだろうか。

その演説が、演じられ欺かれたものではなく、

真意を伝えたものとしての場合だけれど、

どうだろう。それ以上はわかりようがない。

 

かつて不平等条約黄色人種への差別に苦しみ、

石油を断たれたことを契機に、

自存自衛の戦いに駆り立てられた日本としては、

ウクライナからのロシア軍撤退を追求しつつも、

ロシアの言い分にもほんの一理はあると、

満州事変のリットン調査団のように、

一定の理解を示す必要はないだろうか。

ロシアの目的はウクライナの占領ではなく、

非軍事化・中立化だというのは本当ですかと問いたい。

 

ウクライナ侵攻のニュースに接したそのとき、

わたしは使いづらくなった包丁を研ぐべく、

砥石を水に浸していた。

そしてニュースを聴きながら包丁を研いだのだが、

その行為が何か象徴的で、

おそろしいもののように感じられて複雑だった。

 

包丁は命を養うかけがえのない道具だけれど、

人を殺める凶器にもなる。

使うひと次第だとして、その動機はなんだろう。

 

自分は尊重されていない、安全ではない、

自分は足りていない、充分もっていない、

そういう体験を、みんなでいっせいのせいで

ひっくりかえしてしまいたい。

大事にされている、愛されている、

充分持っている、足りている、

余ったからもらってくださいという世界。

 

あらためてユネスコ憲章のはじめを読みたい。

被害者と思いこんでいるいまの大国ロシアには

響かないかもしれないけれど、

ひとりひとりのロシア人はきっとちがう。

 

「戦争は人の心の中でうまれるものであるから、

 人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」

 

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