新年度がはじまった。
樹々の若葉がきらきらと光っている。
近くの清澄公園の藤がたわわに咲いている。
子どものころ住んでいた家の軒先の藤棚を思い出す。
何度よじ登って遊んだろう。
花をほとんどみていなかったけれど、
いま見ると、ほんとうにきれい。
家のベランダの植物もとても元気だ。
リラはもうすぐ咲きそう、
ミントはものすごい勢いで生きている、
ゆっくり芽吹きはじめたケヤキ、
すこし元気のない啓翁桜、
いつもおなじにみえるクチナシ、
鳥の運んできたネズミモチ、
巨大になったなわしろぐみには実がついている、
それからまだ何かわからない幼木がふたつ、
ミントの陰にかくれて生きている。
先日、左足の指をけがした鳩がきた。
ふつう4本あるはずの指がまるまるなく、
足首で歩いているような恰好だったが、
特別に印象的な愛らしい目をしていた。
雨の降る寒い日だったので、パンをおくと、
豹変したようにばくばくと食べたので、びっくり。
お腹がすいていたようだ。
ふとインドの貧しい家の子どもの話を思い出した。
食べるものに困った親たちのなかには、
子どもに物乞いをさせるために、
自分の子の足を折ったり、いろいろして、
障害を負わせることがあるそうなのだ。
同情をさそうために傷つけるということだけれど、
ほかに望みを見いだせない状況にあることが悲しい。
鳩へパンをさしだすことが、めぐりめぐって、
誰かへ何かをさしだすことにつながったらいい。
たとえばその鳩が、困ったひとを助けるというように、
おとぎ話のように。
ここ数年、わたしは4月に体調を崩す。
どういうわけか、不安定になるというか、
食べものが体に入っていかない。
母が他界した月なのだけれど、
関係があるのかないのか。
箸置にしていた沖縄のサンゴが、
たてつづけにふたつ割れた。
5年前に訪れた小浜島のサンゴは、
肌色をした骨みたいだった。
そんなふうに、いろいろと、
遠い場所とつながっている。