佐賀町日記

林ひとみ

モナ・ハトゥムの地図

3月にはいって、雨の日が多い。

うす灰色の雲におおわれた横長の世界は、

いつもより天と地が近づいたよう。

そんなパノラマな雨の日に、

瀬戸内の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館へ、

モナ・ハトゥムの「地図」をみに行った。

 

新幹線の「のぞみ」で岡山に入り、

特急に乗りかえて、瀬戸大橋を渡ること40分。

車窓からみえる瀬戸内海沿岸の、

重工業地帯に目を奪われる。

煙突から白い煙が、もくもくもく。

生活の基盤のようなもの。

東京から4時間すこしで丸亀駅に。

およそ17年ぶりに訪れた美術館の企画展は、

「RECOVERY 回復する」というコンセプトで、

7人の作家がそれぞれに、

パンデミックをのりこえて、

私たちの世界になにが起こっているのか、

どんな世界をつくってゆくのか、

ゆきたいのかを、静かに問いかけていた。

 

Mona HATOUM/モナ・ハトゥムは、

1952年レバノンベイルートに生まれた亡命パレスチナ人で、

1975年のイギリス滞在中にレバノン内戦が勃発して帰れず、

そのままロンドンに残って美術を学んだという、

二重の亡命者という出自をもつ女性作家。

1998年の作品「地図」は、

金沢21世紀美術館に2002年に所蔵されたもので、

ホワイトキューブの床一面に、

ラムネ色のガラスのビー玉で、

世界地図を描くインスタレーション

手法はシンプルだけれど、

表現しているものは深遠で、

わたしたちの意識を揺さぶる力があると思う。

設営は、たとえばパズルのように、

プロジェクターで投影した光の地図に沿って、

ビー玉を並べてゆくのかな、

みんなで並べたら楽しそう。

うっかり踏みつぶしたり、

ひとつのビー玉が転がるだけで、

世界の形がまるで変わってしまう。

そんな不確実性が、

こわいような、心地よいような。

今回の展示では、立入禁止のテープが張られて、

ある程度までしか近づけないようになっているうえに、

撮影もなぜか禁止に。

意図的に世界の形を変えているのだとしたら、

問題はとてもデリケートなものになりそうだし、

まるで世界が壊れないようにと、

注意深く見張っている監視員もいらして、

そんなことも現実のパロディーのようにみえたのだった。

 

今年1月22日の日経新聞に、

「ポーラーシフト」と題された、

興味深い特集記事があった。

そこには、16世紀後半に考案された「メルカトル地図」が、

欧米をつなぐ大西洋を中央に配し、

北は上に、南は下に、

アジアやアフリカが辺境に広がるという、

あるひとつの世界観をつくってきたけれど、

球体を平面に表現することには限界もあって、

また政治的な思惑も働いたかどうか、

地図に表現されている面積や配置や存在感に、

実際とは異なる錯覚を起こさせていると論じていた。

また南北を逆にして、

面積を正した地図を掲載し、

どれだけ世界の見え方が変わるか、

認識が変わるかも示していて、

どきりとする内容だった。

 

わたしたちは知らず知らずのうちに、

たくさんの無自覚なバイアスを通して、

物事を見たり、聞いたり、

判断したり、裁いたりしている。

人の意識は、目に見えるものではないから、

わかりにくいし、自覚もしずらい。

それだけ意識はフロンティアといえるのかも。

意識を制するものは、世界を制する、

そんな時代のフォーカスを、

ひしひしと感じる仲春。

もうすぐ桜前線がやってくるかな。

 

花さくら仮想現実へもひらく   ひとみ