佐賀町日記

詩人・林ひとみのスケッチ帳

詩 青むし

5月のある夜

 

音楽の流れる

スピーカーに

 

小さな青むしが

はりついていた

 

もしかすると

 

音楽がすきな 

未来の蝶かもしれない

 

思いがけない

ちいさななかまと

 

流れる音に

耳を澄ましていると

 

ゆらり

ふわりと

 

あたたかくも

すずやかな

 

夜風が

カーテンを揺らしていた

 

ひょっとすると

風も

音楽を聴いているのだろうか

 

しだいに

カーテンは

 

命あるもののごとく

音楽とともに

 

踊っているようで

指揮しているようでもあって

 

そんなとき

 

音楽が風をおこしたのか

風が音楽を奏でているのか

 

わからなくなる

 

今夜の

すこしだけ賑やかな演奏会も

たけなわを過ぎ

 

風とともに

終楽章はとじられて

 

あとには

魔法をとかれたように

 

豊かな静寂と

ちいさな青むしが

のこされた

 

さてと

青むしを

 

ベランダの

植物の葉へと見送り

 

おやすみなさい

いつかまた会おうねと

 

5月の夜の

青い夢をみる

 

そこでは

 

未来の蝶が

あたかも

音楽のように 

 

ゆらり

ふわりと

 

羽をひろげて

舞っているのだった

令和 元年

明日5月1日より元号

平成から令和になる。

 

今回2019年の改元は、

元号が一世一元に定められた明治から

大正・昭和・平成への代替わりとは異なり、

天皇陛下生前退位に伴うものだ。そのため、

巷では令和の印のはいった煎餅や饅頭を見かけるなど、

時代の節目を祝うかのごとく、雰囲気はあかるい。

 

元号のシステムは中国から輸入したもので、

日本では飛鳥時代の大化/645年にはじまり、

この度の令和は248番目になるそうだ。

のべ1374年間で248元号ということは、

平均すると5年半ほどで改元していることになる。

本家の中国の一世一元制とは異なり、

日本は明治以前には、特別な出来事があると

改元されたというから、いささかややこしい。

天災や飢饉などの災いによる改元も多かったそうだし、

はたまた、彗星の出現とか、黄金が献上されたとか、

病を癒す泉がみつかったなどの吉兆によることもあったそうで、

おおらかな世界観が、ファンタジーのようで面白い。

そのような歴史を振り返ると近代は、明治の32年、

昭和の62年、平成の30年、と長くつづいた元号だった。

 

そのように時をはかるシステムのひとつの元号だけれど、

起源には皇帝の権力を国土へ浸透させる目的をもっていたという。

現代では日本でも、広く世界で用いられている

キリスト教紀年法による西暦を併用することが多いが、

世界情勢の趨勢と関係しているのだろう。

敗戦後しばらくは、日本独自の元号制の存続が危ぶまれたというが、

家元の中国は清王朝の崩壊とともに廃止され西暦に切り替わったそうだから、

象徴天皇制とセットで継承されつづけている日本は、

つくづく慎重でしぶとい国なのかもしれない。

 

令和と発表された4月1日、

我が家にはテレビがないので、

特設された内閣府YouTubeを通して、

元号発表の瞬間を共有した。

 

わかっている限りでは、

代々は漢籍を典拠としてきたそうだから、

国書の万葉集からの典拠ということに、

あたらしさを感じる元号だった。

 

初春令月、気淑風和、

梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

/初春の令月にして、気淑く風和らぎ、

 梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす

 

万葉集は全20巻からなる歌集で、

諸説はあるが、奈良時代末に成立したとされている。

編纂者も編纂方法も統一されているわけではなく、

各巻の成立にもかなりの時間差があるようだ。

おさめられている4500首超のうち、その大部分は

629-759年頃の130年間のうちに詠まれた和歌だそうだが、

なかには詠み人を確定するのがむつかしいような

伝誦性のつよいはるか古の歌もふくまれているという。

原本は現存せず、

古くは平安時代中期に写されたという各地に伝わる部分的な写本と、

鎌倉時代に僧・仙覚/せんがくによって校定された校訂本などによって、

その全貌が伝えられているというから、奇跡的だ。

 

元号「令和」に引用されたのは、

巻第5に収められた、梅花の歌32首に添えられた序文で、

漢文で記されている。

天平2/730年の正月13日に、

福岡・太宰師の大伴旅人が邸宅で梅の花見の宴をひらき、

正月明けの太宰府参りの習わしのために

九州全域から集まった要人たちを招待したのだそうだ。

 

初春の好き月、気は麗しく風はやわらかである。

梅は鏡の前の白粉/おしろいのごとくに花開き、

蘭は帯の飾り玉の匂い袋のように薫っている。

         万葉集全解2/多田一臣/筑摩書房

 

またこの序文とよく似ているものが、

万葉集以前、6世紀の中国南朝でつくられた

詩文集「文選/もんぜん」のなか、

張衡/ちょうこうの「帰田賦/きでんのふ」に

「於是仲春令月、時和気清」 とあるという。

「文選」は当時の中国では文人の必読書で、日本でも

飛鳥、奈良時代以降、役人らに盛んに読まれたそうだ。

梅花宴の序をしたためた大伴旅人/おおとものたびとが

それらに通じていたかどうか、また意識したものかどうかは

わからないけれど、日本の文化の礎は、

梅の樹が大陸より伝来し重宝されたことと同じく、

多分に中国のそれに負っているのだ。

学術的にも精神的にもそのことを鑑みて、

今回の典拠は、中国の文選と日本の万葉集の両方から、

といえたら素敵だったし、日本の力量もなかなかだな、

と感じられたように思う。

 

当時、梅の花は白色が主流だったそうだ。

白色は、すべての色が均等・均質に混ざり合い、

それが強く反射したものだから、

すべての色を含んでいるともいえる。

 

白に、すべての色がふくまれているように、

世界には、すべての体験がふくまれているのかもしれない。

その世界は、人の意識や思考がつくっているものだから、

私たちひとりひとりが、何を考え、何を想うのかによって、

それぞれが体験する現実が異なるところが、面白い。

同じ出来事でも、人によって受け取り方が異なるし、

喜びの在りかも、幸福の在り方も、みなちがうのだ。

 

令和はどんな時代になるだろう。

 

れいわ、まだ馴染まないけれど、

なんだか、さっぱりしていて麗しい、かな。

詩 そら

木立のレースにかこまれた

土色のグラウンドに

 

空たかく

たかく蹴りあげられた

サッカーボール

 

その行方をみつめる

3歳のあどけなき少年は

つぶやいた

 

お空がわれちゃうかとおもって

びっくりした

 

そうだ

 

お空がわれたらどうなるの

ときいてみると

 

がらがらがらって

おちてくる

 

という

 

なるほど

神話の世界のように

 

そういうことも

あるかもしれない

 

わたしたちの

意識や認識は

 

ともすると

小さなおもちゃ箱に

 

がらがらがらと

 

都合よく

おさまりがちだけれど

 

ときには

よろこんで

 

少年のちいさくて

ひろい空のように

 

音をたてて

こわれてゆくのです

 

がらがらがらと

 

すると

どこからか

 

あたらしい

力がわいてきて

 

もくもくもくと

 

駆けだしたくなるから

ふしぎなのです

 

ひろい

ひろい空へ向かって

 

サッカーボールと少年が

はじけるように

 

駆けだすように

大分へゆく

4月の上旬、

九州の大分へ旅をした。

 

大分市の中心街に1泊、

そこから電車で1時間ほどの湯布院に1泊の、

小さな旅だ。

 

羽田から大分空港への約90分の空の旅は、

まるで絵巻物をみているようだ。

広い関東平野を後に、シンボリックな富士山を見つつ、

静岡や名古屋の都市を過ぎると、

森閑とした深緑色の紀伊半島が神秘的に広がっている。

再び大きな大阪平野に出会うと、

自然と人工の強烈なコントラストがまぶしいくらいだ。

そして瀬戸内海のぽこぽことした島々から、

九州のもこもこした山並みにいたると、

昔話や神話の世界に迷い込むよう。

 

大分空港からバスにゆられて、

満開の桜と菜の花のなかを市街地へ向かう。

まだ春が浅いのか、風が冷たい。

迷った末に厚手のコートを羽織ってきてよかった。

 

小さな荷物を預けて、街へ繰り出す。

磯崎新氏のアートプラザ/1966年竣工・1998年改装と、

県立美術館OPAM/坂茂建築設計・2014年竣工を巡る。

いづれもその時代を映し出す建物だ。

美術館のカフェでいただいたランチは、

「りゅうきゅう」という名の郷土料理で、

醤油などに漬けこんだお刺身の丼ご飯だった。

意外なほど大きなサラダがついてうれしい。

熊本との県境にあたる久住高原で採れた野菜ときくと、

なぜか余計においしい。くじゅう、と読むらしい。

大分府内城跡では、石垣とお濠と桜のそばで

シートをひろげてお弁当を食べている一行が楽し気で、

みているこちらも楽しくなった。

大分銀行の赤レンガ館は、旧本館/辰野金吾設計が復元されて、

アンテナショップとコーヒーショップがはいっていた。

物珍し気に物産・名産品を眺めるツーリスト・エトセトラと、

そのすぐ横に設置されている銀行のATMを利用する町の人々とは、

同じ空間に、すぐそばにいるけれども、

まるで別の次元にいて、うすいガラスで隔てられているような、

不思議な距離感が面白かった。

 

翌日は大分から湯布院へ移動する。

市街から西北西におよそ47kmの温泉郷は、

由布岳の裾野の盆地にひろがっていた。

駅のインフォメーションへ向かうと、

こちらもOPAMと同じ坂茂/ばんしげる氏による設計で、

木のアーチが印象的な天井の高い明るい空間だった。

地図をもらい、宿へ向かう道すがら、

あちこちから馴染みのない鳥の声が聞こえてくる。

チュイルチュイルチュイル、チキチキチー。

わぁ、つばめ!

東京ではめったに見ない鳥なので、会えてうれしい。

その日は早々と宿に落着き温泉にはいった。

湯布院はあちこちから温泉が湧いていて、

水質もそれぞれすこしずつ違うそうだけれど、

宿のお湯は入ったときにぴりっと刺激を感じる鉱泉だった。

透明でなめらかで気持がよいので、午後と夜と朝にも入ったが、

仲居さんによると、近年は中国・台湾・韓国・

マレーシア・インドネシアなどからの観光客が多く、

文化の違いからか大浴場にはあまり入らないそうで、

満室にも関わらずほとんど貸し切りだった。

プールへ行ってプールに入らないのと似て、

湯布院にきて温泉に入らなかったら何をするのだろう、

と、ゆげのようにぼんやりと思った。 

 

翌日は、よく晴れてあたたかかったので、

コートと荷物をロッカーに預けて、

川沿いの遊歩道を金鱗湖/きんりんこという

池のような湖まで歩いた。

桜と菜の花がいたるところでほんとうに綺麗だ。

ゆっくり歩いて30分ほどの道のりだが、

あちこち寄り道しながら散策を楽しんだ。

金鱗湖では魚がぴょんぴょん飛びはねていて、

飛びはねた魚のうろこが夕日で金色に輝くのをみて名付けられたという、

その湖名の由来を目の当たりにするようだった。

また佛山寺/ぶっさんじという古刹まで足をのばし、

見ごたえのある茅葺屋根の山門をくぐる。

江戸期の慶長豊後地震で罹災するまで、

由布岳の山腹にあったという由緒あるお寺のようで、

清明な空気がきもちよく、しばし佇む。

樹齢150年以上という椿のめずらしい大木が

音もなく花を散らせたと思うと、くまん蜂が近づいてきた。

そろそろ帰り時だろうか、

大分空港行きのバスの時間に間に合うように、

かけあしで土産物屋のひしめく賑やかな湯の坪通りを通り過ぎ、

起点の駅のバスターミナルに向った。ふりかえると、

駅から由布岳へむかってまっすぐに伸びる目抜き通りは、

古くからの山岳信仰の精神を象徴しているのだと思った。

はじめての大分の、楽しい旅だった。

 

 

ところで、大分駅からJRで由布院に移動した際、

PASMOで入場したところ、由布院駅有人改札だったので、 

現金で精算し、精算証明書なるものをいただいた。

そのことをすっかり忘れていて、

後日、人形町駅でメトロに乗るときに、

PASMOがエラーになってしまい、駅員さんにみてもらうと、

「大分??で入場したままですが」といわれて、

精算証明書のことを思い出し、事なきを得た。

PASMOの入場記録は消してもらったけれど、

たとえばおとぎ話のように、

大分の旅の記憶までは消えないだろう。

 

魚が新鮮でおいしかったこと、つばめ、桜と菜の花、竹細工、

わり箸が丸いこと、ソーラーパネルをよくみかけたこと、

人がおっとりとしていることなどを、

お土産にしたレタス・ほうれん草・春菊・しいたけ・のりなどを

食べながら、楽しく思い出している。

さくら日和

東京は今週末、桜の見ごろを迎えている。

また寒さが戻ってきたので、

花も長持ちして、しばらく楽しめそうだ。

 

3月の上旬はずいぶん春めいた日がつづき、

家のベランダの啓翁桜/けいおうざくらは

いつになく早々と咲きはじめた。けれども、

そろそろ満開の見ごろという春分の祝日に、

それはそれははげしい春の嵐に遭い、たちまち散ってしまった。

儚いというより、あっけない。

もうすぐ4歳になる甥っ子にその話をすると、

「かなしかった?」ときくので、

「すこしかなしかった。でもきっと来年また逢えるからね。」

とこたえたが、4歳児に「来年」という概念があるのかないのか、

はたまた、不思議な余韻につつまれた。

 

先日、用があって九段下や中目黒を通ったら、

まさに桜の見所のため、

ほんとうにたくさんのお花見のひとたちで賑わっていた、

というより混雑していた。 

自分がお花見で訪れたわけではなかったので、

一瞬いらっとしてしまい、おっといけないと思い直した。

すこし空いた時間に靖国神社を歩いてみると、

創立150年になるとのこと。

1869/明治2年当初は「招魂社」と名付けられていたようで、

戊辰戦争で亡くなられた方々を祀ったことを起源に、

以降の、西南戦争日清戦争日露戦争満州事変、支那事変、

そして大東亜戦争に至るまで、およそ246万6千余の霊が

御祭神として祀られているという特異な神社だ。

内外の戦争を抜きには語れない国家の、

あるいは人間の歴史を振り返ると、

その血なまぐささに足がすくんでしまう。

通りがかりにお参りを、というちょっとした気持ちでは

参拝しづらいので、拝殿までは行かず、

といって桜を愛でるというのでもなく、

ただなんとなくお花見の雰囲気に心がいっぱいになった。 

 

平和という言葉はさまざまに定義できるとしても、 

お花見を楽しめる世の中を、ひとまず平和と表現したい。

 

 

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さくら 2019

ベランダの鉢植えの

啓翁桜/けいおうざくらの花がふたつ咲いた。

 

昨夜からぱらぱらと降り始めた雨は、

朝方にはしっかりした雨足になり、

今朝もしずしずと街に降りつづいている。

春の雨はなんだか音がないように静かだ。

ここのところ、晴れたり降ったり、

降ったり晴れたり、と目まぐるしいお天気だけれど、

大気は日に日に春の暖かさにほどけてゆくよう。

 

そんななかベランダの桜の花は、

例年なら大方揃って咲きはじめるところを、

今年は蕾たちの様子がまちまちで、

それぞれ咲きたいときに咲きましょうといったふうに、

一足先に2輪が咲いた。

一卵性の双子のような通じ合い方で、

ふたりして春が待ちきれなかったのかもしれない。

昨夏の猛暑でかなりダメージをうけたにもかかわらず、

淡いうすピンク色の花は、何事もなかったかのように、

しずかに喜びを表現している。

 

74年前の昨日は東京大空襲、 

8年前の今日は東日本大震災が発生した日だ。

 

そして今日、

また今年の桜の花に逢えてうれしい。

枝ものから挿し木して、ちょうど10年になる。

 

いつの間にか、雨が止み、

やわらかな陽が射しはじめた。

降ったり晴れたり、をもうしばらく、

春の訪れと桜とともに楽しみたい。

 

  

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パンつくり

日に日に春めきつつある如月も後半、

空気の乾燥もずいぶんやわらいで、

夜半に空高くのぼった月は、この時期ならではに、

ぼんやりと霞がかった光が幻想的だった。

 

そんな或る日、お店で酒粕をみつけて、

思い出したようにひさしぶりに

酒種酵母のパンをつくった。

 

夜に生地を仕込んで、

翌朝にきちんと発酵しているかどうか、

わくわくしながら鍋の蓋を開けると、

生地も香りもふっくらとふくらんでいて、うれしくなる。

そしてそのままホーロー鍋を火にかけて、

どうかパンが美味しく焼けますようにと祈るばかり。

 

家族曰く「中世の修道院のパン」だそうだけれど、

もっぱらプリミティブに、

塩とオリーヴオイルで食べるのがすきだ。

もぐもぐむしゃむしゃ、とても美味しい。

また材料もごくシンプルなので、

小麦の種類や銘柄を変えると、ずいぶんと様子も異なり面白い。

たとえば全粒粉はミネラルや微量栄養素をもれなく摂取できるし、

複雑な味わい深かさが魅力だけれど、生地の膨らみが控えめだったり、

ちょっとごわごわと食べにくいこともあるので、

その精製具合とか粉の配合などを、あれこれと試して楽しんでいる。

といってオリジナルのレシピを考案したいのではないから、

ほんとうに気まぐれに行き当たりばったり、というのがすきなのだ。

 

木の芽時を間近に、植物を倣ってか、

心なしか身体がむずむずしているここ数日。

私たち人間も生き物のなかまとして着々と、

春仕様へと支度をしているのかな。

 

 

 

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