かぼす 2018

今年もかぼすの季節がやってきた。

 

猛暑や台風などの変りやすいお天気にもめげず、

むしろ寒暖の差のはげしさも手伝って、

今年はたとえばぶどうの実りがよいときいたけれど、

9月のおわりに届いた大分のかぼすも、

いつになく元気いっぱいだった。

 

夏はあんなに暑かったのに、

台風がきて急に寒くなったり、

また突然暑くなったりしたのに、

あなたへっちゃらだったのね、すごいわね、

といいながらレモネードならぬ

カボスネードをつくって飲んでみる。

すっぱあまい、しぼりたてはほんとうにおいしい。

 

いつものように

パスタやうどんにかけたり、

はちみつ漬けをつくったり、

種でローションをつくったり、

皮をお風呂にいれたり。

 

今年ははじめて寒天ゼリーをつくってみた。

粉寒天4gを水400ccにしばらくなじませて、

中~弱火で3分程ようく煮とかし、

火からおろしたらはちみつ約80gを加えて、

粗熱がさめたらかぼす大3個くらいの果汁100ccと混ぜ合わせて、

冷めたら出来上がりだ。

 

簡単で美味しかったのだけれど、

うっかり水の分量をまちがえて

カチンコチンになってしまったり、

甜菜糖でつくって

鮮やかなイエローが茶色になってしまったり。

 

そういえば、

なにか落としたり零したり忘れたりと、

なんだかぼっーとしている数日だけれど、 

秋の深まりつつある一日一日を、

ゆっくりとした気持ちで過ごしたい10月だ。


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声楽公開レッスン ウィリアム・マッテウッツィ

先日、国立音楽大学・講堂小ホールで

声楽の公開レッスンを聴講した。

 

講師はイタリアから招聘された

William matteuzzi/ウィリアム・マッテウッツィ教授で、

2015年以来、毎年来日し講義されているそうなので、

今年で4年目・4回目になるのだろうか。

イタリア北部・ボローニャ出身のテノールで、

とくにロッシーニの歌い手として名高いそうだが、

バロックから近代までレパートリーは幅広く、

またフランス音楽にも造詣が深く、

hight F をファルセットではなく実声で歌える、

驚異的な高音域をもっていらっしゃるとのこと。

 

今回のマスタークラスでは4人のレッスンが公開され、

そのすべてのステージが充実し見応えがあった。

昨年以前にも何度かみていただいている受講生もいて、

そういう場合、声も気心も多少知れているというふうで、

よりパーソナルで具体的なレッスンへと進展したことも、

興味深かった。

 

ソプラノ2名、メッゾ・ソプラノ1名、テノール1名の

各40~50分前後のレッスンは、

まず「あなたのいいところは〇〇」からはじまって、

曲の構造や演奏記号を確認しつつ、

具体的な課題にフォーカスしてゆくという流れだった。

公開レッスンというデリケートな環境にある

受講生をリラックスさせ、聴講生たちもふくめて、

指導をよりよく受容できるような雰囲気に満ちていた。

 

各レッスンに共通する発声のトピックスは明瞭だった。

 発声の3本柱として、

・一定の息を送りつづけること。

・マスケラに集めた響きをつくること。

・軟口蓋をあげて喉頭をさげて、共鳴空間をつくること。

をあげていた。

 

また度々「molto molto molto 」といって、

時には片言の日本語で「もっと もっと もっと」といって、

軟口蓋をあげてその上を音が通過するように、

ハミングの響くところ・マスケラをつかって、

頭部から音響がでてゆくように、

子音 r や d がはっきりと聞きとれるように、

などがくりかえされた。

 

よくいわれる支え/アッポッジョについては、

意識しすぎて必要以上に力んだり踏んばったりすると、

つられて胸部も緊張して硬くなり、

息が通らなくなって、音がとじこもってしまうから、

支えが必要と思ったら、とにかく息を送ること。

というアプローチ法は明快だった。

 

換声点/パッサージョあたりの音域で不安定になったり、

母音 a や e が、ひらきすぎたりおおきすぎたりして、

ピッチが落ちてしまいがちな問題についても、

実際に歌って音の違いを明確にしていただき、わかりやすかった。

なかなか自分では気づきにくいので、

よほどの注意が必要だと思った。

 

所々で表現を変えながら伝えられた問題の解決法は

かけがえのないもので、たとえばよく知っているものでも、

とても新鮮に、新しいことのように聴こえたから不思議だ。

高音は力をつかってださずに、響きを一点に集める。

息がまわらないと思ったらトリルをすると楽になる。

頭に r をつけてみると余計な力が抜けて息がとおりやすくなる。

ni・mi で響きの場所を確かめてから歌詞でうたう。 

などなど。

 

3時間半にわたる全レッスンは

ほんとうにあっというまだった。 

 

「発声の説明は十分で済むが、身につけるには十年かかる」

というルネ・フレミングの言葉をかみしめながら、帰路につく。

また来年も聴講したい。

バラの花

4月に挿し木したばかりの

バラの樹に、一輪の花が咲いた。

 

まだ背丈も30㎝にならないくらいの

子どもの樹だと思っていたので、

つぼみができて、ふくらんで、

日々すこしずつひらいていく様子に、

ほんとうにびっくりした。

 

昨年11月に切り花でいただいた時と同じく、

花は華やかな深紅色だ。

緑色のグラデーションに彩られた

ベランダの鉢植えたちのなかで、紅一点、よく映えている。

ところがその形は、先代は手毬のようにまあるい

ボリュームのある八重の花だったのだけれど、

当代は8枚の花びらが、いささか平らに

お星さまような形にひらいている。

肥料を与えていないせいもあると思うけれど、

野生にかえって、人の意向を気にしないで

すきに咲いているというふうで、清々しい。

 

もしバラが言葉を話せたら、なんていうだろう。

「切られて、運ばれて、植えられて、

 どうなることかと思ったけど、

 今のこの場所なかなか気に入ってるんだ。

 生きてるって、すごく楽しいね!」かな。

 

今日はちょうど秋分の節日だ。

バラの種名がわからないので、 たとえば

「Autumnal Equinox Rose/秋分のバラ」

と名付けてみよう。

気に入ってくれるかな。

 


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ルネ・フレミング 魂の声

アメリカのオペラ歌手

ルネ・フレミ ング/Renée Flemingの自伝

「THE INNER VOICE : The Making of a Singer

/魂の声 プリマドンナができるまで」を再読した。

 

冒頭でも語られているように本書は

人生の自伝というよりも声の自伝、

「私がいかにして自分の声を発見したか、

 いかにして声を磨きあげたか、そして、

 それがいかに私自身をも磨くことになったか

 という物語である。」

 

ことあるごとに、

部分的に何度も何度も読み返している本だけれど、

ひさしぶりに全編を通して読んでみて、

その内容の豊かさと素晴らしさに、感動を新たにした。

本文の執筆が本人によるものか

ライターによるものかはわからないけれど、

内容が充実しているのはもちろんのこと、

そのナチュラルでスムーズな文体はほんとうに読み心地がよく、

中村ひろ子氏の翻訳の巧みさも印象的だった。

 

ルネ・フレミング/1959.2.14ーは

アメリカ北東部のペンシルヴァニア州に生まれ、

隣のニューヨーク州ロチェスターで、

ローカルな音楽家声楽家だったという両親のもと

音楽にかこまれた環境で育った。

曽祖母がプラハから渡ってきたというから

ヨーロッパの血がすこしはいっているようで、

その娘で祖母にあたる先代も音楽を嗜んでいたそうだから、

クラシックの声楽家を志すようになったのは、

ごく自然な成り行きだったのだろう。

地元のニューヨーク州立大学・クレイン音楽院に入学し、

イーストマン音楽学校・大学院を経て、

ジュリアード音楽院・博士課程の2年目に、

フルブライト奨学金を得てドイツに留学。

帰国および卒業後はしばらく下積みの時代が続き、

オーディションにチャレンジし続けて、

1988年29歳の時に待望の転機が訪れる。

メト・ナショナル・カウンシルをはじめとした

オーディションやコンクールなどに合格し、

マネージャーを得て、ヒューストン・グランド・オペラの

モーツァルトフィガロの結婚」の伯爵夫人役で、大成功する。

そして結婚をして娘をふたり産み育てながら、

世界中のあちこちでオペラに出演し続けるという

順風満帆で目の回るような数年が続く。

その後、子どもたちの成長にあわせて、

あちこちを飛び回る多忙なオペラの仕事をセーブし、

リサイタルやコンサートとのバランスを図りつつある頃、

10年ほど連れ添ったパートナーとの離婚をきっかけに、

精神的な危機を体験する。

思わぬ長いトンネルをくぐり抜けて、自分を見つめ直し、

自信を取り戻してゆくその過程は、とても人間的だ。

一方で、天性のバイタリティやスタミナや磨かれた歌声は、

なんとも超人的という印象で、びっくりするばかり。

師事したビヴァリー・ジョンソンは

「鋼鉄の芯をもつ聖なる大地の母」と、

アシスタントたちは「ビロードの鞭」や

「ハリケーン」と形容したそうだから、わかりやすい。

声種は典型的なリリック・ソプラノといわれ、

レパートリーはヘンデルから現代曲初演まで幅広く、

得意とするのは「フィガロの結婚」の伯爵夫人、

ドヴォルザーク「ルサルカ」と

マスネ「マノン」のタイトルロール、

シュトラウスばらの騎士」のマルシャリン、

同じく「カプリッチョ」の伯爵夫人などだろうか。

ヴェルディラ・トラヴィアータ」のヴィオレッタも

素晴らしいというのみならず、学生の頃にジャズを歌ったり、

映画のサウンド・トラックに参加したり、

最近ではビョークのポピュラーソングをアレンジして

アルバムに収めたり、歌唱や流儀が柔軟なところもユニークだ。

 

本書のオリジナルは2004年に、

翻訳は2006年に春秋社から出版され、 

聞くところによると、日本のある音楽大学

声楽科の教材になっているという。 

所どころで触れられる

発声の秘訣はほんとうに興味深いし、

オペラでの経験談や解釈は、とても面白い。

またひとりの女性として、

とくに母親としての在り方には、深い感動を覚えた。

 

本書を初めて読んだのは、

声楽を習い始めてすこし経った2014年頃で、

名前はきいたことがあるけれど、

歌声をきいたことはあったかな、という程度だった。

友人にすすめられたことがきっかけで、

図書館で借りて読み始めるとすぐに夢中になり、

たちまち彼女が大好きになった。

まるで世界中で私ひとりが知る宝物を

手にするかのようにときめきながら読んだのだから、

かわいいようなおかしいような。

ある歌手との出会いが、

歌声/OUTER VOICEよりも先に

書物/INNER VOICEであったことが、

適当だったかどうかわからないけれど、

私にとってはよかったのだろう。

いまでは大好きで身近なその歌声だけれど、

たとえば先に聴いていたら、好きになっていたかどうか、

本を読むことになったかどうかわからないのだから、

人の心の仕組みは不思議だと思う。

 

 「音楽は、傷つきやすかった若き日の私に、

 言葉にできない感情を表現する術としての声を与えてくれた。

 そして今の私には、人びとに語りかける比類なく神秘的な

 力をもった声を与えてくれた。」

 

おそらく4度目の来日公演となった

2017年3月、東京国際フォーラムでの

プラシド・ドミンゴとのコンサートでは、

とっても高価なチケットをなんとか購入して、

豆粒大の彼女のステージを観ることができた。

あんまり熱心に双眼鏡をのぞいたので、

きもちがわるくなってしまったくらいだ。

とくにヴェルディシモン・ボッカネグラ」の

アメリアとシモンとの二重唱が聴けてうれしかった。 

アンコール・ステージの際には、

ドミンゴ喝采にくらべると、隣席のご婦人が

「あら、またあの女の人も歌うの?」といっていたように、

日本での人気は海外ほどではないらしい。

 

いつかまた、

できればリサイタルを聴けたらうれしい。

そしてこれからも、

バイブルのように本書を参照しつづけるだろう。

あつい夏

2018年の夏はほんとうに暑かった。

ときどき台風が通り過ぎて

つかの間の涼しさにほっとすることもあったけれど、

またすぐに太陽がギラギラと、

そのうちにメラメラと、

降りそそぐ熱量がすさまじかった。

 

小学校の中学年頃だったか、

夏休みの宿題のひとつに絵日記があった。

クラスメイトのある男の子のそれは、

7月27日「今日もあつかった」

8月11日「今日もあつかった」

8月23日「今日もあつかった」という調子で、

その日の出来事を象徴する絵に添えられた言葉は

ほとんど「今日もあつかった」だった。

当時はなんだかちょっと可笑しいような、

いい加減に済ませたように感じたのだけれど、

あるいはそうでもなかったのかもしれない。

まさに今年の夏は、

ほんとうに毎日「今日もあつかった」。

 

人間もたいへんだったけれど、

植物もさぞたいへんだったと思う。

私たちは必要に応じて、水を飲んだり、

日陰にはいったり、エアコンを使うことができる。

植物は人の羨むような光合成という天性をもつ一方で、

自分の意志で水を得たり、場所を移動することはできない。

その場所で、どのような環境でも生きようとするだけだ。

街路樹はおおかたくったりしているし、

我が家のベランダの植物たちも、

鉢の中でじっと日照りをやり過ごしている。

かなり堪えている様子なので、

できるときは朝と昼と夕と夜に、給水する。

例年の夏は朝と夕だけで問題なかったのだから、

今年の夏のあつさは特別なのだろう。

 

そのような猛暑のつづくなか、

先日4日間、家を空けることがあった。

やむを得ぬこととはいえ、

ベランダの植物たちが気がかりで、

滞在先では東京都江東区に雨が降るように祈った。

雨乞いは天に通じるだろうか、

そうこうして帰宅してみると、

やはり植物たちはみな瀕死の状態だった。

彼らの悲鳴がきこえるようで、

大急ぎで給水し、給水し、給水して、

12鉢のうちのほとんどは、

翌日および翌々日にはなんとか一命をとりとめた。

ダメージがのこったものもあったが、

なんとか気を取りなおしてくれたようで、ほっとした。

けれども、水がだいすきな北海道産のミントと、

春に花咲く山形県産の啓翁桜/けいおうざくらは、

致命傷だったのか、どんどん衰弱してゆくばかり。

桜の葉はずいぶん枯れ落ちてしまい、

枝先につきはじめていた来春の花のつぼみも、

やせて元気がない。

なんとか持ちなおしてくれますように。

ミントはほとんどすべて干からびてしまい、

一週間後にはもはやこれまでと諦めかけた。

とすると、まるで錯覚でもみるように、

枯れ果てた茶褐色の枝葉の奥底から、

ほんのちいさな緑がぽつと頭をのぞかせたのだ。

はじめは半信半疑だったが、

数日を経てはっきりとした若葉がぽつぽつと、

地面近くから芽吹きだしたので、

まるでキリストの復活の奇跡をみているように、歓喜した。

ほんとうによかった。

 

また、数日の干ばつにもめげず、

すこぶる元気だったのは、

4月に挿し木をしたばかりのバラの幼樹だった。

なるほどアフリカ原産というだけあって、

暑さと乾燥には強いらしい。

新葉をぐんぐん伸ばして、ちいさな棘もピンピンと、

むしろ絶好調といったふう。

 

暦のうえでは初秋といえど、

あつさはもうしばらく続きそうなので、 

すこしでもバラの気持ちで、

元気に9月を迎えたい。

40年

今年2018年の8月で40歳になる。

はじめて到達する年代に、今まで感じたことのない、

ほどよい重みを感じている。

 

たとえば、木の年輪やバウムクーヘンの重なりを

ひとつずつ数えてみる。

1.2.3.4.5・・・10・・・20・・・30・・・と、

30くらいまでは気軽なのだけれど、

40まで数えてみると、それなりに数え応えがあって、

また見応えのある年輪、という感じがするのは

気のせいだろうか。

 

すこし前の世代の人たちは

年齢を数え年で数えるのが一般的だったときく。

新年を迎えると同時に齢をひとつ重ねるなんて、

ずいぶんせっかちで紛らわしいなと感じたものだけれど、

今年40歳をむかえる身になって、はじめて

数え年で数えたい気持ちになったのだから、不思議だ。

なるほど確かにせっかちだし、

当事者でなければ取るに足らないことなのだけれど、

新年を迎えたばかりの元旦に、

「今年で40年生きたのか、よくがんばりました」

という達成感にも似たどっしりとした感慨が

自然と湧き上がったのは、新鮮な体験だった。

 

学生の頃の夏休み、

群馬の祖父母の家に滞在しているときに、

祖母の古くからの友人というおばあさんがふたり、

ふらりとやってきたことがあった。

久しぶりの再会なのかそうでもないのか、

土地柄を感じさせる独特のイントネーションとともに、

そのとき交わされた会話のユニークさを

今でもよく覚えている。

わたしはおせんべいをかじりながら

耳を傾けていたのだけれど、

お茶を飲みながらの和やかな談話は、

いつのまにか年齢のことに及んで、

同年齢らしきおばあさんたちは其々、

「あなたの誕生日はいつだったかしら」「5月よ」

「わたしは3月生まれだから、あなたより2か月も年上よ」

「あら、あなた2か月もお姉さんなの、あなたは何日生まれ?」

「わたしは〇月◇日生まれだから、何処どこの◇〇さんより

10日もお姉さんなのよ」などと、

ほんのすこしでも年長者であることが一大事であるかのように

感嘆し合っていたのだ。

より多く生きることは誇らしいこと

という人生観を垣間見るとともに、

そのときの屈託のない天衣無縫なお姿からはかえって、

おばあさんたちが生きてきた時代の厳しさが偲ばれるようだった。

子どもの死亡率は現在とは比較にならないほど高く、

細菌・ウィルスなどによる疫病や不治の病は身近で、

大きな戦争も経験してきた世代の方々。

生きることの切実さはいつの時代も変わらないだろうけれど、

その様相や生存条件はおおきく異なるのだろう。

なんだか「あなた40歳なの、まだほんの子供なのね」

といわれそうで、うれしいような頼もしいような。

 

中国の思想家・孔子の語るところを

弟子たちが記した「論語」の名文句を思い出す。

「吾15にして学に志す。30にして立つ。40にして惑はず。

 50にして天命を知る。60にして耳順ふ。

 70にして心の欲する所に従ひて矩/のりを踰/こえず。」

人によって歩みの緩急はあるにしても、奥深い人生談だ。

 

新しいフェーズにはいった私の人生が、

より充実したものになりますように。

声楽の発表会

猛暑が続く東京は代々木上原ムジカーザで、

声楽の発表会を鑑賞した。

 

5月から通い始めた声楽教室の発表会と、

フランス歌曲を専門とする先生が敬愛する

ドビュッシー/1862‐1918の没後100年を

記念したミニコンサートを併せての、

ボリュームたっぷりのマチネとソワレだった。

 

声楽を志す色々な方々の歌唱を聴くのは

とても興味深く、勉強にもなったし、

なにより全身全霊で唱う姿に惹きつけられた。

 

いつも思うのは、

声という楽器はほんとうにひとりひとり異なって、

それでいてどの声も素敵だということだ。

楽器としての熟練度はさまざまだとしても、

それぞれの美質が自然とあられて、とても魅力的で、

豊かだなと思うのだ。

 

熟練した安定感のある歌唱が素晴らしいのはもちろん、

歌唱芸術はそのうえに成立すると思うけれど、

未熟さが垣間見えるパフォーマンスから受ける感動も、

ときにとても強いものだった。

それはなんというか、芸術的な感動とは異なるのだけれど、

何かを強く表現したい、

自分は自分らしく在りたい、

そして自分を更新してゆきたい、という

ひたむきな情熱のようなものが伝わってきて、

人の本気というのはすごいと思った。

 

声楽の技術の基礎的なことに関しては、

むしろそのような発展途上の姿から、

より多くのことが学べるように思う。

他者の歌声を知ることで、

自分をよく知ることができるし、

よいお手本と、よくないお手本と、ふたつが揃って、

はじめて完全に機能し、理解できるというように。

 

コンサートホールのMUSICASAは、1995年に

鈴木エドワード建築設計事務所の設計により建てられた

きめ細やかな雰囲気の音楽の家で、

天上の高いホールには採光が施されて開放的で、

音響もよく、人気のホールということだ。

 

ニコンサートで演奏された

フランスの作曲家ドビュッシーの音楽は、

ピアノのソロ曲と二重奏曲に、

フルートとヴィオラとハープの三重奏曲という

バラエティーに富んだプログラムだった。

はじめて聴く曲ばかりだったけれど、

たとえば蝉がカラを抜け出して羽ばたくように、

音楽が楽譜から音へと羽ばたいてゆく現場に、

ときめくような時間だった。

とくに、晩年の53歳頃/1915年の作品、

2台のピアノのための「白と黒で」第1曲は、

2人のピアニストの音が絡み合って

情熱的でとても楽しかった。

ピアノは弦楽器であり打楽器なのだと

感じ入るクールなステージだった。

 

いくぶん暑さが和らいで

ほっとひと息つく夜の帰り道に、ふと想像してみた。

たとえば私たちの多くが、声楽曲で歌われることの多い

イタリア語やフランス語を理解しないのと同じように、

ほとんど日本語を理解しないであろう国の人々を前に、

やはりあまり日本語を理解しないであろう異国の歌手が

日本歌曲を原語で披露するステージを。

なんだか不思議なような興味深いような。

と同時に、母国語の歌曲を唄うことに、

あこがれを感じたのだった。

 

合唱の世界では

新旧の作曲家によって日本語の合唱曲が

たくさん生まれているのだから、

歌曲がもっとつくられて歌われたらいいなと思う。

あるいはかつての

素敵な日本歌曲をさがしてみるのも楽しそうだ。

 

ちらほら、みんみん、じーじー、と、

蝉の鳴き声がきこえてくる夜だった。