佐賀町日記

林ひとみ

秋の台風

秋の台風シーズン。

9月も大きな台風がふたつ、

日本列島を通り過ぎた。

 

はじめ南洋の海にうまれた熱帯低気圧は、

移動しながら強風を伴う台風へと発達し、

陸上の寒気と出会うことで勢いを失って、

やがて温帯低気圧となって消滅する。

 

9月の中旬、とくに大きな台風14号や、

15号がたてつづけにやってきて、どきどき。

ベランダの鉢植えも、

東にバタン、西にバタン、と大忙し。

葉が傷ついたり、小枝が折れたりしたけれど、

かえって強くなりますように。

 

お空の天気と地上の生活とは、

ゆるやかに連動しつつ、独立してもいる。

台風の心配されるさなか、

ある日は句会に、ある日は演奏会を聴きに、

ある日は声楽の小さな発表会に参加した。

どの日もレインブーツを履いて出掛けて、

場合によっては出先でパンプスに履き替えた。

 

ふと思い出したのは、古い時代のオーストリア

城壁に囲まれていた18世紀頃のウィーンの街の、

その城壁の外側にオープンしたばかりの市民劇場で、

W.A.モーツァルトの「魔笛」が初演されたころのお話。

上層の人たちが城壁内の宮廷劇場で観劇を楽しむ一方で、

郊外のフライハウスという複合施設の一角にあった、

当時のアウフ・デア・ヴィーデン/現アン・デア・ウィーン劇場。

雨が降るとひどくぬかるんで、泥だらけにならないと

辿りつけないような場所だったときいた。

高貴な人々の用いるイタリア語やフランス語ではなく、

大衆市民の言葉だったドイツ語での上演で、

カウンターあるいはサブ・カルチャー的な

舞台だったのかもしれないと思うと、なんだか不思議。

 

そのモーツァルトのオペラ・アリアの録音が大すきな、

ペルー出身のテノール歌手F.D.フローレスのコンサートを

上野の文化会館で、台風の夜に聴いた。

パンデミックの直前2019年の12月に、

ピアノとのリサイタルをオペラシティで聴いて以来、

今回は東京シティ・フィルとの一夜のコンサート。

およそ2300席の大ホールはきれいにほぼ満員で、

台風にびくともしないその人気がうれしい。

得意のロッシーニドニゼッティベル・カントから、

ヴェルディをすこし、そして近年のレパートリーの

フランスもの、ラロ、マスネ、グノーなどを歌ってくれた。

印象的だったのはドニゼッティの「清く美しい天使よ」と、

アンコールの「連隊の娘」のトニオの有名なアリア。

それからギターを弾きながらのブラジル音楽、

トマス・メンデスの「ククルクク・パロマ」は、

こんなに沢山の観客に囲まれているのに、

世界でたった独りぼっちになってしまったみたいな切なさが伝わってきて、

人の弱さや強さ、喜びや哀しみをよく知る人なのだと、感動する。

それらを表現する技術、

声のやわらかさやフレージングの優美さなどが奇跡のよう。

最後に英語で、「TAIFU」のなかをきてくれてありがとう、

というようなことを言っていたと思う。

語尾のUにあるアクセントが耳にのこる。

こちらこそ、

東洋の小さな島国に来てくれてありがとう。

 

台風のあとは、空気が澄んでとてもきれい。

音楽に、心も澄んで軽くなる。