新年の松の内が明けて、
小正月も過ぎた頃の寒朝、
見学会へ参加した。
およそ20年ごとに
新しいデザインに切り替わるお札は、
今年7月3日から発行されることに。
さらにその前の肖像を調べてみると、
福沢諭吉は変わらずで、
ほとんど無意識に日々使っているお金。
その一端を垣間見る見学会。
日本銀行/NIPPON GINKOは、
その名のとおり国の中央銀行で、
設立のきっかけは
1877/M10年におこった西南戦争にあるというから驚く。
当時の明治政府は、戦争の費用を調達するため、
たくさんお札を発行したので、お金の価値が大きく低下、
今でいうインフレーションが起こってしまったので、
お金の価値の安定を図る目的で、
1882/M15年に日本銀行が設立されたという。
ジョサイア・コンドル設計の煉瓦館を本店として使用、
1896/M29年に辰野金吾設計の本館が現在地に、
江戸時代の金座跡地に6年がかりで建てられて、
大正の震災・昭和の戦災をくぐりぬけ、
増築を重ねながら、今に至ること142年。
円の旧字「圓」がお金の単位になった
1871年/M4からは153年で、意外に歴史は浅いのだ。
本館は石造りの立派な建物で、
中庭のドリス式の石柱に触れてみると、
ざらざらっとして、ひんやり冷たい。
竣工当初の風景に思いを馳せる。
きっとみんな着物で、
背丈は今より低かっただろうな。
見学会は予約制のぴったり60分。
参加者は17人くらい、
今はもう使われていない本館の、
3階建ての2階、赤いカーペットの回廊を、
歴代総裁の肖像画を眺めながら一巡する。
三菱財閥を興した弟の岩崎彌之助や、
渋沢栄一のお孫さんの敬三さんなどが印象深い。
26代目まで絵画で、以降は写真となり、
先の黒田さんは31代、今の植田さんは32代だそう。
開業当初55人だった職員は、現在は4600人、
うち2700人が本店勤務で、全国に32支店、
12事務所、海外に7事務ある、特別認可の法人体制。
かつて役員の集会室だったというドーム真下の八角室は、
資料の展示室となっていて、そのなかに珍しい拍子木も。
在りし日の合図として、
始業の「はじめ」に3回、終業の「おしまい」に4回、
拍子木が鳴らされたというから、趣深い。
それから電信の暗号表のような分厚い帳面もあって、
「ルアコ」とか「ルサヤ」とかいう、
意味のないカタカナの羅列に妙に惹きつけられたり。
その後1階へ戻り、一旦新館のほうにぬけて、
2016年から3年がかりで免震化工事した様子を見学。
75000㎏という想像を超える重さの本館を、
まるごと持ちあげて耐震補強したというからすごい。
そして全体が金庫になっている地下1階の、
分厚い金庫扉や、展示室となっている金庫室をみてまわる。
1億円分のダミーの札束10㎏を持ちあげて、
大きさも重さもお米みたいだなと思ったり、
新紙幣のホログラム技術をフラッシュをたいて楽しんだり、
浴室のようなタイル張りの庫内はずいぶん天井が低いなと感じたり。
最後に1階正面、もっとも装飾的な内装の、
銀行窓口として活気に満ちていたであろう客溜へ。
1969年まで使われていたらしい。
「おしまい」の拍子木4つ、これにて了。
記念に約2万円分のお札の細片をいただいた。
およそ1万円札は1~4年、千円札は1~2年で、
傷んでしまうので、ごく小さく裁断してお役目御免。
現在はお札そのものを介した取引というよりも、
銀行間での数字の移動がほとんどで、
日々およそ100兆円が動ているのだそう。
丸いめだまのような印象的なシンボルマークは、
「日」の古代漢字・篆書体/てんしょたいなのだとか。
お金というひとつの豊かさが、
お日さまのように、
隅々まであまねく、行き届きますように。
「日本銀行創業の地」の石碑があるとか。
近いうちに見にいってみよう。