今年の夏は特別に暑かったらしい。
35℃超の猛暑日が連続○○日とかで、
毎年どんどん暑くなるから、
あまり違いがわからない。
9月になってもだいたい暑くて、
でも蟬はいつのまにか、もういない。
ベランダの植物たちもくったりしているなか、
挿し木したバラはとても元気で、
野生種のような花を2つ、また咲かせてくれている。
まず萼/がくが、つづいて蕾がゆっくりひらいて、
うんとゆっくり時間をかけて朽ちてゆく、赤い花。
そのすべての変化が成長にみえてくる。
国立音楽大学で毎年公開されている、
といってもパンデミックをはさんでだけれど、
声楽のレッスンを聴講させていただいた。
ドイツ・リートの白井光子先生と、
ベル・カントのウィリアム・マッテウッツィ先生。
先生方が心から音楽を愛していること、
レッスンをとても楽しんでいることが伝わってきて、
なんてうれしい7日間。
おふたりの先生に共通していたのは、
自然な声がいちばんということだった。
自然というのは、
作った声、装った声ではなくて、
その人の本当の声、オリジナルの声、ということ。
でもそれを見極めるのは、それほど簡単ではなくて、
優秀な学生さんたちだから、
色々な歌い方がけっこうできてしまう。
その人の好みの声とか、理想の声とかに、
それなりに近づくことができて、
聴いていてもとても上手にみえる。
でも先生方にはすぐわかるようで、
一人ひとり異なるアプローチを辿って、
聴こえ始めた声には、ごまかしのない説得力と、
過不足のない美しさがあった。
声というひとつしかない楽器が、
次々とひらかれてゆく瞬間のときめきも。
今はメディアが発達して、手軽に、
本当にたくさんの演奏に接することができる。
そのこと自体はポジティブなことだとしても、
You Tubeで勉強しないでね、と、
おふたりとも繰り返されていた。
音楽が大すきな学生さんほど、
勉強のためというよりは、
ただただ好きで聴いてしまうのではと思ったり。
先生方に共通のテーマがある一方で、
異なるメソッドがあることも、とても興味深かった。
マッテウッツィ先生は、
ベル・カント400年の歴史を負うて、
マスケラの響きをとても大切にされていた。
一方、白井先生は、
学生の時にマスケラと習ったけど、
すぐにやめちゃった、とおっしゃっていた。
自分には合わないと思われたのか、
イタリア語とドイツ語の違いなのか。
とはいえ、よく開発された頭声を
大切にされていることに変わりはなかった。
ひとりひとり楽器がちがうから、
その奏で方も、美しさも、みんなちがう。
「その人の声でなければ表現できないこと、
その人の想っていることでなければ表現できないことがあります。
そしてそれが美しいと私は思っています。」
という内藤明美先生の言葉を思い出しつつ。
/日本声楽家協会・オンライン研究会20230909
素敵なパフォーマンスを聴かせていただいて
どうもありがとうございました。涙も少し。