佐賀町日記

林ひとみ

F・D・フローレスのリサイタル

1月の終わり、

春の兆しにみちた暖かい夜に、

上野の文化会館で、

ペルー出身のテノール歌手、

ファン・ディエゴ・フローレス

リサイタルを聴いた。

 

今回はプログラムの予告にモーツァルトのオペラから

ティートの2つのアリアが組まれていて、

この人のモーツァルトが大すきな私にとっては、

昨年10月のチケット発売日から、

心待ちにしていたコンサートだった。

 

大ホールの2300席は老若男女でほぼ満員。

でも当日券も少しはでていたみたい。

お隣の席の女性は、

はるばる島根からおひとりでいらしたという。

パンデミック前には、

ペーザロにもウィーンにもスカラ座にも

行ったという、フローレスの大ファンで、

1回聴くと、それから1年は幸せなのだというから、すごい。

70代位の方だけれど、ひと昔前の3大テノールは眼中になく、

この人は特別なのだと力説されていて、なんて楽しい。

 

当日のプログラムは

前半にモーツァルトロッシーニ

後半はオール・ヴェルディだった。

東京フィルハーモニー交響楽団

快活な若手指揮者ミケーレ・スポッティの、

オペラ「皇帝ティートの慈悲」の序曲につづいて、

ティートのふたつ目の大アリアのほうから歌いはじめた。

舞台に出てくるときの間からも感じたのだけれど、

この日、体調に少し不安を抱えているようで、

しかも難曲「Se all’impero, amici Dei」を前に、

両手で鎖骨を広げるような仕草をしていたのが印象的だった。

いつもの蝶ネクタイの正装ではなく、

ジャケットの下に丸襟の黒シャツで、

そんなことも体調と関係があるのかもしれないと思った。

アンコールのときにパフォーマンスも兼ねて、

肩苦しいとでもいうように

蝶ネクタイを外して放り投げてから歌う人だから。

歌がはじまると、声量は十分と思えるのに、

くちびるの力なのか、声のあたるポイントのせいか、

声がこもって外にとんでゆかない感じだった。

大スターでも、そんなことがあるのだと学ぶようで、

お隣の方は、自分の耳が遠くなったのかと心配したらしい。

ご本人が一番わかっているのだと思う、

1曲目を終えてオケの方を向いて、ズボンの右ポケットから

スプレーをとり出して、のどにシュっとひと吹き。

何か気がかりがあるようだったけれど、

次のひとつ目のアリア「Del piu sublime soglio」になると、

いつも通りのやわらかい、自然な声にもどって、

さすがだなと思う。

なにか発声法に挑戦していたのかもしれない。

モーツァルトの死の直前につくられた

セリアの「ティート」から反転するように、

初期のセリア「イドメネオ」から

バレエ音楽の1曲目シャコンヌが奏でられたあと、

ブッファ「ドン・ジョヴァンニ」のオッターヴィオ

ふたつ目のアリア「Il mio tesoro intanto」が歌われて、

私にはこの日のプログラムのなかで、声と曲と技術とが

もっとも調和しているように感じられた1曲だった。

ため息がでるように、すばらしかった。

 

この後、ロッシーニの「ギョーム・テル」、

休憩をはさんで、ヴェルディの「リゴレット

「仮面舞踏会」「二人のフォスカリ」「アッティラ

「ルイザ・ミラー」と続き、すこし重めの声で、

アドレナリン全開のザ・オペラという雰囲気に。

お客さんは大喜びで、余韻も待ちきれず大声援と大拍手。

こうなるとヒートアップするしかないのは

百も承知のエンターテイナーだから、

アンコールのギター弾き語りの3曲で、

みんなを落ち着かせてくれて、さすが。

まるで羊飼いみたいだと思った。

特にトマス・メンデスの「CUCURRUCUCU PALOMA」は、

聴くのは3回目だったけれど、いつも自由で、

だから歌い口が毎回ちがって、

心から歌うことがすきなんだな、

お仕事でなくてもいつも歌っているんだろうな、

と思えるような、天与の音楽で。

 

後半で一度、肺のほうから出てくる、

深くて乾いた咳を2回していたけれど、

感染症の前後なのかなと気になった。

のどのスプレーをもう一度。

いつもアンコールのギター弾き語りの他に、

まだ歌ってくれるの?!こんな難曲を?!と驚くのだけれど、

今回は2曲で、この人にしてはやはり控えめだったと思う。

ベストコンディションでなくても

大きな責任とプレッシャーを感じさせない

自然体なステージングに、ますます感動は深まるばかり。

心から、ARIGATOU!

 

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