佐賀町日記

林ひとみ

お正月 2023

今年のお正月は暖かかった。

よく晴れて、静かで、

世界が透きとおってみえた。

 

三が日を過ぎたころ、

近くの清澄庭園へふらりと寄った。

大すきな石の庭園。

水辺に水仙が群生している。

花のたもとがきれいに直角に傾いて、

水面に映るものの美しさに見惚れている。

というナルキッソスの神話は、

それが自分だとは知らずに死んでしまう物語。

今年の初句会の兼題になっていたことを思い出して、

俳句をつくりつつ、つくるのを忘れつつ。

 

明治の代表的な「回遊式林泉庭園」ということで、

もとは江戸時代の豪商・紀伊国屋のお屋敷だったらしく、

その後、下総の或る藩主の下屋敷となり、

明治の初めに財閥・岩崎家の邸宅となったことで

本格的に造園され、今は東京都の庭園になっている。

大きな池、大泉水を中心に、

全国各地から集められたという銘石・巨石が楽しい。

伊予の青石や磯石、佐渡の赤玉石、紀州の青石、

伊豆の式根島石・川奈石・網代石・根府川石、

秩父の青石、摂津や備中や讃岐の御影石、などなど、

本当にたくさん、財閥の汽船で運んだというからすごい。

当時は隅田川の水をひいたという干満のある泉水に、

磯渡りができるように飛び石が組んであって、

何て楽しい。鯉が寄ってくる。赤い鯉に黒い鯉。

寒いからお腹が空いているのだろうか、ついてくる。

富士に見立てた築山や、樟/くすの大木、

龍のように枝をうねらせた桜、

ぷかぷか浮いている水鳥たち。

そして踏みしめる砂利の一粒ひと粒に、

新年のお目出度い響きが聴こえるよう。

薄水色の空の低い位置に、

満月に近い夕暮れの月がかかっている。

 

翌日ふと思い立ち、

神保町のけやき書店へ行った。

雑居ビルの7階だと思っていたのが6階だった。

エレベーターが新しくなっていた。

日本近代文学の初版本や署名入り本の専門店で、

思いもよらない珍しい本に出逢えるのがうれしい。

この日は、未知の句集や詩集、

とくに小林秀雄の初版本やサイン本が印象的だった。

お値段もすごい、といっても2~3万円くらい。

旧字体ガリ版印刷のもの、

今にも紙が破れそうなものもある。

上製本で装丁はきっと青山二郎にちがいない絶版本も。

以前みつけた「近代絵画」の初版本はもう無かった。

初めて小林秀雄と出逢った記念の評論集で、

古書店の軒先でふと手にとって衝撃をうけたことを

よく覚えている。20年くらい前だろうか。

その新潮文庫版はどうして絶版になったのだろう、

美大生にもよさそうな素晴らしい本だと思うけれど。

そうして時間を忘れ、外に出るとすっかり日も暮れていた。

全面開発工事中のお茶ノ水駅のまだ古いホームから、

またいち日ぶん満ちてゆく月を見上げた。

仕事始めの方もちらほら。

 

そして満月も松の内も過ぎて、

すこしずつ日常に戻りつつある。

 

2023年もよい一年になりますように。

本仁田山

今日は冬至

雨もようのうす灰色の空がきれい。

寒いけれど、冬らしい

きりっとした空気。

今年もあとわずか。

充実した一年だった。

 

でも世界のどこかで戦争はつづいている。

生きたくても生きられない人がいる。

闘いたくなくても闘わなければならない人も。

戦争でなくても。

 

今年さいごの山登りに

奥多摩の本仁田山/ほにたやまへ登った。

ホリデー快速で8:30前に奥多摩駅へつき、

山なかまのアキさんと合流、

歩いて登山口まで行けるのがうれしい。

前夜の雨で歩道がぬれている。息が白い。

露か雨かが枯木に小さな花のように鈴なりに光ってきれい。

9時頃に登山口へ入ってすぐ、

乳房観音のサインをみつけて寄ってみる。

古く鎌倉時代に植えられたという2本の銀杏の幹から、

乳根という乳房のようなふくらみが沢山できて、

お乳がたくさんでるように、と村の娘さんたちが願をかけたそう。

その樹は大正時代に伐られてしまったようだけれど、

現在もそこに2本の大きな銀杏が生きていて、

乳根もすこし、あたり一面の落葉の黄色に元気をもらう。

小さな社の金と銀の鈴をならして登山の安全を祈る。

登山道に戻りすこし行くと、

安寺沢および大休場尾根とよばれる急登がつづく。

山頂の1224mまで2.2kmを170分と記されているので、

かなりの勾配、なかなか登りがいがあった。

息があがらずに歩きつづけられるペースでゆくけれど、

とくに股関節まわりと太ももの筋肉に

負荷がかかっているのがよくわかる。

尾根道へでて、すこしほっとしたものの、

標高が上がるにつれて風が強くなり、

前夜に樹々に積もった雪が吹雪のように舞い散り、

また近くの山から運ばれてきたような風花もちらほらと。

晴天なので心配しなかったけれど、

雪も10㎝くらいは積もっていたので、

アイゼンを持ってきてもよかったくらい。

山頂に10:45頃つき、おむすびをふたつ。

冬晴れで、都心のビル群もスカイツリーも、

東京湾の海も、千葉の山並もよくみえた。

そこからコブタカ山の分岐へ下りる北側の斜面は、

あたり一面の雪に覆われていて、

3度も滑って尻もちをついてしまい、ひやひや。

それでもすこしまわり道をして、

大ダワの分岐まで足を延ばしてみることにする。

この下りの20分くらいの間、

風のすさまじい音と、寒さ、人気のなさに、

なんだかとても不安になってしまった。

転んで歩けなくなってしまったら・・・、

それで寒くて気が遠くなってしまったら・・・、

もしコースを外れてしまっていたら・・・などなど、

不安な心にのまれてしまったら大変だと思った。

些細なことが命に直結する山という場所ならでは。

無事に大ダワまで辿りつき、石の祠に合掌、11:30。

その後は、雪のない平和な冬山の、

枯木立のなだらかな道を鳩ノ巣駅まで降りてゆく。

途中、お昼休憩のときにきらりと風花が舞った。

アキさんが季語だよねといったので、

たまたま読んでいた岩波文庫版の子規句集をとりだして、

風花の句を探してみる。

けれど虚子が選んだ2306句のなかには無かった。

子規は短い34年の生涯に2万句超を遺している。

そこではじめてお互いに俳句をつくることを知って、

それなら駅までに風花の句をつくろう!

ということになって、その後はそれぞれ作句に夢中、

心地よい無言の、不思議な下山になった。

出口には熊野神社があり、登山の無事を感謝。

振り向くと銀杏の巨木にはたくさんの乳根が垂れていた。

阿吽の阿の狛犬に、小さな仔犬が寄り添っている。

10月の高水三山のときの青渭神社にも仔犬がいたっけ。

青梅や奥多摩あたりには多いのだろうか。

鳩ノ巣駅に13:30頃着き、

帰りの電車のなかで、風花の句の披講となった。

即吟なので、気に入る句はそうできないけれど、

とても楽しい時間だった。

 

露しぐれ乳房観音鈴きんぎん

緑帯の岩波文庫ふゆの山

尻もちを三回ついて納登山

急登のゴールテープや風花す   ひとみ

 

 

sagacho-nikki.hatenablog.com

 

佐賀の旅 その弐

はじめての佐賀の旅。

 

お昼を食べるのも忘れて、

ときどきベンチをみつけては、

佐賀名物のボーロをいただきながら、

南のほう、お城跡のほうへ向かって歩く。

 

ずいぶんと大きなお濠に沿って、

見事な樟/くすの並木が続いている。

戦国時代の大名・龍造寺/りゅうぞうじ家の村中城を、

家臣の鍋島家が継いで整備拡張した17世紀頃に

植えられたといわれる樟で、樹齢300年以上にもなるそう。

この街は、ほんとうに樟の木が多い。

お濠をこえてすぐ、

県立図書館、博物館と美術館が左右にひろがっている。

典型的なモダニズムの建築で、図書館と博物館は、

内田洋哉/よしちか氏と第一工房の高橋靗一/ていいち氏との

共同設計、美術館は安井建築設計事務所によるもので、

佐賀の控えめな上質さみたいな気風にもよく馴染んでいるよう。

復元された天守台の、石垣の刻印をみつけて遊んだり、

何かのアートイベントのひとつなのか、

伊万里焼のたくさんの風鈴の音色に魅了されて、

しばし芝に座り込み、日向ぼっこしたり。

風鈴を数えてみたら99個。

風のリズムと磁器のハーモニーが、

不思議な世界に連れていってくれた。

 

かつての泉山や天草など良質な陶石の採れる九州には、

有田の伊万里や鍋島、長崎の波佐見や三河内、

茶の唐津、民芸の小石原や小鹿田、

沈壽官の薩摩などなど、美術品から雑器まで、

たくさんのやきものがつくられている。

そのルーツは大陸、中国や朝鮮の高い技術にある。

わたしも器をつくるとき、

ときどき九州の白い土をつかう。

 

長崎と小倉をむすぶかつての長崎街道

特に貴重なお砂糖や南蛮菓子を運んだことから、

近年シュガーロードともいわれる昔の街道沿いに、

古い町並みが動態保存されている地区がある。

そこへ向かう道すがら、和菓子屋さんの角で、

いちご大福を食べているふたりの女の子に道を訊ねた。

丁度その角に江戸時代の粋な道しるべがあるのが面白い。

1mくらいの石柱に、人差し指で方向を示すマークとともに

「なかさきゑ」「こくらみち」と彫られてある。

話しの流れで「市外の方ですか?何で来られたのですか?」

と聞かれたので「佐賀」に縁があって云々・・と説明するうちに、

佐賀大学芸術地域デザイン学部の学生さんということがわかり、

「このさびれた通りを活性化するためにリサーチしているところです」という。

ひとりは山口、ひとりは佐賀の出身だそう。

だから思わずお伝えしてしまう。

「さびれたというと残念に聞こえるけれど、

 さびれたまま魅力的に発信するのはどうかしら?」

「観光立国といって政府は旗を振っているけれど、

 お客さん向きばかりでなくて、

 住んでいる人を幸せにする街づくりがほんとうだと思う」

「観光地化されていない街ってすごく魅力的」

などとディスカッションしつつ、

先の陶器屋さんのご主人の話を思い出す。

「なんで佐賀に?何もないでしょう」といわれたことや、

佐賀は「クラーク」という小さな水路の多い街であること、

どうしてか台風や地震の影響をあまり受けないこと、などなど。

そして彼女たちの話をきけたのもよかった。

今どきの学生さんはとても自然体にみえる。

慣れ親しんだ世界から、すこし広い未知の世界へ、

羽をひろげているところだろうか。

わたしにも未だにそんなところがあるけれど、

そんなふうに行き当りばったりの旅を楽しんでいると、

あっという間に空港行きのバスの時間になってしまった。

もうすこし見たい知りたいところがあったので、

また来よう。

 

帰りのバスのなかで、

沖縄の竹富島のことを思い出す。

水牛車で町中を練り歩く私たち観光客を避けるように、

島に暮らす人たちは屋内で、

ひっそりとしているようにみえたこと。

目線の高い水牛車から石垣越しに家々が見渡せて、

なんだか居心地がわるかったこと。

また自由が丘に住む友人は、

コロナ以前の休日は観光客の街になってしまって、

ふつうの生活ができないといっていたし、

京都の友人は、インバウンドの人であふれかえって、

ごみの散らかりようがすごいといっていた。

元祖・観光大国のフランスやイタリアの事情はどうだろう。

 

人はなぜ旅に出るのだろう。

それぞれちがうのは当たり前だけれど、

本質的には自分を拡張するためではないだろうか。

いちご大福をほおばる学生たちのように、

未知の世界へむかって羽ばたくように。

佐賀の旅 その一

江東区の佐賀町に暮らし始めて、

2012年12月から、ちょうど10年。

小さな町の風景も少しづつ変化した。

当初は窓からスカイツリーがよく見えた。

全国的な人口減少社会のなかで、

江東区の人口は45万人から52万人に増えた。

地価の動きと連動して家賃も上がった。

それでもかつての、1丁目の米穀問屋の町、

2丁目の倉庫の町の面影は、まだわずかに感じられる。

 

そんなタイミングで、

九州の佐賀へとんぼ返りの旅へ出た。

その地名に縁を感じたからという、

ただそれだけのひとり旅。

深川の佐賀町は、

遠浅の海を埋め立ててつくられた江戸期の漁師町で、

深川丼というあさり味噌汁のぶっかけ飯が

郷土料理として知られているけれど、

地名は肥前国の佐賀湊の風景に似ていたためと、

近所の佐賀稲荷神社に記されている。

だから本場を訪れたくなったのは、

あるいは自然かもしれない。

 

長崎空港からバスや鉄道を乗りついで、

はじめて訪れた佐賀駅は、

45年ぶりという大規模な駅周辺整備事業を終えて、

南口駅前広場は11月29日に完成したばかりの、

モダンでシンプルな印象だった。

9月23日に一部開業した西九州新幹線や、

2024年開催の国民スポーツ大会を見据えた、

市の街づくり事業の一環のようで、

建築事務所ワークヴィジョンズを率いる

佐賀出身の西村浩さんがアドヴァイザーだとか。

地域の再生や活性化は全国のトレンドで、

可能性にみちた、とても大事な動向と思う。

 

夜着いて、ホテルに宿泊、

翌朝、観光案内所で地図をもらい、

歩く歩幅で、街を体験する。

一見デパートの高島屋さんみたいにみえる

百貨店・玉屋さんの紙袋がちらほら、

でもルーツは高島屋よりも古いところが素敵。

街角のあちこちに恵比寿さんの小さな石像があって、

鯛の持ち方とか、面もちや佇まいなど、

それぞれユニークで面白い。

陶器屋さんのご主人いわく、

佐賀は昔から恵比寿信仰が盛んで、

市内だけでも800体以上あるらしく、

88か所巡りのイベントもあるよとのこと。

わたしも5つくらいはみつけられた。

 

第10代藩主の鍋島直公と、

第11代の直大を御祭神とする佐嘉神社は、

菊の御紋も入る、とても立派な神社だった。

両手を合わせて、参拝。瞑目。

「東京都江東区の佐賀町から来ました。

 ここに来られてうれしいです。」とご挨拶。

太陽があたたかい。とても静か。

雅楽の向う、大きな木から、

なにかの実が、ぽこん。。。ぽこん。。。ぽこん。。。

と落ちて硬いものにぶつかる音が響く。

拾ってみると黒紫の5mmくらいの堅い実だ。

「すごく大きな木がいっぱい、何の木ですか」

と巫女さんに訊ねると、

「樟/くすです。いちばん大きいのは稲荷神社の向うの、

 650年といわれている樟です。行ってみてください。」

とのこと。しめ縄のかかる、ものすごく大きな木で、

お相撲さんみたいな雰囲気だ。

こんなに大きな木は、はじめてかもしれない。

逢えてよかった。

浅間尾根

紅葉のきれいな頃、

東京の檜野原村の浅間尾根/せんげんおねへ

山登りにいった。

 

まだ真っ暗なうちに起きて、

半蔵門線・水天宮駅5:02発の始発にのる。

7:00頃にJR武蔵五日市駅に着き、

山なかまのアキさんと合流。

7:10発のバスで1時間ほど西へゆられ、

8:20には浅間尾根登山口から登り始めた。

予報は曇りで、夕方には雨になるとかならないとか。

7日の立冬を過ぎても、まだ温かい秋という感じで、

30分も登ると汗ばみ、シャツを一枚脱ぐ。

614mの登山口から、908mの数馬分岐まで、

北東へおよそ40分登ると、

あとはひたすらなだらかな尾根の、

歩きやすい山道が東へ続く。

山の深い匂い、紅葉のパレット、

ゆかいな鳥の鳴声、落葉のじゅうたんなどを、

全身で感じていると、だんだん胸郭がひらいて、

呼吸が深くなってゆく。

からだをポンプのように感じる。

サル岩、一本松、人里峠などの目印を確認しつつ、

途中で、ものすごく存在感のある、

おそらくもみの巨木と出会う。

思わず抱きついてみるけれど、

両腕でも半径まで回らない太い太い幹。

江戸時代の頃から、生活や産業を支える

甲州古道として往来のあった道だそうだけれど、

その年月分の叡智や、もしかすると

そのずっと前から生きているかもしれない、

いいようのない存在の確かさ。静けさと厳かさ。

半ばまで来て、小さな浅間神社にて合掌、

10:30頃に浅間嶺の頂に着くと、

紺色のユニフォームの小学年の団体に出逢った。

聞けばお台場から毎週、日の出町などに来ているそうで、

ある女の子はリュックが「7kgで重たくて疲れる」と

楽しそうに嬉しそうに教えてくれた。

それから後はゆっくりゆっくりの下り道、

終着点の払沢の滝入口274mに着いたのは13時頃だった。

12kmを5時間のコースタイムの、だいたいその通り。

おそい昼食のおむすびを食べて、

20分程先にある滝まで足をのばしてみることにする。

 

道すがら、野生の山雀/やまがらの鳥に、

ひまわりの種を餌付けして、

指にとまらせている女の子がいた。

「誰でもできるからやってみますか」といわれて、

ひまわりの種をつまんで掲げると、すぐに、

目に見えない速さで飛んできて、指にとまった。

雀くらいの大きさで、青色の足の爪がけっこう鋭い。

橙色と青灰色のボディのかわいらしい鳥。

危害を加えられるわけではないことを、

ちゃんと知っててやってくる。

みんなカメラをカシャリ。

種を握る指の力をゆるめると、

たちまち咥えて飛び去っていった。

鳥籠のない、自由な関係。

 

払沢/ほっさわの滝は、

とても見応えのあるスケールの大きな滝だった。

滝つぼまでゆくと、水圧みたいなものが

空気を伝わって響いてきて、言葉をなくす。

 

そういう瞬間がとてもうれしい。

それはなぜだろう。

赤い月

きのうの夜

赤い月をみた

 

雲のほとんどない

ブルーブラックの夜空

 

星がいくつか

輝いている

 

大きいの

小さいの

 

東の低いところに

黄金色の満月も

 

18:09

だんだん

月が欠けはじめる

 

そのすこし前から

大気がゆれはじめ

風もぴゅうぴゅう

 

月のまわりの

青白い光が

 

ろうそくのように

ゆらめいている

 

月と地球と太陽が

直列をはじめると

 

ぴたり

静かになり

 

左下から

欠けてゆく満月

 

じわりじわり

食べられてゆくよう

 

19:16

皆既食がはじまった

すこし前から

月は赤銅色に

 

ふしぎふしぎ

とくべつな色

 

同じ空を

太古に見あげた祖先たちは

何を想ったろう

 

動物や植物たちにも

みえているだろうか

 

南東の高くへ

赤褐色の月が

のぼってゆく

 

20:42

ふいに

皆既食はおわった

 

左下の

欠けはじめたところから

 

月がうまれてゆく

新しく

 

秒針が左回りに

巻き戻されて

 

21:49

何ごともなかったかのように

満月は

 

シャンパンゴールドに

うかんでいる

 

まるで

夢をみたよう

 

なんて素敵な夢でしょう

 

いっせいのせい

 

みえない遠くで

天王星

 

神隠れしたのだとか

高尾山

心地よい秋晴れの日、

東京八王子市の高尾山に登った。

高校1年生のレクリエーション行事で登って以来、

とても久しぶりの高尾山。

行楽地と霊山という二面性をもつ魅力的な山で、

ひとりでも道迷いの心配がないのがうれしい。

 

浜町から京王線直通の都営線に乗っておよそ75分。

平日の通勤ラッシュになるべく重ならないように、

すこし早めに出て、8時に高尾山口に着く。

新米のおむすびを食べてストレッチをし、

稲荷山コースの尾根道を登り始める。

7つあるコースのうち、

しっかり山登りできる唯一のコースときく。

次第に自動車などの生活音から遠ざかり、

樹々と鳥とどんぐりの落ちる音くらいになってゆく。

安心して感覚をひらいてゆく。

時々ぽきっと枝の折れる音がする、

なにか小動物がいるのかも。

こちらの様子をうかがっているのかしら。

息切れせずに歩きつづけられるペースを

確かめながら進むうちに、体が軽くなってきて、

あっという間に山頂599mに着いた。

思ったより早く、3kmを60分で、まだ9:30。

雲に隠れて富士はみえない。

またおむすびをひとつ食べて、

その奥の小仏城山/こぼとけしろやままで、

行ってみることにする。

 

それがひょんなことから、

道中で知り合った女性との二人旅になった。

高尾山頂の手前でお会いしたクミコさん、

同じペースで後ろをずっと歩いてらしたので、

自然と話かけたことから、なんとなく。

でも彼女は山頂からすぐに下山する予定で、

私はその先へ足をのばすことを考えていたので、

山頂に着いたところでさよならしたのだが、

どういうわけか分岐点でまたばったり。

驚いたついでか、じゃあご一緒します!といって、

あらためてその先をふたりで歩き始めた。

 

きけばスキーのインストラクターをされている方で、

後から私の歩き方をみて、

左の足の運び方がちょっと変で、

ひざに負担がかかっているから、

こういうふうにしてみて、と教えてくださる。

言われてみれば思いあたることがちらほら。

たとえば高校生までしていたスキーで、

左のターンがしにくかったこと、

中学のバレーボールの部活で捻挫して、

左足首の靭帯が伸びてしまっていること、

骨盤の左側に捩れがあって神経を圧迫していると

整体の方に指摘されたことなど。

クミコさんはスキーで足を粉砕骨折されて、

しばらく車椅子の生活を余儀なくされ、

歩く練習を一からはじめたご経験があるそうだから、

人の歩き方が手に取るようにわかるらしい。

 

そんなお話をしつつ、草花を愉しみつつ、

60分で小仏城山の山頂670mに着いてみると、

高校生の頃の記憶そのままの山小屋に、

あのときここまで来たんだ!と、感慨深い。

四半世紀ほど経っているのに覚えていること、

山小屋がほとんど変わらないこと。

あの時は確か相模湖の方へみんなで降りた。

11時すぎだったのでおむすびをまた食べて、

この日は、来た道を高尾山へ戻り、

私は沢沿いの6号路を、クミコさんは稲荷山を、

それぞれ下山した。別れ際に交換したLINEで、

帰りも同じ14:28発の電車に乗っていることが判明し、

5号車から1号車へ来てくれて、

来月は小仏城山のその先へ行ってみよう、

ということになった。

 

きれいなすすきの原。赤紫のあざみ。

ターコイズブルーの大きな蝶も。

白いサラシナショウマのよい香り。

沢沿いにきのこが群生して妖精がいそう。

妖精に会ってみたい。

杜人 ~ 環境再生医 矢野智徳の挑戦

キネカ大森のドキュメンタリー映画祭で

「杜人 ~ 環境再生医 矢野智徳の挑戦」を観た。

日本各地で展開されている「大地の再生」プロジェクトの、

感動的な記録映画。

 

「杜人/もりびと」という愛称がぴったりな

造園家の矢野智徳(やのとものり)さん/1956年~は、

北九州市の港町、門司の出身で、

お父様が私財を投じて1952年頃に開園された

3haほどの花木植物園「四季の丘」のなかに生まれ育ち、

物心つくころから植物の世話をしていたという。

10人兄弟だったので植物園のことはお兄様たちに任せて、

東京の都立大学で自然地理学を専攻。

ところが座学がピンとこなかったようで、

27歳くらいの頃、休学して日本全国の山、

小笠原や沖縄から北海道までを実地に歩きまわり、

生死と隣り合わせの体験を幾度もしたそうだからすごい。

1984年/28歳頃に矢野園芸として独立、

次第に環境問題に行き当り、

環境NPO法人「杜の会」を1999年に共同設立、

一般社団法人「大地の再生 結の杜づくり」の顧問を経て、

現在は合同会社「杜の学校」の代表として、

山梨県上野原を拠点に、全国を駆けまわる、

別名「ナウシカのような人」とも。

わたしには、穏やかでやさしいお人柄のなかに、

しなやかで強靭な精神をお持ちの方と感じられた。

 

その40年近い経験から、

今起こっている環境問題は「生態系の循環不良」だと見極め、

「空気と水の循環」を取り戻すと、

途端に土も樹木も元気になると励ます。

人の頭で考えてもうだめだと思うような状況でも、

自然はそれ以上の力をもっていると実感しているから、

自然も自分も生きている限り「あきらめない」と淡々という。

コンクリートを全部引きはがしたり、

建物を壊したりといった非現実的なことをしなくても、

要所要所に穴や溝を設けて水脈を整えたり、

風の草刈りをして空気の通り道をつくったり、

イノシシのように土を掘り起こすなど、

現状に的確に手を入れるだけで大丈夫。

たとえば身近なところでは、

カマとスコップだけでできることはあるという。

本編では、屋久島の瀕死のがじゅまるに風を通したり、

西日本豪雨で決壊した岡山県真備町の川の流れを元通りにしたり、

仙台市のサクラの古木を蘇生させたり、

いのちが輝きだす様は、ほんとうに感動的。

 

また映画の誕生物語も

その内容と同じくらい興味深い。

制作・監督・撮影・編集を一手に担った前田せつ子さんは、

ソニーミュージックエンターテイメントで

音楽および映画雑誌の編集を担当した後に独立し、

2011~15年には国立市の市議会議員も務めた女性で、

その在職中に国立の大通りの桜並木の伐採計画が浮上し、

国立市民だったという矢野さんを招いて

勉強会を開いたことがきっかけだったという。

その大地の再生講座に参加するうちに、

矢野さんの言葉やその内容を記録しなくてはと思い立ち、

はじめはハンディカムで撮り始め、

制作費もクラウドファウンディングで

あっという間に目標額の4倍以上も集まったというからすごい。

純粋な想いが共鳴し合って実現すること。

 

そうして今年完成した映画は、

4月にアップリンク吉祥寺を皮切りに劇場公開され、

全国各地の小規模ながら志ある映画館で、

新規上映やアンコールが続いているという。

 

新しいはじまりはいつも草の根で、

きらきらした想いが光の反射のように蠢いている。

まだ知らない奇跡が、あちこちで起きている。

そういうことを見たいし、力になりたい。

 

矢野さんの生まれ育った、

現在の北九州市立・白野江植物公園

いつか行ってみよう。

 

杜人(もりびと)〜環境再生医 矢野智徳の挑戦 

高水三山

10月に入ってしばらくすると、

気温が急に下がり、とても寒くて、

あわててセーターやダウンを羽織った。

大げさかなと思いつつも、

風邪をひきたくないので、

カイロや湯たんぽも。

きけば12月の気温だったという。

家の窓からみえる公園の大きな樹も、

茜色の帽子をかぶったように、

うっすらと紅葉し始めている。

 

そんな寒さと雨模様を心配しつつ、

奥多摩と青梅の境にある高水三山へ登った。

高水三山/たかみずさんざんは、

高水山759mと、岩茸石山/いわたけいしやま793mと、

惣岳山/そうがくさん756mの、

3つのピークをもつ登山コースで、

高低差550m、距離10km弱、コースタイム約4時間の、

ほどよく登りがいのある人気の山。

 

山登りのイベントでお会いした

アキさんというお姉さんと、

意気投合してはじめてご一緒した登山は、

気の置けない、とても楽しいものだった。

夕方からお天気が崩れるという予報で、

少し早めに青梅線軍畑駅で待ち合わせ、

登山道入口を9時前に登り始めた。

しばらく川沿いを登り、きらりと光る石を拾ったり、

すすきの群生をトトロの気分でかき分けて、

不思議な鳥の鳴声を楽しんだり。

ひとつめの山頂の手前にお不動さんを祀った

常福院という立派なお寺があり、行程の無事を祈る。

10時前にこじんまりした高水山頂に着き、

そのまま尾根道を岩茸石山へ向かう。

この尾根道でとても印象的だったのは、

片側の斜面は、スギやヒノキの人工林で、

もう片方の斜面は、自然のままの森林で、

木の種類のせいか、その明るさが全く異なること。

曇空だったけれど、

天然林では葉が陽光を透かしてきらきらと、

あるいは光合成のために発光しているようにもみえる一方で、

植林されて整然とした森は、暗くどんよりしていて、

これはどういう訳だろう。

そんなことを話しながら、岩のごつごつした急登を登り、

10時半前に、ふたつめの岩茸石山の山頂に着くと、

少し早めか遅めかの食事をとっている人が5組ほど。

かなり汗をかき消耗したので、

わたしもおむすびとあんぱんをひとつづつ。

見晴らしがよく、曇り空にもかかわらず、

スカイツリーや都心の高層ビル群がよくみえた。

つい先ほど歩いたきれいな三角形の高水山もすぐそこに。

それから多少のアップダウンを繰り返しつつ、

みっつめの惣岳山には11時半頃着き、

どうしてかフェンスで囲まれている

木彫の美しい青渭神社・奥ノ院/本宮に手を合わる。

かつて霊泉の湧いたという青渭の井を過ぎ、

降り道の杉林をすいすい進むのはとても愉快。

途中で、判読のむずかしい木の看板と、

ぼろぼろのしめ縄のかかっている御神木が、

3本トライアングルに並んでいた。かなりの大木で、

先端はかろうじて生きているようだけれど、

根元や幹はほとんど枯れているようにみえる。

杉だろうか、どうしたのだろう。

幹に触れて、合掌をして、先へ進む。

終盤の分岐で、御嶽駅への定番の道でなく、

沢井駅へ降りる道を選ぶと、登山道を出てすぐ、

先の青渭/あおい神社の里宮/遙拝殿があり、

無事に下山できたことをご報告、感謝した。

崇神天皇のころに起源をもつという古い神社らしく、

狛犬は珍しく、口をあいている阿ほうに、

子どもの狛犬が寄り添っていて、ほほえましい。

まだ12時半頃だったので、

青梅線の線路と青梅街道を越えて、

多摩川の河原におり、お昼を食べた。

清流の和音、苔の匂い、丸い石の上に、

ごろんと寝転んでみると、背中にじじじじと、

地球のバイブレーションを感じるよう。

河口から70kmの地点という。

 

アキさんと次はどこの山にしようと相談しつつ、

清酒澤乃井で名高い小澤酒造さんでお土産を選び、

沢井駅14時半すぎの電車で、

江東区の自宅についたのは16時半。

ちょうど雨が降りだした。

 

からだ全体をつかって疲れているのに、

どうしてか元気になって帰ってくる。

山の不思議な力です。

秋の台風

秋の台風シーズン。

9月も大きな台風がふたつ、

日本列島を通り過ぎた。

 

はじめ南洋の海にうまれた熱帯低気圧は、

移動しながら強風を伴う台風へと発達し、

陸上の寒気と出会うことで勢いを失って、

やがて温帯低気圧となって消滅する。

 

9月の中旬、とくに大きな台風14号や、

15号がたてつづけにやってきて、どきどき。

ベランダの鉢植えも、

東にバタン、西にバタン、と大忙し。

葉が傷ついたり、小枝が折れたりしたけれど、

かえって強くなりますように。

 

お空の天気と地上の生活とは、

ゆるやかに連動しつつ、独立してもいる。

台風の心配されるさなか、

ある日は句会に、ある日は演奏会を聴きに、

ある日は声楽の小さな発表会に参加した。

どの日もレインブーツを履いて出掛けて、

場合によっては出先でパンプスに履き替えた。

 

ふと思い出したのは、古い時代のオーストリア

城壁に囲まれていた18世紀頃のウィーンの街の、

その城壁の外側にオープンしたばかりの市民劇場で、

W.A.モーツァルトの「魔笛」が初演されたころのお話。

上層の人たちが城壁内の宮廷劇場で観劇を楽しむ一方で、

郊外のフライハウスという複合施設の一角にあった、

当時のアウフ・デア・ヴィーデン/現アン・デア・ウィーン劇場。

雨が降るとひどくぬかるんで、泥だらけにならないと

辿りつけないような場所だったときいた。

高貴な人々の用いるイタリア語やフランス語ではなく、

大衆市民の言葉だったドイツ語での上演で、

カウンターあるいはサブ・カルチャー的な

舞台だったのかもしれないと思うと、なんだか不思議。

 

そのモーツァルトのオペラ・アリアの録音が大すきな、

ペルー出身のテノール歌手F.D.フローレスのコンサートを

上野の文化会館で、台風の夜に聴いた。

パンデミックの直前2019年の12月に、

ピアノとのリサイタルをオペラシティで聴いて以来、

今回は東京シティ・フィルとの一夜のコンサート。

およそ2300席の大ホールはきれいにほぼ満員で、

台風にびくともしないその人気がうれしい。

得意のロッシーニドニゼッティベル・カントから、

ヴェルディをすこし、そして近年のレパートリーの

フランスもの、ラロ、マスネ、グノーなどを歌ってくれた。

印象的だったのはドニゼッティの「清く美しい天使よ」と、

アンコールの「連隊の娘」のトニオの有名なアリア。

それからギターを弾きながらのブラジル音楽、

トマス・メンデスの「ククルクク・パロマ」は、

こんなに沢山の観客に囲まれているのに、

世界でたった独りぼっちになってしまったみたいな切なさが伝わってきて、

人の弱さや強さ、喜びや哀しみをよく知る人なのだと、感動する。

それらを表現する技術、

声のやわらかさやフレージングの優美さなどが奇跡のよう。

最後に英語で、「TAIFU」のなかをきてくれてありがとう、

というようなことを言っていたと思う。

語尾のUにあるアクセントが耳にのこる。

こちらこそ、

東洋の小さな島国に来てくれてありがとう。

 

台風のあとは、空気が澄んでとてもきれい。

音楽に、心も澄んで軽くなる。

名月 川苔山

今年の旧暦8月15日、

中秋の名月奥多摩でみた。

登山のために滞在していた宿の広場から、

稜線の向うにかかる満月を見上げた。

 

はじめのうちは厚い雲に覆われて、

とても見えそうにないと思えたけれど、

噓のように雲がひき、はっきりと見えたときには、

喚声と拍手があがり、まさに感動的だった。

はじめの雲は演出だったのかしら。

とても大きくてエネルギーに満ちている、

ずっと見ていられるやわらかい金色の光。

 

そして20倍率の望遠鏡でみてみると、

はっきりと月面がみえ、透きとおるようで、

びっくりするほど美しかった。

脳の神経回路が新しく組み換えられるよう。

 

月の左下方に輝く木星は、あかるい橙色で、

60くらい発見されているという衛星も

3つはっきりとみえたし、

月の右手にひかえめに光る土星は、

赤茶色で楕円形の輪の輪郭もよくみえた。

 

はじめての天体望遠鏡の世界、

星ってこんなにきれいだったんだ。

小さな子どものうちに見ていたら、

世界の見方が変わるのではないかしら。

学校のカリキュラムにあったらいいのに。

神秘的。美ということ。

 

翌日は、心地よい秋晴れのなか、

川苔山/かわのりやま1363mへ登った。

細倉橋の登山道入口640mから、

川沿いを幾つかの滝や橋を楽しみつつ登り、

すこし険しい岩場をすぎて、尾根道を山頂へ。

お昼時で50人くらいはいただろうか、

みんなシートを広げて息ついて朗らかだ。

傍らを大きなトカゲが這ってきて、

ぬるぬるした灰色の30㎝くらいの容姿にびっくり。

気をとりなおして、おむすびをぱくり。

いくつかコースがあるなかで、

鳩ノ巣駅426mまで下る長い道のりも、

ゆっくりとしたペースで、足の負担も軽かった。

この時期お花はほとんどみられなかったけれど、

奇妙な鳥の鳴声や、尾根にでたとたんに吹いてくる風、

不思議な青白い石や、きれいな菱形に割れた黒い石、

広葉樹林帯の明るい緑色が、印象に残っている。

 

1/25000の地形図に斜めの磁北線をひいて、

コンパスから方角を導き出す方法を覚えたので、

また山へ行ったとき試してみよう。

楽しみだ。

三頭山

お盆が過ぎて少しした頃、

東京の端の檜原/ひのはら村の

三頭山へ登った。

 

猛暑を心配していたところ、

数日前から雨の予報に変わり、

雨具をスタンバイしての登山になった。

 

三頭山/みとうさんは、

山梨県との県境にある1531mの中山で、

今では気軽に登れる山のひとつだけれど、

昭和49年に奥多摩周遊道路が開通するまでは、

アクセスしずらく、

奥多摩の秘境といわれていたそう。

登山道は、奥多摩湖のほうや、

山梨県の小菅のほう、上野原のほうへも通じていて、

色々な楽しみ方ができそうななか、

今回はよく整備されている都民の森から、

三頭大滝を経て、沢沿いを登ってゆくコース、

高低差500m、距離5.5kmほどを、

4時間かけてゆっくり歩いた。

 

三頭大滝は35mの見応えのある滝で、

吊り橋から眺めを楽しむことができる。

歩くとゆらゆらと揺れるのが新鮮で、

下方を流れる川に視線をうつすと少しくらくらする。

20年前に来たことがあるという方は、

その時はもっと水量があったと言い、

レンジャーさんは今日は水量がありますよと教えてくれた。

冬には下のほうから凍ってゆくそうなので、みてみたい。

 

沢沿いを登ってゆくのは愉しい。

何度か石づたいに川を渡ったり、水に触れたり。

時々ぽつぽつと雨が降っても、

樹々が傘になってくれて、ほとんど濡れない。

レンジャーさんが「さるなし」の樹を教えてくれた。

秋に成る小ぶりのキウイフルーツのような実は、

そのまま食べられて美味しいのだという。

少し前に岐阜高山の物産展で、

珍しい緑色の「さるなしのジャム」というのをみつけて、

なんだかよく知らないで食べていたのだけれど、

これがあのジャムのさるなし!と理解したのだった。

こういう他愛のない個人的なことが、

妙に印象に残ったりするから、人の経験は面白い。

同じ体験をしていても、

人の数だけ経験があるのかもしれない。

 

夏椿のなめらかでまだら色の幹、

あじさいの可愛らしいこと、

可憐な玉川ほととぎすや山路のほととぎす、

秋の訪れを感じさせるという

薄紫色のつりがね型のソバナ、

写真はほとんど撮らなかったけれど、

そういう映像の断片が記憶されている。

 

糸よりも細いレースで編んだような

小さな白いわたみたいな籠みたいなものが、

樹々のあちこちにかか残っているは、

なにかの蜘蛛の巣らしい。

あたり一面それらに囲まれるととても幻想的だ。

現代アートは多分にこういうところに

インスパイヤされていると思う。

私たちはそれだけ自然と離れてしまったということで、

でも本質的に離れられるわけではないので、

街の人ほど魅かれるのかもしれない。

 

山にいくと体がよろこんで、

細胞のひとつひとつがうれしがっているのが

よくわかる。

 

雨具をつかわないで無事下山できたことが、

奇跡のように感じられる1日に、ありがとう。

77回目の終戦日

今年の夏は

西瓜と枝豆をよく食べた。

西瓜はほとんど毎日、

枝豆は二日に一度くらい食べた。

食欲のない夜は、よく塩をきかせた

枝豆だけで済ませることも。

 

そんなとき漫画家・水木しげるさんの

短編「地獄と天国」を思い出す。

現在のパプア・ニューギニア

ニューブリテン島での戦争体験記で、

想像を超える非人道的な戦争の事実に驚いたり、

現地の土人たちとの交流に感動したり。

戦争末期、20歳前後で陸軍に招集された水木さんは、

近眼のためラッパ兵としてスタートするのだけれど、

どうして音をうまく鳴らすことができなかったらしく、

南方の激戦地ラバウルへ最下級の二等兵として配属される。

劣勢の最前線でマラリアに罹り、空爆による負傷から左腕を切断、

後方の野戦病院九死に一生を得たことで、

おめおめと死んでたまるかと発奮、

現地のトライ族と交流を重ね、意気投合、

パウロという名前をもらい友だちとなる件は楽しい。

再度のマラリアで生死を彷徨うなかで、

彼らにパパイアやバナナなどのフルーツを届けてもらい、

奇跡的に回復したというからすごい。

とにかくマイペースの人で軍隊生活に苦労したそうだけれど、

この不思議な人間力が、後年の漫画家を生かしたのだと思うと、

個性というのはなんてかけがえのないものだろう。

そのユニークさは天与のものと思えるほどで、

ひょっとすると妖怪の力もあったのかもしれない。

水木さんにしか描けない、

妖怪の世界と、戦争の実録。

 

今日8月15日は、

日本人にとっては77回目の終戦日。

77年間、平和だったといえるかどうかは別として、

戦争をしなかったことは、よかったと言いたい。

亡くなられた方、生き残られた方、いずれもの、

先人たちが盾となってくれていること。

両手をあわせたい。

 

生きていること。

そのいのち。

 

果物や野菜は、大地のしずく。

塩は、海のひかり。

 

言葉は、はじまり。

人間は、たまご。

 

 

sagacho-nikki.hatenablog.com

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大菩薩嶺

先日、山梨県の大菩薩に登った。

秩父多摩甲斐国立公園にある名山のひとつ。

 

山へ行くようになって

あちこちで耳にする「ダイボサツ」。

見晴らしいのよい山頂と、

森林限界をこえた亜高山帯の

みどり色の草原のなかを

なだらかにつづく稜線が美しい、

とても歩きやすい山だった。

 

いくつかコースがあるなかで、

今回は登りやすい標高1580mの

上日川/かみにっかわ・かみひかわ峠から、

唐松尾根を登って雷岩へ、

大菩薩嶺2058mにタッチして、

見所の尾根道を大菩薩峠1897mまでゆっくりと、

ぐるっとスタート地点へ戻るコースを歩いた。

 

週末だったこともあり、

ほどよい人出で賑わっていたが、

ガイドさんと14名の仲間たちと

ゆっくり歩いて5時間ちょっとの、

楽しい時間だった。

 

山頂の雷岩あたりで、

野生の鹿に間近で逢えたことが印象的だった。

はじめに親子連れの2匹、

すぐ近くに青年らしき1匹、遠くに2匹。

警戒心が強いようであまりないのか、

食べ物を探してあちこちを歩きまわっている。

思ったより痩せた体に、

白い斑点と、白いおしり、

短いしっぽを元気よく振っている。

まっすぐで透明な目が、愛らしい。

ほんの20年前まで、稜線のお花畑が

それはそれは見事だったというが、

近頃は鹿が増えて、お花はほとんど食べられてしまい、

なるほどみどりの草原といったふう。

岩の上などに、少しだけ残っているお花はとても儚げ。

そんな悪者扱いされている鹿だけれど、

人間だって増え続けて色々なことをしているのだから、

鹿のことを責められる立場ではないような。

 

1か所にだけ僅かに残るという光苔が、

蛍光色に発色していて、とてもきれい。

自然のものなのに、なんだか人工的で面白い。

 

美しいものは消えてゆく運命かしら。

それとも復活するのかしら、キリストみたいに。

人間の働きかけの力は大きいと思うし、

そう願えば、地球の庭師にもなれると思う。

自然のままの森林より、

人の手がすこし入った森林のほうが、

豊かに持続すると聞いたこともある。

希望をこめて。

 

自然のなかにいると

存在がとけてゆくのがとてもうれしい。

理由なく感動するし、幸せを感じる。

私たちの体は、地球の素材でできているから、

共鳴するのかも。

聴こえない音楽を肌に感じるように。

 

今度は裂石の登山口から登りたい。

丸川峠をゆくのもいいし、

大菩薩峠の山小屋・介山荘から

小菅へ降りてゆくのも、楽しそう。

アニエス・ヴァルダの幸福

今日は海の日。

2022年の梅雨は早々に、

例年より半月ほど早い6月27日頃に明けた。

ところがまたしばらくの雨模様、

夜は涼しくて寝やすい日がつづいたけれど、

今日連休の最終日は、海日和。

ひさしぶりの太陽に元気をもらうような、

くったりするような。

 

先日、銀座のメゾンエルメス

アニエス・ヴァルダ監督・脚本の「幸福」を観た。

はじめて観たときに、

強烈な印象を残した作品だったけれど、

ひさしぶりに観て、やっぱり強烈だった。

 

ベルギー生まれのフランス人、

アニエス・ヴァルダ/1928-2019の

比較的初期1965年の作品だけれど、

色彩感覚のすばらしさと、物語の完成度の高さ、

その描写の独自性に、あらためて感嘆。

冒頭のひまわりの描写に、

W.A.モーツァルトのなんともあやしい

弦楽版アダージョとフーガ K546が引用されて、

物語は雄弁に暗示される。

 

パリ郊外に暮らす、幸福そのものの若い家族に、

ひとつの恋愛が絡んで悲劇が起こる、

決してめずらしくないストーリーなのだけれど、

ヴァルダ監督にかかると、

どうしてこう素晴らしく恐ろしいのだろう。

ナイーブで力強く、

洗練されているのにざっくばらん、

きめ細やかなのに実際的で、

おだやかにはげしい。

女性にしか描けないことを、

あっけらかんと描ききってしまうことに、衝撃をうける。

胸がしめつけられて、涙がこぼれる。

 

言葉にできないこと、

言葉にしてしまうと

嘘になってしまうことがある。

圧倒的な行動の力。

 

ほんとうにすごい映画。

 

旦那さんのジャック・ドゥミ監督の

チャーミングでキュートな世界とは、

表面的に似ているようで、ものすごく違う。

わたしが最初にすきになったのは、

ドゥミ監督のほうだったけれど。

 

はかない幸福を象徴する音楽として、

同じモーツァルト

クラリネット五重奏曲K581が用いられていて、

物語とともに聴くと、とても切ない。

 

W.A.モーツァルト

「神々しい軽さ」と表現したのは、

ロシアのピアニストだったかしら。

言い得て妙。

 

わたしは人生を映画や本から

教えてもらったように思う。

 

すばらしい作品に触れると、

うれしいようなかなしいような、

不思議な気持ちになるのです。