佐賀町日記

林ひとみ

くちなし 散骨 半藤さん

ベランダのくちなしの花が咲いた。

楕円形の蕾をみつけたと思うと、

6枚の花弁はたちまちひらいて、

2日ほどであっさりと散ってしまう。

こってりとした香りが漂っている。

5日に咲きはじめて、あっちむいてこっちむいて13花。

 

6/7の東京新聞と、6/8の日経および朝日新聞で、

永らく不明とされていたA級戦犯の遺骨が、

米軍によって太平洋に散骨されたことが明らかになった、

という記事を読んだ。

国立公文書館に保管された米第8軍の報告書に

明記されているのが、はじめてみつかったという。

いまの上皇さまが皇太子だったころ、

戦略的にその15歳のお誕生日12月23日に執行された極刑。

軍人らしい銃殺刑ではなく、むごたらしい絞首刑だった。

A級と分類された「平和に対する罪」に問われた各士、

陸軍大将の東條、板垣、土肥原、木村、

陸軍中将の武藤、文官の広田、7人の遺骨は、

遺族の引取りも許されず、行方不明のままだった。

東京裁判弁護団副団長を務めた清瀬一郎弁護士の手記

「極秘 東京裁判」中公文庫版[読売新聞社1967年初版]によると、

某弁護士が火葬場の片すみの深い穴のなかから

一升/約1.8リットルほどの遺灰の残骸をこっそり回収し、

近くのお寺に託したのち、伊豆山中の観音像のなかに隠したそうだ。

そして占領が解けたのちに、縁のある愛知県西尾市に埋葬し、

「殉国七士之碑」が建てられたとのこと。

米軍は七士が神聖視されることを避けるため、

お墓などは残さずに遺骨はまき散らすことになったという。

 

今年のはじめに他界された

作家・半藤利一さんがご存命であったら

なんとおっしゃられただろうか、お伺いしたかった。

折しも著書「指揮官と参謀 コンビの研究」

文春文庫版[単行本初版1988年]を読んでいたなかでの報であった。

処刑された7人のうち6人が陸軍で、陸軍に責任ありという、

陸軍ばかりが悪者のようなイメージになっているけれど、

そんなことないのでは、と著作のなかで述べている。

戦時に要職にあった27氏、14のコンビについての、

興味深い洞察にぐいぐいひきこまれた。

なかでも「永田鉄山と小畑敏四郎」「山本五十六黒島亀人

天皇大元帥」が印象深い。

日本はどうして戦争につきすすんだのか、

戦争以外の道はなかったのか、という問いが、

わたしは子どものころからつねに胸のなかにある。

先の戦争で負けたことが、日本人のアイデンティティの一部を

良くも悪くも形づくっていると思うし、

現代の根深い政府・政治への不信に、

少なからず関係しているのではと思うのだ。

 

夏休みにまたDVD「東京裁判小林正樹監督1983年を観よう。

幾度も観るに堪える、歴史そのもののドキュメンタリー。

そのなかにみるA級戦犯者たちが、

わたしにはどうしても悪人にはみえない。

今月6月は「牛島満と長勇」でも語られた沖縄戦の末期にあたる。

ほんとうにたくさんの命が散った戦いの先に、

わたしたちはいま生きている。

名のある人も、名のなき人も、

すべての霊の、ご冥福を祈らずにはいられない。

 

くちなしや海になりたる骨七士   ひとみ

 

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