ベランダのくちなしの花が咲いた。
楕円形の蕾をみつけたと思うと、
6枚の花弁はたちまちひらいて、
2日ほどであっさりと散ってしまう。
こってりとした香りが漂っている。
5日に咲きはじめて、あっちむいてこっちむいて13花。
永らく不明とされていたA級戦犯の遺骨が、
米軍によって太平洋に散骨されたことが明らかになった、
という記事を読んだ。
米国立公文書館に保管された米第8軍の報告書に
明記されているのが、はじめてみつかったという。
いまの上皇さまが皇太子だったころ、
戦略的にその15歳のお誕生日12月23日に執行された極刑。
軍人らしい銃殺刑ではなく、むごたらしい絞首刑だった。
A級と分類された「平和に対する罪」に問われた各士、
陸軍大将の東條、板垣、土肥原、木村、
陸軍中将の武藤、文官の広田、7人の遺骨は、
遺族の引取りも許されず、行方不明のままだった。
「極秘 東京裁判」中公文庫版[読売新聞社1967年初版]によると、
某弁護士が火葬場の片すみの深い穴のなかから
一升/約1.8リットルほどの遺灰の残骸をこっそり回収し、
近くのお寺に託したのち、伊豆山中の観音像のなかに隠したそうだ。
そして占領が解けたのちに、縁のある愛知県西尾市に埋葬し、
「殉国七士之碑」が建てられたとのこと。
米軍は七士が神聖視されることを避けるため、
お墓などは残さずに遺骨はまき散らすことになったという。
今年のはじめに他界された
作家・半藤利一さんがご存命であったら
なんとおっしゃられただろうか、お伺いしたかった。
折しも著書「指揮官と参謀 コンビの研究」
文春文庫版[単行本初版1988年]を読んでいたなかでの報であった。
処刑された7人のうち6人が陸軍で、陸軍に責任ありという、
陸軍ばかりが悪者のようなイメージになっているけれど、
そんなことないのでは、と著作のなかで述べている。
戦時に要職にあった27氏、14のコンビについての、
興味深い洞察にぐいぐいひきこまれた。
日本はどうして戦争につきすすんだのか、
戦争以外の道はなかったのか、という問いが、
わたしは子どものころからつねに胸のなかにある。
先の戦争で負けたことが、日本人のアイデンティティの一部を
良くも悪くも形づくっていると思うし、
現代の根深い政府・政治への不信に、
少なからず関係しているのではと思うのだ。
夏休みにまたDVD「東京裁判」小林正樹監督1983年を観よう。
幾度も観るに堪える、歴史そのもののドキュメンタリー。
そのなかにみるA級戦犯者たちが、
わたしにはどうしても悪人にはみえない。
今月6月は「牛島満と長勇」でも語られた沖縄戦の末期にあたる。
ほんとうにたくさんの命が散った戦いの先に、
わたしたちはいま生きている。
名のある人も、名のなき人も、
すべての霊の、ご冥福を祈らずにはいられない。
くちなしや海になりたる骨七士 ひとみ