佐賀町日記

林ひとみ

武器としての「資本論」 | 白井聡

ベランダの鉢植のミントがものすごく元気だ。

北海道美唄のアップルミント。

20㎝くらいのものを3本摘んで、よく洗い、

ティーポットにくるりと巻いて入れて、熱湯を注ぐ。

10分ほど蒸らすと、淡い黄色のきれいな

フレッシュハーブティーができた。

よい香り、とても美味しい。

からだが植物のエネルギーをよろこんでいる。

自分で育てたものをいただくこと。

些細なことだけれど、

これ以上の豊かさはあるだろうか、とふと思う。

わたしたちはお金と上手に付き合えているだろうか。

お金はわたしたちの幸福とどう関係しているのだろう。

 

世界中で経済的な格差が大きくなっているという。

個人、団体、企業、自治体、国などの、

それぞれのレヴェルでそれは起こっているようだ。

そういう世相を反映してか、

カール・マルクスが再び注目を集めているらしい。

パンデミックの最中、昨春に刊行された

『武器としての「資本論」』を読む。

著者の白井聡/しらいさとし氏は、

1977年東京生まれの、現在は京都精華大学の教員で、

政治学社会学を専門とする同年代の学者。

2007年「未完のレーニン」、

2013年「永続敗戦論 戦後日本の核心」、

2018年「国体論 菊と星条旗」などの、

興味深い著作を発表している。

 

カール・マルクス Karl Marx/1818-1883年は、

産業革命のかなり進んだ19世紀に、

プロイセン王国/現北ドイツの

かなり裕福なユダヤ人家庭に生まれた。

恵まれた家柄にもかかわらず、

この弁証法的な人らしく、封建制と資本制に異議を唱え、

エンゲルスとともに「共産主義宣言」を上梓、

危険分子として大陸から追放されてしまう。

亡命先のイギリスで援助の必要な厳しい生活を送りながら

執筆に専念し、50歳になる頃「資本論」第1巻を書き上げた。

その後も世界各国の階級闘争や戦争に対して、

プロレタリアの闘士として積極的に関与ししつづけた。

死後、マルクスの遺稿をもとに

資本論」第2~3巻を朋友エンゲルスが編纂し出版。

 

その名高い「資本論」全3巻は、

岩波文庫版では全9巻にわたる長い長い経済学書で、

微に入り細に入る論調に、とても立ち入る勇気がない。

どうしてそうまわりくどい言い方をしなくてはならないのですか、

と言いたくなるけれど、それを心得ている白井氏の著作は、

ごくごく平易な言葉と比喩と物言いで、

資本論の要点の一部を解説していて、とてもわかりやすい。

それもそのはず、本書は珈琲店での入門講座を基に

まとめられたものだそうで、

一聴講生としてメモをとることが多くあった。

 

資本主義は「商品による商品の生産」と表現され、

労働者は資本者にとっては「商品」とみなされること。

その「商品」である労働者階級が

また別の「商品」の消費者階級でもあることが、

資本者にとっては必要であること。

そして資本はひたすら増大することを目的としているので、

剰余価値/利益をうみだし生産性を高め続けるしかないこと。

その本然は人間の幸福のためでは決してなく、

資本主義が深まれば深まるほど、

原理的に格差は拡大するようになっているのだという。

また、戦後日本の高度経済成長が終わったのは、

オイルショックというきっかけもあったけれど、

より本質的には農村の過剰人口に基づく安い労働力を

使い尽くしてしまったことだという、

著者独自の見立ても面白い。

かつての満州への侵略戦争も、

昨今の外国人技能実習生の存在も、

そのことと無関係ではないような気がしてくる。

 

いまの資本主義・新自由主義の行き詰まりに対して、

有効な手段はあるのだろうか。

世界的には、資本主義と親和性の高い民主主義国家より、

君主や独裁制などの非民主主義国家のほうが、

数でいえば多くなっているというから気になる。

 

経済のことにはほとんど興味がなかったのだが、

パンデミックがきっかけで、世界の構造が気になりだした。

お金は豊かさのひとつの形だけれど、

ほかにも健康・時間・自由・機会などの豊かさも見失わずに、

うまくバランスをとって生きたいと思う。

お金というバイアスをすこし緩めて、

ひとりひとり異なる幸せのかたちを実現できる社会になるように。

 

買ってきた希少で高価なハーブティーもたまにはいいけれど、

家の鉢植のミントティーのほうが、

わたしには価値があるし、満足するのだ。

これはどういうことなのか、

もうすこし考えを進めてみたい。