佐賀町日記

林ひとみ

ホモ・デウス | ユヴァル・ノア・ハラリ

イスラエル歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの

「ホモ・デウス」/2018年河出書房新社を読んだ。

前著「サピエンス全史」で辿った人類の来し方につづき、

その行き方の可能性を提示する、上下巻にまたがる大作だ。

 

「HOMO DEUS : A Brief History of Tomorrow

/ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来」の

オリジナルのサブタイトルは、

:大まかな明日の歴史、くらいのニュアンスだろうか。

未来、未知、未確定の、

歴史とはいえない明日の歴史の具体的な展開に、

どきどきはらはらするばかり。

 

前書「サピエンス全史」で詳細に語られたように、

およそ7万年前の認知革命によって、

虚構/共同主観的領域を獲得したサピエンスは、

ほかのホモ種や生物とは一線を画する道を歩きはじめた。

12000年前の農業革命と、

5000年前の書字と貨幣の発明によって、

生産と集団の規模が飛躍的に拡大し、

500年前の科学革命によって、

グローバル化および世界の統一へと拍車がかかり、

地球上で前代未聞の力をもつ種へと進化した。

「サピエンスは神々や企業を生み出し、都市や帝国を建設し、

 書字や貨幣を発明し、ついには原子を分裂させ、

 月に到達することができた。」/下P.190

そして、20世紀の人類の壮大なプロジェクトであった

「飢饉・疫病・戦争の克服」は、完璧ではないとしても、

地球全体からみればほぼ成し遂げられ、

つづく21世紀には「不死・至福・神性の獲得」という

「ホモ・デウス/神の人」へのプロジェクトが

着々と進行していると見極める。

 

わたしたちが今信じている、

ほとんど宗教といってよいもののひとつに人間至上主義がある。

かつてすべての意味と権威の源泉は神にあったが、

現在それは一人ひとりの自由意志にある。わたしたちは

「自分自身の欲求や感情に頼ることができる。」/下P.36

一人ひとりの命と情動と欲望が神聖視され、

有権者はいちばんよく知っていて、

消費者はいつも正しいとみなされ、

美は見る人のなかにあり、教育は自分で考えることを促す。

ところが近い将来、人間至上主義は

データー至上主義へ行き着くだろうと分析する。

 

21世紀のテクノロジー

バイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムによって、

体と脳と心が、主要な製品となりつつあるらしい。

科学の進化により、人間至上主義の基幹であった

人間には自由意志があるという前提が揺らぎ、

すべては脳内の生化学的なプロセスによるもので、

人の感情も願望も選択も、決して自由なものではなく、

遺伝子コードで説明のつくこととみなされつつあるのだ。

私たちは自分の欲望を感じ、それに従って行動することはできるが、

欲望そのもの自体を選ぶことはできない。

 

いまだかつて私より私のことを知るシステムは他になかったが、

今後は私より私自身についてよく知るアルゴリズムが現れて、

私が望むより前に正しく選択してくれるようになるかもしれない。

健康も人間関係も結婚も、農業も交通も金融も市場も、何もかも。

そのためには情報、ビックデーターが不可欠で、

それは電子工学アルゴリズムによって処理され得る。

そして次第に意味と権力は人間からデータに移り、

何よりも情報の自由/データーフローを尊ぶ

データー至上主義が台頭するかもしれない。

その暁には世界中のどんな些細な部分も生命の壮大なウェブから

切り離されたままではいられなくなり、もしかすると、

「人間がデータを所有したりデータの移動を制限したりする権利よりも、

情報が自由に拡がる権利を優先する」/下P.227 ことになるかもしれない。

そのような人間中心からデータ中心へという世界観の変化は、

わたしたちの想像を超えるものになりそうだ。

「もとになるアルゴリズムは、初めは人間によって開発されるのかもしれないが、

 成長するにつれて自らの道を進み、人間がかつて行ったことのない場所にまで、

 さらには人間がついていけない場所にまで行くのだ。」/下P.241

 

あるいは、まったく別の未来の可能性もあるだろうが、

それは、私たちの選択にかかっている。

著者は、歴史を学び、可能性に気づき、なすがままに任せるのではなく、

選択肢を少しでも増やして、よく考えて行動することを促している。

それは私が本書を読む理由そのものでもある。

 

 

2日前、日本の菅首相の2回目の記者会見をYou Tubeで観た。

そのなかで「グリーンとデジタル」政策の

今後の重要性を説いていたことが、印象に残った。

グローバルな流れに沿っていると思うし、

政府が重きをおく経済活動とも相性がよい。

水素エネルギーについても少し触れていたが、

国をあげてエネルギー分野を開拓していくことに大賛成だ。

 

いつの日になるだろうか、私より私をよく知る

スーパーコンピューターと出逢うのは。

こわいような、でも少し、わくわくするような。

そして人間があらためて、

まだ気づいていない人間の価値を発見できたらいい。

サピエンスが意外にも、

名前のとおり賢い生き物であったら、

こんなうれしいことはないのだけれど。