前著「サピエンス全史」で辿った人類の来し方につづき、
その行き方の可能性を提示する、上下巻にまたがる大作だ。
「HOMO DEUS : A Brief History of Tomorrow
オリジナルのサブタイトルは、
:大まかな明日の歴史、くらいのニュアンスだろうか。
未来、未知、未確定の、
歴史とはいえない明日の歴史の具体的な展開に、
どきどきはらはらするばかり。
前書「サピエンス全史」で詳細に語られたように、
およそ7万年前の認知革命によって、
虚構/共同主観的領域を獲得したサピエンスは、
ほかのホモ種や生物とは一線を画する道を歩きはじめた。
12000年前の農業革命と、
5000年前の書字と貨幣の発明によって、
生産と集団の規模が飛躍的に拡大し、
500年前の科学革命によって、
グローバル化および世界の統一へと拍車がかかり、
地球上で前代未聞の力をもつ種へと進化した。
「サピエンスは神々や企業を生み出し、都市や帝国を建設し、
書字や貨幣を発明し、ついには原子を分裂させ、
月に到達することができた。」/下P.190
そして、20世紀の人類の壮大なプロジェクトであった
「飢饉・疫病・戦争の克服」は、完璧ではないとしても、
地球全体からみればほぼ成し遂げられ、
つづく21世紀には「不死・至福・神性の獲得」という
「ホモ・デウス/神の人」へのプロジェクトが
着々と進行していると見極める。
わたしたちが今信じている、
ほとんど宗教といってよいもののひとつに人間至上主義がある。
かつてすべての意味と権威の源泉は神にあったが、
現在それは一人ひとりの自由意志にある。わたしたちは
「自分自身の欲求や感情に頼ることができる。」/下P.36
一人ひとりの命と情動と欲望が神聖視され、
有権者はいちばんよく知っていて、
消費者はいつも正しいとみなされ、
美は見る人のなかにあり、教育は自分で考えることを促す。
ところが近い将来、人間至上主義は
データー至上主義へ行き着くだろうと分析する。
体と脳と心が、主要な製品となりつつあるらしい。
科学の進化により、人間至上主義の基幹であった
人間には自由意志があるという前提が揺らぎ、
すべては脳内の生化学的なプロセスによるもので、
人の感情も願望も選択も、決して自由なものではなく、
遺伝子コードで説明のつくこととみなされつつあるのだ。
私たちは自分の欲望を感じ、それに従って行動することはできるが、
欲望そのもの自体を選ぶことはできない。
いまだかつて私より私のことを知るシステムは他になかったが、
今後は私より私自身についてよく知るアルゴリズムが現れて、
私が望むより前に正しく選択してくれるようになるかもしれない。
健康も人間関係も結婚も、農業も交通も金融も市場も、何もかも。
そのためには情報、ビックデーターが不可欠で、
それは電子工学アルゴリズムによって処理され得る。
そして次第に意味と権力は人間からデータに移り、
何よりも情報の自由/データーフローを尊ぶ
データー至上主義が台頭するかもしれない。
その暁には世界中のどんな些細な部分も生命の壮大なウェブから
切り離されたままではいられなくなり、もしかすると、
「人間がデータを所有したりデータの移動を制限したりする権利よりも、
情報が自由に拡がる権利を優先する」/下P.227 ことになるかもしれない。
そのような人間中心からデータ中心へという世界観の変化は、
わたしたちの想像を超えるものになりそうだ。
「もとになるアルゴリズムは、初めは人間によって開発されるのかもしれないが、
成長するにつれて自らの道を進み、人間がかつて行ったことのない場所にまで、
さらには人間がついていけない場所にまで行くのだ。」/下P.241
あるいは、まったく別の未来の可能性もあるだろうが、
それは、私たちの選択にかかっている。
著者は、歴史を学び、可能性に気づき、なすがままに任せるのではなく、
選択肢を少しでも増やして、よく考えて行動することを促している。
それは私が本書を読む理由そのものでもある。
2日前、日本の菅首相の2回目の記者会見をYou Tubeで観た。
そのなかで「グリーンとデジタル」政策の
今後の重要性を説いていたことが、印象に残った。
グローバルな流れに沿っていると思うし、
政府が重きをおく経済活動とも相性がよい。
水素エネルギーについても少し触れていたが、
国をあげてエネルギー分野を開拓していくことに大賛成だ。
いつの日になるだろうか、私より私をよく知る
スーパーコンピューターと出逢うのは。
こわいような、でも少し、わくわくするような。
そして人間があらためて、
まだ気づいていない人間の価値を発見できたらいい。
サピエンスが意外にも、
名前のとおり賢い生き物であったら、
こんなうれしいことはないのだけれど。