佐賀町日記

林ひとみ

ふゆ たべる くじら

11月も終わりに近づき

いよいよ冬らしく寒くなってきた。

朝6時はまだ暗く、

7時ころにようやく明るくなる。

あんなに明るかった朝が、こんなに真暗になるかのと、

季節の推移に、毎年のことながら驚く。

地球はおよそ23.4度傾きながら公転している。

それはどうしてなのだろう。

いつからそうなのだろう。

 

冬のコートをひっぱりだして、

クリーニングのタグを外し、半年ぶりに袖を通す。

暖かくてずっしりとした、冬の重さに包まれる。

寒いときは温かい色を着たくなる。

せっかくだから、

サンタクロースみたいな真赤も楽しい。

 

今冬は特にウイルスのことが気になるので、

からだが喜ぶものを美味しく食べたい。

わたしは高校生くらいの頃から、

動物性たんぱく質を摂ることに抵抗を感じるようになり、

なんとなく肉や魚を食べることを避けてきた。

深く考えず自然とそうなってしまったのだけれど、

振りかえってみると、

思いあたることはいくつかありそうだ。

たとえば、捕食する人間という生き物を哀しく思ったこと、

世界の貧しい国の人たちが

骨と皮だけのようにがりがりに痩せている写真や、

原爆による焼死体の写真をみてショックだったこと、

それからお肉屋さんにぶら下がっている

グロテスクな肉の塊に戦慄したこと、などだろうか。

そういう小さな断片が積み重なって、

得体のしれぬ抵抗感ができてしまったように思う。

それはいまもあって、

だから必要以上に捕食したくないと思ってしまうし、

光合成で生きられる植物を羨ましく思う。

あるいは霞で生きる仙人を。

 

そうして肉や魚をほとんど食べなくても、

不足や不自由を感じたことはなかったのだけれど、

ここ半年ほどで、すこし魚を食べてみようかな、

という気になったのは大きな変化だった。

ステイホームで外食がめっきり減って、

ほとんど家で食べるので、

気分を変えたいというのもあったかもしれない。

ウイルスに備えて力をつけたいというのもある。

夏はアジやハマチのお刺身をよく食べた。

そしてこれからは鍋の美味しい季節だ。

なにより簡単なのがうれしい。

けれどタラやブリの切身に包丁をいれるのは、

やっぱり気持ちいいものではない。

動物を食べるのはよっぽどのことと思うので、

感謝をしながらいただいている。

魚たちが、わたしのなかで、

一緒に生きるのを楽しんでくれたらうれしい。

 

なかでも鯨はより人間に近い海の生き物だと思う。

日本では古い歴史をもつ捕鯨だけれど、

80年代に国際捕鯨委員会/IWCで決議されてからは、

商用の捕鯨は停止されていた。

ところが2019年に日本はIWCを脱退して捕鯨を再開し、

世界からひんしゅくをかっている。

戦後の食糧難の時代ならいざ知らず、

先日スーパーでお刺身用のくじらのブロックをみて、

くじらはこういう色をしているのかと、びっくりした。

 

  なぜ鯨食べる必要あるか今

 

とつい五七五にしてしまったが、

先生から「これは俳句ではありません」と

バッテンをもらってしまった。

自然にできてしまったのだから仕方ない。

 

人間同士も、牛や豚や鶏や鯨たちとも、

地球で共に生きるのが、もっと簡単になったらいい。

できれば、仲よく生きれたらもっといい。

 

宇宙を旅するボイジャーにも積まれている

くじらのうたを聴いていると、

おだやかでやさしい気持ちになるのです。