佐賀町日記

林ひとみ

立夏 黒鯛 公衆電話

今日は立夏、夏が来た。

また端午の節句、こどもの日でもある。

すこしまえに柏餅をいただくと、

柏の葉のほんとうにいい香り。

そして一年前と同じく緊急事態宣言中の連休だ。

ウイルスの変異株の流行がつづいている。

 

昨年は隅田川の両岸に

びっくりするくらいたくさんの人がでていたが、

今年はそれほどでもないようだ。

小さなクルーズ船が少しの乗客をのせて、

スカイツリーのほうへ向かっている。

永代橋のたもとで釣りをしている人がいる。

ルアーを投げて引いてというのでなく、

大きな網を片手にけっこう本格的な雰囲気なので、

「なにか釣れますか?」と訊ねると、

ひと言「クロダイ」と教えてくれた。

そうか、隅田川で黒鯛が釣れるのか。

自分でさばいて食べるのだろうか。

そういえば昨夏、50cmくらいのグレーの魚が

クリーム色のお腹を海面に浮かせて死んだまま、

あてどなく波に揺られていたことを思い出す。

あれはクロダイだったのだろうか。

みえないけれどすぐ傍に、

いろいろな生き物が生きている。

 

永代通りをまっすぐ歩いて

日本橋丸善へ本を受取りにゆく。

昨年は図書館も閉館、本屋さんも閉店していて、

そういうことは初めてだったから、

日常がほんとうにありがたいものに感じられた。

 

人気のまばらな幹線道路を歩いていると、

ふと公衆電話のボックスに目がとまる。

無人のそのボックスに、テレフォンカードと

飲み切りサイズの紙パックの日本酒が放置してあって、

ここ数日中にだれかが使用した形跡が濃厚だ。

そのテレフォンカードは、結婚記念のカードのようで、

見知らぬおふたりの幸せそうな写真と、

「私達結婚しました」というメッセージが刷られている。

雰囲気からすると20~30年前くらいのものだろうか。

そのテレフォンカードを使用して、

今の携帯電話の時代に、わざわざ公衆電話で、

誰が誰に電話したのかなと、なんだか訳ありのようで、

しばらく釘付けになってしまった。

小説家なら物語が一本書けそうな設定ではないだろうか。

みえないけれどすぐ傍に、

いろいろな人生があるのかも。