佐賀町日記

林ひとみ

シューベルトのます

穏やかな秋晴れがつづき、

空にひろがる雲のかたちが楽しい10月。

うろこ雲、ひつじ雲、すじ雲、

それから、うさぎ、くま、くじら、龍、など

いろいろな形をみつけて遊ぶ。

5歳の甥っ子に、

「ほら、あそこにお魚さんが2匹いるよ」と

いってみるが、よくわからないらしい。

そこで「なにかみえる?」ときいてみると、

「えだまめ!」と指をさして教えてくれた。

お腹がすいていたのだろうか、たしかに枝豆だった。

 

春からの流行ウイルスのことに人間も慣れてきて、

すこしづつ声楽のレッスンも再開されている。

ドイツリートを勉強してみたいと思い、

シューベルトの歌曲をいくつか選んで練習していた。

ピアノと弦楽の五重奏でもよく知られている

「Die Forelle /鱒 /ます」にも取り組んだ。

どうして有名なのだろう、とふと知りたくなったのだ。

 

Franz Peter Schubert /フランツ・ペーター・シューベルトは、

オーストリア生粋のウィーン子で、

西洋芸術における大きな流れ、

ロマン主義の入口にあたる1797-1828年という時代に、

31年という短い生涯を駆けぬけた音楽家だ。

いまでも交響曲ピアノソナタなどがよく演奏されているけれど、

なかでもドイツリート/歌曲は、

本質的にはシューベルトからはじまった、といわれるほど名高く、

600超もの作品が残されているという。

 

「ます Op.32 / D.550」は、

詩人シューバルト/1739-1791年の詩にもとづいた、

シューベルトが21歳のとき、1817年の作品だ。

そこで歌われるのは、

明るく澄んだ小川で元気よく泳ぎまわる鱒たちの様子、

つづいて釣り人が現れたけれども、

水がとても澄みきっているので、

鱒たちは釣り人に捕まることはないだろう、という楽観、

けれども、釣り人が水を濁らせてしまったので、

あっという間に鱒は釣られてしまった、

私は釣り人が鱒をだましたのをぞっとして見ていた、というもの。

作曲はされていないけれど、

シューバルト氏の詩には続きがあって、

無邪気な若い娘たちが、

狡猾な男に騙されてしまいやすいことを、

鱒と釣り人の比喩として警告しているようだ。

辞書を片手に自分でも訳してみるけれど、 

実に世話物的な歌。

イングマール・ベルイマン監督の恐ろしくも美しい

映画「処女の泉」が思い出される。

練習したのはオリジナルの調で、

私にはすこし高いかなと思ったけれど、

頭声を練習するのにはよいと思ってチャレンジした。

ドイツ語はいまいち自信をもてないけれど、

3か月ほど集中して練習したので、

学ぶことは多かった。

 

また歌っているとなんとなく思い出すのが、

黒澤明の映画「天国と地獄」だった。

物語の中盤で犯人が登場する印象的な場面、

いかにも淀んで濁った水溜に、

犯人が映りこんで現われて、物語が展開しはじめる場面に、

室内楽版の「ます」が流れるのだ。

どうしてここでこの音楽?と思っていたのが、

歌曲に取り組んだことではじめて理解できたのだ。

とはいえ、どうして「ます」が有名なのかは、

歌ってみても、いまいちよくわからないのだった。

 

シューベルトの歌曲の森を、

お気に入りのどんぐりをみつけるように、

もうすこし探検したい秋なのです。