穏やかな秋晴れがつづき、
空にひろがる雲のかたちが楽しい10月。
うろこ雲、ひつじ雲、すじ雲、
それから、うさぎ、くま、くじら、龍、など
いろいろな形をみつけて遊ぶ。
5歳の甥っ子に、
「ほら、あそこにお魚さんが2匹いるよ」と
いってみるが、よくわからないらしい。
そこで「なにかみえる?」ときいてみると、
「えだまめ!」と指をさして教えてくれた。
お腹がすいていたのだろうか、たしかに枝豆だった。
春からの流行ウイルスのことに人間も慣れてきて、
すこしづつ声楽のレッスンも再開されている。
ドイツリートを勉強してみたいと思い、
シューベルトの歌曲をいくつか選んで練習していた。
ピアノと弦楽の五重奏でもよく知られている
「Die Forelle /鱒 /ます」にも取り組んだ。
どうして有名なのだろう、とふと知りたくなったのだ。
Franz Peter Schubert /フランツ・ペーター・シューベルトは、
オーストリア生粋のウィーン子で、
西洋芸術における大きな流れ、
31年という短い生涯を駆けぬけた音楽家だ。
いまでも交響曲やピアノソナタなどがよく演奏されているけれど、
なかでもドイツリート/歌曲は、
本質的にはシューベルトからはじまった、といわれるほど名高く、
600超もの作品が残されているという。
「ます Op.32 / D.550」は、
詩人シューバルト/1739-1791年の詩にもとづいた、
シューベルトが21歳のとき、1817年の作品だ。
そこで歌われるのは、
明るく澄んだ小川で元気よく泳ぎまわる鱒たちの様子、
つづいて釣り人が現れたけれども、
水がとても澄みきっているので、
鱒たちは釣り人に捕まることはないだろう、という楽観、
けれども、釣り人が水を濁らせてしまったので、
あっという間に鱒は釣られてしまった、
私は釣り人が鱒をだましたのをぞっとして見ていた、というもの。
作曲はされていないけれど、
シューバルト氏の詩には続きがあって、
無邪気な若い娘たちが、
狡猾な男に騙されてしまいやすいことを、
鱒と釣り人の比喩として警告しているようだ。
辞書を片手に自分でも訳してみるけれど、
実に世話物的な歌。
イングマール・ベルイマン監督の恐ろしくも美しい
映画「処女の泉」が思い出される。
練習したのはオリジナルの調で、
私にはすこし高いかなと思ったけれど、
頭声を練習するのにはよいと思ってチャレンジした。
ドイツ語はいまいち自信をもてないけれど、
3か月ほど集中して練習したので、
学ぶことは多かった。
また歌っているとなんとなく思い出すのが、
黒澤明の映画「天国と地獄」だった。
物語の中盤で犯人が登場する印象的な場面、
いかにも淀んで濁った水溜に、
犯人が映りこんで現われて、物語が展開しはじめる場面に、
室内楽版の「ます」が流れるのだ。
どうしてここでこの音楽?と思っていたのが、
歌曲に取り組んだことではじめて理解できたのだ。
とはいえ、どうして「ます」が有名なのかは、
歌ってみても、いまいちよくわからないのだった。
シューベルトの歌曲の森を、
お気に入りのどんぐりをみつけるように、
もうすこし探検したい秋なのです。