節分と立春を過ぎて、
春の陽ざしを感じられるようになってきた。
確定申告を早々にすませて、ほっとひと息。
ちょうど昨年の今ごろ、
北京オリンピックの最中の2月24日に、
ウクライナへのロシアの侵攻という形で、
西側と東側の戦争が始まった。
大多数の人は知る由もないけれど、
関係者には想定されていた戦争だったようだ。
本気で回避するつもりならできたはずのことで、
あるいは西側の挑発もあったのかもしれない。
先の日本の開戦経緯のように。
いつの時代も、
市民の与り知らぬところで、国際社会は動いている。
経済にしても、中央の緩和政策の弊害が、
円安という形ではっきりと現れてきたので、
銀行の総裁人事もふくめて転換期にさしかかっている。
ここでも世界的な株価や為替の作為のなかで、
右往左往している個人がみえる。
そして1年が経った。
第二次世界大戦のうちの太平洋戦争、
つまり大東亜戦争は、3年9か月に及んだ。
当時の話を、いま祖父母に聴きたかった。
書くことの意義のひとつはここにある。
時の戦国時代の景をかく。
応仁の乱以来、百年以上にわたって、
日本中の何処かで戦争が起っていない時はなかった、
とさえ言っていい。
まさに戦国時代であったが、兵乱は、
決して文明を崩壊させはしなかったし、
文明の流れを塞き止めもしなかったという、
この時代の、言わば内容の方が、余程大事なのだ。
群雄が、各地に割拠して、相争う乱世は、彼等が、
どうあっても勝たねばならぬという、
はっきりした必要に迫られて実践した、
めいめいの秩序を内容としていたのである。/上巻p.82
歴史の大きな流れにみれば、
今の戦争もそういえるのかもしれない。
文明を崩壊させることはないし、
その流れを塞き止めることもないばかりか、
あるいは加速させるかもしれない。
そう頭で理解したところで、心はわりきれない。
人のいのち以上に価値あるものがあるだろうか。
おそらく頭と心の、働きの目的が違うのだ。
相半ばするこのちぐはぐを、
相半ばするままにしておくこと。
安易に一方に回収しないこと。
そのために本「本居宣長」の先へ進もう。
この内容を自分のものにするために。