今日は春分の日。
季節が入れ替わり、風がふきあれる春。
右へ左へ、前へ後ろへ、上へ下へ。
揺られて中心の感覚がなんとなく朧だ。
わたしの中心。
東京は14日に桜の開花が告げられた。
桜並木や群生はそれはそれは見事だけれど、
年明けすぐの寒桜、2月頃の河津桜、
それから寒緋桜など、さりげなく、
ひとりひとり咲いている桜もいい。
なにか存在の確かさのようなものを感じる。
わたしはひとつのものにじっくり向き合ったり、
なにかをよく感じたりするのが性に合う。
だからお花見の盛りをなんとなく逃してしまう。
雑踏に気をとられてしまって、
もったいないといえばもったいないかもしれない。
明日21日で緊急事態宣言が解除される。
長かった、70日とちょっと、2か月半。
新型コロナウイルスは、いつまで新型なのだろう。
かれこれ一年以上つきあっている。
どんどん変異もしているらしい。
国内の一年間の死者数は、
新型ウイルスによって約8500人、
自殺によって約21000人だと新聞で知る。
今に始まったことではないが、改めてショックだ。
変な言い方だけれど、ウイルスと同じくらい、
よくよく自死を問題視した方がよい気がする。
1日に58人くらいづつ、毎日、自死しているなんて、
なにかがおかしいようでこわい。
人は元気で自分らしくいられるとき、
生きていることを奇跡の連続と感じられるけれど、
もしも、自分が自分でなくなってしまったら大変だ。
生きているのに死んでいるみたいになってしまう。
それに自分、といういのはどんどん変わる。
成長するし、ものの見方や見え方もどんどん変わる。
自分のことが自分でわからない、という歌があるけれど、
遊んでいるようでとっても真剣で、いいなと思う。
自分が自分であることと、どんどん変化すること。
なんだかウイルスに似ている。
そして、いつまで新型なのだろう。
春のあらしに揺さぶられて、
わたしの中心も、いっとき揺れている。
なんとなく落ち着かず、妙な居心地。
そうやって、すこしづつ前へ進んでいる、かな。
春だもの。