2019年の7月は
梅雨らしいお天気が長く続いた。
日照時間もずいぶん少ないという。
盛夏のぎらぎらとした日照りを思えば、
湿度が高く蒸々していたとはいえ、
ずいぶんと過ごしやすい7月だった。
ちょうど10年前の2009年も、
概して涼しい夏だったこと思い出す。
今年のように梅雨が深いというよりは、
あまり暑くならなかったという印象だ。
涼しさのせいかどうか、
蝉はいつもと同じように鳴いただろうが、
どこかいつもと違うように聴こえたのだ。
あるいはそれは個人的なものかもしれない。
人の聴覚は微妙に、
機械的であると同時に主観的でもある。
音の振動/周波数だけでは測りきれない、
精神的な要素と密接に結びついている。
たとえば同じ音楽が耳に届いたとしても、
快と不快ほどの隔たりが生じることだってある。
また同じ空間を共有していても、
ある人にはきこえたり、
ある人にはきこえなかったり、
はたまた聴こえ方が異なったりすることもあるから、不思議だ。
音はまるで、現実の世界にひとつあるのではなく、
ひとりにひとつづつあるようだ。
今年はじめて蝉の声を聴いたのは
7月18日だった。
多摩川を見おろす高台の林のなかで、
ミーンミーンと樹上から声が降ってきた。
雨上がりのむんとした草いきれと、
樹立のなかの薄暗さを、胸に深く吸い込んだ。
そうして佇んでいると、
自分というものが解けてなくなるようで、
一方で充実しているようで、心地よい。
人間界の方便もすきだけれど、
自然界の流儀に倣いたい、2019年の7月。
明日は土用の丑の日だし、
もうそろそろ梅雨も明けるかな。