金木犀の花が咲きはじめた。
図書館への道すがら、
歩いていると香りがして、あたりを見廻す。
あ、あそこに、と、あらためて近くへ寄ってみる。
深呼吸する。
まあるい香り、金木犀。
いまさらだけれど、
「昭和天皇独白録」を読んだ。
昭和天皇が5人の側近に語った記録で、
初出は総合月刊誌「文藝春秋」1990年12月号。
日本とアメリカの橋渡しをした寺崎英成氏により、
日本語版とその抜粋の英語版が作成されたという。
戦後まもない1946/S21年の春に行われた聞き書きは、
天皇自身の言葉で語られたひとつの真実として、実に興味深い。
とくに印象深いのは、その開戦の経緯だった。
天皇曰く、その遠因は、
第一次世界大戦後の平和条約において、
日本の主張した人種平等案が列国に容認されず、
黄色人種への差別が依然としてあることに加えて、
カリフォルニア州への移民の拒否が、
日本国民を憤慨させたのだという。
そしてその背景のなかで軍が立ちあがったとき、
これを抑えることは容易ではなかったとしている。
明治の開国から不平等条約を強いられてきた日本にとっては、
宣言通り自存自衛の戦いだったのだろうか。
また「日米戦争は油で始まり油で終つた様なものである」、
その日米開戦時の国内情勢下、天皇が開戦を拒否したら、
「国内は大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、
私の生命も保証できない、
それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、
今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、
果ては終戦も出来兼ねる始末となり、
日本は亡びる事になつたであらうと思ふ。」という。
原子爆弾による悲劇をよく知る私たちは、
必ずしも天皇の見解に同意はできないけれど、
天皇と国内情勢が追い詰められていたことは伝わってくる。
当時の日本には下剋上の雰囲気が広がっていて、
上官のいうことも、天皇のいうことも、
必ずしも聞き入れられるわけではなかったようだから、
国民を養うことに手を焼いて、移民政策もうまくゆかず、
列強に虐げられて、満州に領土を拡大するほか、
どうしたらいいのだろう、という八方ふさがりの状態だろうか。
本当にいろいろなことが重なった悲運がよくわかるし、
現代にも通じる問題の根深さに、立ち尽くすばかり。
そこで東条大将の遺言を思い出して、
遺言の原本はGHQから返してもらえないそうだが、
死刑執行前夜に大将が教誨師に向かって、
原稿用紙20枚ほどの遺書を読み、花山師が摘記したものという。
そのなかで印象深いのは、大将の考える敗戦の原因と、
共産主義に対する危機感だ。
とくに敗戦の原因についてこう語る。
「東亜の他民族の協力を得ることができなかったことが、
今回の敗戦の原因であると考えている。」
近年のQUAD/4か国戦略対話などの地域機構は、
そういう流れのなかにあるともいえそうだ。
わたしは戦争を肯定するつもりは全くないけれど、
ただ否定するだけでよいとは思わない。
日本人を知りたいし、世界のことも知りたいし、
パワーゲームのその先にある世界がみたい。
それは、人間にどういう可能性があるのかを、
みたいということなのかもしれない。