佐賀町日記

林ひとみ

8月尽 2021

今日で8月も終わる。

お盆のころには

ウイルス感染の第5波がピークに達し、

変異したデルタ株へのあらためての慎重さを迫られた。

1年遅れの東京五輪2020も開催されたが、

パンデミックの最中、

1964年の成功体験とはまた別の、

賛否両論のある大会だった。

選手の栄光と挫折のドラマや、

商業化しすぎたといわれる祭典は、

テレビをみないわたしにとって、

IOC広報部長マーク氏のおっしゃるとおり、

まさにパラレルワールドだった。

住んでいる江東区のすぐそこで開催されているのに。

でもそれでいいのだと思った。

 

ベランダの鉢植えのミントに

花が咲いている。

淡いむらさき色の花。

 

先日、出かけたついでに、

ひさしぶりに四谷のサン・パウロ

ドン・ボスコ社へ寄った。

キリスト教とくにカトリック関係の

書籍や用具を取り扱うお店で、

信者ではないけれど、銀座の教文館同様、

ときどき寄りたくなる書店。

 

この日は、なんとなく目にとまった、

教皇フランシスコの近著「パンデミック後の選択」と

カリール・ジブランの「預言者」をもとめた。

どちらも夏籠りのなか、

じっくり読むことができた。

 

バチカン出版局から2020年6月に刊行された

「Life After the Pandemic」は、

パンデミックの渦中での教皇の説教・講和・書簡などの8編を

収めた書籍で、いまのカトリック教会のムードがよくわかる。

心が清められるようなすばらしい表現に喜びを感じる一方で、

聖人・聖女への過度の崇拝や、精神性に頼りすぎる思想、

困窮者を弱者・貧困者として一様に憐れむまなざしには、

居心地のわるさや、むしろ利己心を感じてしまった。

困難な状況に生きる人の強さをみることが、

とても大切だと思う。

いまの社会のピラミッド構造の限界が

例外なく教会にも表れているように思えたのだ。

 

「The Prophet」Kahlil Gibran

/「預言者」カリール・ジブラン著・至光社1990年刊は、

まるでゲーテにおける「ファウスト」のような作品で、

15歳で書かれた草稿を、幾たびも練り直してあたためて、

25年後の1923年にようやく出版されたという散文詩集。

そのため強度があり、読み応えもあって、

そういう本に出逢えてとてもうれしい。

レバノンに生まれて、アメリカやヨーロッパへ渡り、

絵や文章を発表、ロダンドビュッシー等とも親しかったという、

カリール・ジブラン/1883-1931年。

翻訳者の佐久間彪氏の力も大きいと感じるが、

旅人とも哲学者ともいえる預言者アルムスタファが、

民衆をまえに、愛、友情、善と悪、祈り、美、宗教などについて、

美しくまた思慮深く語る物語。

印象に残った一節を。

 

「たとえ天使のように歌っても、歌うことを愛せないなら、

 かえってその歌でひとの耳をふさぎ、ささやきかけてくる

 朝と夕べの声をせきとめてしまうのです。」/P39

 

そんな8月の流れのなかで、

中世ドイツの修道女ヒルデガルド・フォン・ビンゲンの残した

ア・カペラの声楽曲をよく聴いた。

ラテン語でうたわれる祈りの歌は、

細胞のひとつひとつにしみわたる。

 

わたしにとって生まれつきの8月、

今年はほとんど食欲がなく、

枝豆・すいか・ぶどう・なし、ばかり食べていたけれど、

こころもからだも、きれいに片づけて明るくして、

また新しい自分に出逢えますように。