中国山地の北側に位置し
日本海に面して東西にひろがる山陰地方は、
古代にまでさかのぼる歴史をもち、
かつて出雲・石見・隠岐・伯耆・因幡と呼ばれた国々は
多くの神話の舞台となったことから、
神話の国とも謳われている。
島根から東へ、中海/なかうみという湖を越え、
鳥取県北西部の境港/さかいみなとを訪れた。
山陰特産のカニや魚介類が水揚げされる漁港で、
貿易港でも、客船の航路でもあるという大きな港だ。
かつては北前船/きたまえぶねが寄港し、
現在では隠岐の島をはじめとした国内船や、
韓国やロシアへの国際船も出入港するようで、
大型フェリーからイカ釣り漁船まで、
水産庁から海上保安庁まで、大小さまざまな船が停泊していた。
ときおり世界共通の言語である汽笛が鳴ったが、
Buoooーという深みのあるニュートラルなその音を聴くと、
懐かしいような気持ちになるのは、なぜだろう。
県中央部に位置する城下町・倉吉は、
かつて城が築かれたという打吹山/うつぶきやまのふもと、
玉川沿いの白壁土蔵/しらかべどぞうの街並みが、
伝統的建造物群保存地区として整備されていた。
白い漆喰壁に、黒い焼杉の腰板が張られ、
屋根に朱い石州瓦を葺いた土蔵や商家が、
江戸・明治期の面影を伝えていた。
ゆるやかなカーブをもつ一枚石の石橋が
小川をまたいで建物の裏口と通りをつないでいたが、
その実用的で何気のない石橋がとても美しかった。
陣屋町/行政の中心地でもあった倉吉には、
現在も市役所があり、建築は丹下健三氏によるそうだが、
昨年10月21日の鳥取県中部地震により、震度6弱を記録したという
市内のあちらこちらの民家の瓦屋根には、
いまだ青いブルーシートが張られたままで、
ぬきさしならぬ現在進行形の、リアルな街並みが印象深かった。
岡山との県境にほど近い
県南東部の智頭宿/ちづじゅくは、
江戸時代には宿場町として大そう栄えたという町で、
奈良時代以前に結ばれた兵庫県姫路へ通ずる因幡街道と、
岡山へ通ずる備前街道が交わる地で、杉の産地でもあるという。
同地で山林業や問屋業を営んでいた大庄屋・石谷家の住宅が
国指定重要文化財として公開されており、
部屋数約40に広大な土間・7棟の土蔵・茶室・庭園などを有する
武家屋敷風の大規模なその邸宅からは、
往時の繁栄が偲ばれ、見応えがあった。
県北東部にひろがる鳥取砂丘では、
雨と雪との入り混じる、すさまじい強風に、
砂が舞い、目を開けているのがやっとだった。
黄土色の砂の上に、およそ同系色の駱駝/らくだが3頭、
目も脚もたたんで休息していた。
はじめて見るラクダは、なんてユニークなのだろう、
背中に同じくらいの大きさのこぶがふたつ、
犬のようにWoonと吠えたのでびっくりした。
年々縮小しているという東西16㎞・南北2㎞の海岸砂丘は、
雨雪を吸収して、常に内部に水分を保っているそうで、
出現したコバルトブルーのオアシスが、ひときわ神秘的だった。
湯治湯として名高い三朝/みささ温泉は、
荒涼とした三徳川/三朝川の周辺に宿や病院が集まり、
大学施設とも連携しているという、珍しいラジウム温泉だ。
白い狼を助けたお礼に神託を得たという伝説の起源をもち、
1164年/長慶2年以来、
楠の木の根元から湧出し続けているという株湯/かぶゆは、
口に含むとわずかに湯の花の味がした。
41~42℃の源泉は、無色透明・ほぼ無臭で、なめらかだ。
放射能ラジウムが崩壊したときに生じる
微量の放射線ラドンガスを体内に吸収すると、
心身が活性化され免疫力が高まるということで、
入浴・飲泉はもちろんだが、より効能を求めるならば、
肺から蒸気を取り入れるのが最も効果的ということだった。
かつて三朝温泉病院は傷痍軍人の療養所として
設立されたという歴史をもつことからも、
傷ついた多くの人を癒し続ける、
懐の深い名湯であり温泉街なのだろう。
再び、ゆっくりと訪れたい霊泉だ。
深緑色の小山のもこもことした山並みや、
朱や黒色の石州瓦屋根の家並みが印象的な、
奥の深い、どこか気品の漂う山陰だった。