佐賀町日記

林ひとみ

オラファ―・エリアソン ときに川は橋となる

残暑のはげしい9月のはじめに

東京都現代美術館の企画展

「オラファ―・エリアソン ときに川は橋となる

/Olafur Eliasson  Sometimes the river is the bridge」を観た。

 

COVID-19の騒ぎがあって以来、

はじめて行くことができた展覧会だった。

江東区木場公園の一角にある東京都現代美術館は、

家から徒歩15分くらいの距離にある。

身近であることが、かつてなく貴重に思える2020年。

一方で私たちは、すぐ簡単には手に入らないような、

遠くはなれたものを志向する傾向ももっている。

それは一体何だろう。

 

オラファ―・エリアソン/Olafur Eliassonは、

1967年生まれのアイスランドデンマーク人で、

日本では原美術館以来、10年ぶりの個展になるという。

水、氷、光、虹、霧、時間、溶岩、鏡、太陽光などの、

自然現象を用いて、わたしたちが知覚しにくい、

あるいは取りたてて気に留めないような、

世界の繊細な一面を提示する17の作品群。

それらはわたしたちに、

シンプルだけれども新しい体験と思索をもたらす。

生命体としての地球の傷つきやすさを明らかにするための、

可視化の試みも印象的だった。

たとえば作品を搬入する際に、

CO2排出の観点から飛行機ではなく鉄道と船を利用し、

その輸送中の揺れを記録したドローイングや、

地球温暖化によって溶けた氷河を明示するフォトグラフ、

氷河の塊を街なかに展示したプロジェクトの記録などは、

表現として実にストレート。

それらを前にしてわたしたちは、

まごまごしたり驚いたり慄いたりするしかない。

そんな真摯なメッセージの半面、

太陽光でチャージしたライトで暗闇に光の絵を描く

参加型の「サンライト・グラフィティ」があったり、

複数の色違いのライトが重なり合って後方から観覧者を照らす、

ポップで詩的な「あなたに今起きていること、

起きたこと、これから起きること」があったりで、

解き放たれた楽しい気持ちになる。

本展のための新作「ときに川は橋となる」は、

大きなテント型の暗幕のなかで鑑賞する作品で、

中央の床に置かれた水盤の水の揺らぎが、

上方の12のスポットライトにより天井に映し出される、

幻想的とも禅的ともいえるような作品だった。

光の遮断された暗闇でわたしたちは何を観るだろう。 

ひとは毎晩まぶたを閉じて意識をひらいて夢をみる。

たとえばまぶたを開いているとき、意識は閉じてしまうのだろうか。

そこここの展示室で写真のシャッター音がこだまするなかで、

天幕のなかだけは誰ひとり写真を撮っていなかった。

それがいいことなのか、なんなのかは、わからない。

ただ暗闇と水と奇妙な光の揺らぎに、頭が空っぽになる。

 

企画展とコレクション展をゆっくりみて半日、

35℃近い外界とは別世界の、

冷房が効きすぎるくらいひんやりした館内、

混雑はしていない広々とした館内を、魚のように回遊した。

美術館という水槽のうちに、

充足している金魚のような気分だった。

ひさしぶりで楽しかった。

 

感染症がひと段落して、

また遠くへ行けるようになったとき、

どこへでも行けるようになったとき、

わたしはどこへ行って何をするのだろう。

 

そのときがくるまでのお楽しみ、

といえるかな。