佐賀町日記

林ひとみ

詩 レクイエム

きのう

春の雪が降った

 

天から地への

ホワイトデー

 

アレクサンドル・ソクーロフ

ドキュメンタリー

 

モーツァルト

レクイエムを観た

 

黒マントにすっぽり

身をつつんだ聖歌隊

 

楽譜を捧げ

舞台のうえを彷徨する

 

信徒は歌う

 

止まる 座る

集まる 散る

 

死神は近づく

 

いかなるときも

聖歌は奏でられる

 

緋色の照明

逆光のシルエット

 

協和音や不協和音の背後に

鳥のさえずりが伴奏される

 

朝と夜

闇と光

 

死とそれ以外のものと

生とそれ以外のものとの

 

畏れる崇高な

交感のセレモニー

 

わたしの背後に

鳥たちのさえずりが聴こえる

 

春の雪

 

一日だけ挿入された冬に

みな驚いている

 

パンが欲しい

キリストのパン

 

サンクト・ペテルブルグと佐賀町の

鳥たちの合唱が

 

地から天へ

奉納される

 

窓にスモークがかかる

水滴が耐えきれずに

 

流れ落ちる

ラクリモザ

 

十字架の昇天

 

神のなみだ

 

あれは確か

東京大空襲

 

75回目の

3月10日の深夜

 

寝静まった部屋が

物音で賑わった

 

気配を感じる

 

死者たちは

焼野原に立っている

 

わたしたちの時間を貫いて

いまここに立ちつくしている

 

人は死なない

 

いまこの地球上で

 

コロナウィスルは

世界をつなぐ

 

東京オリンピック

エムブレムの形

 

シンクロする

市松模様のリング

 

機能不全に陥ったかにみえる

世界の野辺に

 

レクイエムは

ひっそりと花ひらく

 

わたしの身体の細胞の

ひとつひとつに

 

37兆2000億の

共鳴がうまれる

 

残響につづく

侵しがたい沈黙

 

熱狂ではない

厳かな拍手

 

讃えられた

生と死を

 

もれなく携えて

人々は帰ってゆく

 

きのう

季節はずれの

 

雪が降った

 

そして 

何事もなかったかのように

また生きてゆく

 

あるいは

ほんとうに

何事もなかったのかもしれない