自然農法の提唱者である
自然農法の実践と哲学を
口語体で平易に記述した指南書ともいえる本作は、
1975年に柏樹社より出版され、
1983年に春秋社に引き継がれ、
増版を重ねながら読み継がれている作品だ。
横浜税関の植物検査課に勤務していた25歳の頃、
心身の疲労から急性肺炎を患い、死の恐怖に直面し、
人生を一変させる強烈な価値観の転換を体験する。
徹底的な懊悩の末に「この世にはなにもない」という確信、すなわち
「架空の観念を握りしめていたにすぎなかった」ことを体得したという。
その後、郷里へもどり帰農し原始生活を始めるが、
当時村長であった父親の勧めや、激化する戦争の影響から、
高知の農業試験場で科学農法の指導・研究に8年間携わったのち、
終戦とともに、再び郷里で帰農して以来、
終生、自然農法を実践・提唱しつづけた、独立独歩のパイオニアだ。
独特の否定の精神、
人知・人為は一切が無用であるという
一切無用論に貫かれた思想により辿りついたのは、
米と麦の連続不耕起直播、またの名を
緑肥草生米麦混播栽培というユニークな農法だ。
秋の畑にまだ稲がある10月上旬頃に
雑草対策と緑肥を兼ねたクローバーの種を稲の頭からばら播き、
つづいて10月中旬頃に麦の種をばら播き、
およそ2週間後の10月下旬に収穫の稲刈りをし、
地力・発芽・保水対策、雑草や雀対策として
脱穀後の生の稲わらを長いまま畑全面に振りまく。
それと前後するように11月中旬以降または下旬に、
鳥や鼠たちに食べられないように、また発芽まで腐らないように、
粘土団子にした稲の籾種を播く。
翌年5月に麦刈りをし、
脱穀後の麦わらを同じように長いまま畑全面に振りまき、
6~7月はあまり水をかけず、
8月以降時々走り水をかける無滞水にし
稔りの秋を迎えるという、奇想天外な米麦の一世一代だ。
秋に同じ田畑に麦と米を播き、
その上にわらを振りかけるだけの農法ともいえるが、
どうしたら何もしないですむかということだけを
何十年も追求してきた結果、
これ以上簡単で、省力的な作り方はなく、
もうこれ以上手を抜くところはなくなってしまった、
という境地に至る福岡翁だ。
苗代づくりや田植えはどこへやら、
不耕起・無肥料・無農薬・無除草でありながら、
現行の科学農法以上の収穫量をほこるそうだから、凄い。
奇跡のりんごの木村さんをはじめ、
現代の農業やわたしたちの食生活に、
計り知れない影響を与えていることだろう。
「 自然農法は、いつでも科学の批判に耐えられる理論をもっています。
そればかりか自然農法は、科学を根本的に批判し、
指導する哲学をもっているから、
科学農法にいつも先行するものだと断言しておきます。」
徹底的な否定の精神を、建設的に用いて道を切り拓いた
ユニバーサルな傑人の偉業「わら一本の革命」に、
あっぱれと感嘆するばかりだ。
「この世ほど、すばらしい世界はない。」
という翁の言葉が、植物の種のように、
わたしという土地に健やかに深く根付きますように。