佐賀町日記

林ひとみ

詩 さくらんぼ

ある朝 目覚めて ふと 鏡をのぞくと 見なれた わたしの顔に 見おぼえのない ほくろがふたつ ちょいと くっついていた あら 不思議 いつから あったのだろう いつのまに できたのだろう 毎日みて いるはずなのに あるいは よくみて いないのだろうか まるで …

詩 神無月

秋の深まる 神無月 あちこちの いろいろな 神様たちは いっせいに いづもの国へ むかいます いにしえより つづく かむはかり という 神様たちの寄合が ひらかれるのです 人々が 一年のうちに となえた願い事は おおきくも ちいさくも 美しくも 卑しくも 等し…

詩 いちじく

初夏の明るい 陽射しをあびた 青緑色の いちじくの実をみていると いにしえの 神話をみているようで どきどきする 神様たちも 同じように 恋をしたのだろうか 秋になると そんなことは すっかり忘れて 赤紫色の 熟れた実をかじる なんて甘く 美味しいのだろ…

詩 なし

空がぐうんと 高くなって 雲がさまざまな 模様を絵描き出し 太陽の光は 透きとおって 絹のように なめらかになり 夜の虫たちが しとやかに 愛の重唱を 歌いはじめたら 秋ですよ もう 秋ですよ と風は涼やかに 頬をかすめて たわむれる そうして わたしは 十…

詩 ひまわり

ひまわりをみていると 少女であった幼い頃を 思い出す 夏休み 降りそそぐまぶしい太陽と あふれるような蝉の鳴き声 背丈よりずっと高く 顔よりも大きい ひまわりの花は すこし首をうなだれて 少女に話しかけているようだった 彼女は天を仰ぎ 空にかかるお月…

詩 すいか

ぎらきらとした太陽と 麦わら帽子の夏休み ふと 子どもに戻った私は 熱い砂浜をけり 藍の海へ駆けだした しおっぱい 海水とたわむれて 魚だったころの 記憶をたどれば まるで 地球の羊水に くるまれているよう なんて静かで 心地よいのだろう 遊びつかれて …

詩 くものうえ

たくさんの雨 垂直に降る雨 バッハの音楽のよう なにかをどこかとつなぐ たくさんの風 水平に吹く風 ベートーヴェンの音楽のよう なにかをどこかへはこぶ くものうえ 白くふわふわとした くものうえ あ、あの人がいい 何かに導かれるように お腹へ入った 地…

詩 びわ

子どものころ 住んでいた家の庭に びわの樹があった ごつごつとした幹は のぼるのにちょうどよく ごわごわとした葉は ままごとの器になった 春と夏のはざまに結ばれる 小さくも たわわな果実は 鳥たちが ほとんどついばんでしまうのだけれど ときには ひとつ…

詩 すもも

空をわたる 鳥 地面に映った 鳥の陰 歌を唄う 鳥 遠くから届いた 鳥の声 陰影を手がかりに 存在を識る マグリットの絵でもなければ 芝生にひろがる陽だまりは 雲のかたちをなぞるのが自然さ つまり思想とは 能力のことだよ と君はいった 雲ひとつない 青空を…

詩 ラピスラズリ

純粋さは 否定によって強化される 繊細すぎる君は 愛を忘れてしまう あなたを想う独りの時間を あなたに侵されたくない とうたっている 動物でも天使でもなく 無邪気な子供のやり方で 青い嵐をおこす わかっている 星の位置は そのうち変わる 思い出す 生ま…

詩 オレンジ

オレンジ色に 塗られたオレンジ 忘れてしまう 忘れてしまったことさえも 忘れてしまう 小さな雪の 降る朝に オレンジ色のくちばしの 鳥が2羽 飛んできた 過去と未来は 現在とともに 形をかえる 花の精は 特別なときに 姿をかえる 花瓶のなかには 鳥のくちば…

詩 いちご

きみが元気になるようにと あなたからのおくりものの 赤いいちご わたしは 熱でほてった 身体をおこして 花束のような 宝石のような あなたのいちごを ほおばった みずみずしく そして このうえなく 甘酸っぱい なにより あなたのやさしさを

詩 りんご

りんごの形をした雲が 水色の空に ぽかりとうかんでいた 空も おなかが空いたのだ ひとくち ふたくち かじられて ちぎれた雲は 流れ消えゆく 音もなく おだやかに

詩 イカロス

私が私の怒りを表現したいとき 私はそれに相応しい場所にいた 私が私の哀しみを表現したいとき 私が私の喜びを表現したいとき 私はそれぞれに相応しい場所にいた 因果は同時に存在している けれど地上では すこし時差があるようにみえている 太陽の光は8分18…

詩 ナナカマド

強い雨の音につつまれて 秋の虫の音につつまれて 時間がきえる 永遠の彼方に 閉じこめられて 読まれることを 待っている書物たち また 書かれざる物語たち 時なき時を みつけては 夢の世界のように 唐突に 不可思議に 大胆に それぞれの 物語をユニークに う…