先週末、早春のやわらかい陽射しの散歩日和に、
梅の花が見頃を迎えた
文京区の小石川植物園を散策した。
坂を下ること徒歩10分ほどの距離にある植物園は、
都市のなかにありながら半ば隔絶された
大きな緑の箱庭という印象だった。
通称「小石川植物園」は、
機械的な正式名称が示す通り、第一義的には
植物学の教育・研究のための実習施設ということだ。
そのためか園内は、どこか素っ気なく
さっぱりとしていて、かえってうれしい。
入場料400円で一般公開されている
161588㎡/48880坪の広大な園内を、
のびのびと、気の向くままに散策する。
ぽかぽかとした午後の太陽に軽く汗ばみながら、
叡智を秘めたような巨大なヒマラヤスギに驚嘆したり、
たわわに実った美味しそうな夏みかんを見上げたり、
足元の小さなオオイヌノフグリを踏まないように歩いたり、
時間を忘れて歩き回る。
かつて江戸時代1652年頃には、舘林藩の幼い藩主、
のちの5代将軍・綱吉の下屋敷/白山御殿であったそうだが、
その後1684年に幕府により「小石川御薬園」が設置され、
当時としては貴重な薬となる植物を栽培していたという。
往時の名残の「薬園保存園」や「分類標本園」は、
季節外れなのか、いささか殺風景だったが、
思いがけず現存する「旧小石川養生所の井戸」では、
「赤ひげ先生はここにいたのか」という感慨につつまれる。
台地・斜面・低地・水辺などの起伏にとんだ園内は
歩き応えがあり、陽の届きにくい木立のなかでは
思い出したような寒さに、春が浅いことを実感する。
カリン林の根元には、黄色い実がいくつか落ちていたので、
のどに良いといわれるその実を拾いあげると、
熟れた甘い香りがして、糖分のためかすこしべたべたしていた。
それとわからないほど大きく生長していて、
思う存分根を張れる自由が、なんだか羨ましい。
日本庭園に隣接した梅林は、ちょうど花の見頃を迎え、
思い思いに花を愛でる人たちでほどよく賑わっていた。
とりどりの白や赤やその中間色に彩られた梅の花々からは、
気品のある香りが、風にのって、ふわりと、ほのかに届いた。
およそ50種100本ほど並んでいるという梅の木の、
ごつごつとした険しい幹や枝にふくらんだ
ひかえめにも力強い花々に、しばし心を奪われる。
「 勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答へむ 」
「鶯宿梅/おうしゅくばい」の逸話を思い出す。
帝/みかどの御殿の梅の木が枯れてしまったので、
代わりの木を探せよという勅命をうけた使者が、
宮中にふさわしい姿形のよい梅の木を京じゅう探しまわり、
ある家の庭にやっとみつけて、掘り取って参内する際に、
その家の主が梅の木に結ばせたという歌で、
「帝のおおせですから なんとも恐れ多いことでございます
けれどもいつもやってくる鶯がわたしの宿はと尋ねたら
私はなんと答えたらよいでしょう」
という趣の、なんとも美しい歌だ。
その和歌をしたためた家の主とは、
紀貫之の娘であったという落としどころのある説話だが、
時代をこえて人と人を結びつける和歌や物語のいのちは、まさに永遠だ。
そしてそれらをはこぶ花弁のような言葉たちに、
お花見とおなじように心を奪われる。
植物園を後にして、
茗荷谷駅へつづく上り坂の途中で通りがかった
子どものための本屋さんに、ふらりと立ち寄る。
木調の落ちついたブラウンの、ゆったりとした空間で、
平積みになっているおすすめの絵本や、
作者別に分類されている本棚に、楽しく目をとおす。
子どもの頃に親しんだ、
中川・山脇姉妹の「ぐりとぐら」シリーズ、
加古里子の「だるまちゃん」シリーズなどが、なつかしい。
きけば夏目漱石を愛する若い店主が
半年ほど前にオープンした新しい書房のようで、
まるで子どもたちの宝箱のような、ゆたかなお店だった。
ずいぶんと日がのびた夕暮れどきに、
ゆったりとした足どりで帰路につく。
今日もおだやかな、いい一日だった。