ロベール・ブレッソンの「ジャンヌ・ダルク裁判」を観た。
監督にとっては中期にあたる、1961年に撮影された、
フランスの聖女についての、61分のモノクロの作品だ。
ジャンヌ・ダルクは、
フランス国内およびイギリスにまたがり、
およそ116年ものあいだ争われた百年戦争の最中に、
フランス国王を救いに行け、という天のお告げにより、
劣勢であったフランス王国軍を率いて戦線に立ち、
いくつかの重要な闘いを勝利に導いた、実在の人物だ。
ほどなくして敵方に捕えられ、
投獄と裁判を経て、異端の罪で火刑に処されたが、
25年後の復権裁判で、処刑判決は無効とされ、
ユリウス暦当時の1412年頃に、
フランス北東部の村ドンレミの農家に生まれ、
13歳頃から神秘体験をするようになったという彼女は、
17歳頃に国王に謁見し承認を得て、司令官として軍を率いた。
わずか数か月で戦局を転換させ、
シャルル7世の王位継承のための戴冠式に尽力するも、
次第に国王と政策を異にするようになり、
不本意な戦における退却時に18歳で捕虜となる。
忠誠を誓った国王にも半ば見捨てられ、
およそ一年後に19歳前後で処刑されたが、
異端の審判をくだした宗教裁判には、
多くの問題や不当な要素があったという、
政治的に利用された、
理不尽な弾劾裁判だったようだ。
ブレッソンの描く本作は、
およそ5か月間にわたり行われた裁判とその火刑を、
簡素に印象深く描いている。
現存する裁判の記録原本と、
その25年後の復権裁判の証言を典拠としたという、
監督による脚本と台詞は、鮮やかで深淵だ。
研ぎ澄まされた構図や音響は、
物語の緊張感と一体となっている。
ジャンヌ・ダルクを演じる、
作家となる前の、20歳のフロランス・ドゥレは、
聖性をもった超越的な存在というよりは、
勇敢で不敵な若い女性という存在感で、
今日の人物であるかのような現実性を取り戻したかったという、
監督の意図を体現している。
西洋史上とりわけ有名な人物のひとりであり、
本国フランスでは国民的なヒロインのようだが、
お墓も肖像画も存在しないということが、
彼女の神秘体験にまけずおとらず、
後世の人々の想像力を刺激しているのではないだろうか。
オルレアンの乙女ともよばれる彼女の受難は、
イエス・キリストのそれを喚起するのは勿論だが、
とりわけ本作の主人公は、
同フランスの思想家であり活動家であった、
シモーヌ・ヴェイユを思い起こさせた。
優美でありながら男装し従軍したことや、
敬虔な信仰心をもっていたこと、
若くして客死したことなどに類似性を感じ、
久しぶりに目を通す。
” 世論は、たいへん強い原因である。
ジャンヌ・ダルクの物語のうちに、
当時の世論がどれほどの圧力を及ぼしているかが読みとれる。
だが、その世論といっても、不確かなものであった。
さらに、キリストについても・・・”
不確かな世界のなかで、
あまりに純粋に天の声に殉じた、
そのはげしい魂たちに、清められるかのようだ。