みなでつくる方法 吉阪隆正+U研究所の建築展を、
湯島の国立近現代建築資料館で観た。
吉阪隆正/よしざかたかまさは、
1917年東京生まれの建築家で、
その多岐にわたる活動から、
登山家や冒険家や思想家ともいえるだろう。
民家調査や住居学に取り組み、
またル・コルビュジエのアトリエを経て、
建築設計を行う研究所を設立・主宰した。
展覧会は、
多くの図面と、模型、映像、
著作からの引用パネルなどで、構成されている。
新宿百人町の自邸 、幾つかの個人邸、
1956年のヴェネチア・ビエンナーレ日本館、
長崎の海星学園、富山の呉羽中学校、
八王子の大学セミナー・ハウス、
千代田区にあった日仏会館、
島根の江津市庁舎などの、数々のプロジェクト。
アテネ・フランセの外壁の、あの独特の色彩は、
教鞭を執ったアルゼンチン・アンデスの夕焼けの色だったと知り、
不思議な感慨を覚えた。
印象的だったのは、
氏の全人的とも宇宙的ともいえる思想で、
その人間的な温かみと大らかさや、
次のような象徴的な問いに、共感を抱く。
「私はどこにいるのか?」
この疑問こそすべての出発点だ。
また1923年/6歳で体験した関東大震災と、
おそらく戦中の東京大空襲のことと察せられるが、
後年に言及された「ある住居」からの引用に、
どきっとする。
天は二度まで火を以って東京の人々を警告したのに、
この人々はまだ目醒めない。
海の水が都心を埋めつくしてしまう水害が来るまでだめなのだろうか。
最終日だったこともあり、
会場は老若男女で賑わっていた。
そのなかに、オーラルヒストリー/記録映像で、
思い出を語っていたご子息・正邦氏もいらっしゃった。
1980年/63歳で他界されたお父様にそっくりで、
白いお髭は、まるでサンタクロースのようだった。