佐賀町日記

林ひとみ

乾徳山

ベランダのなわしろぐみの花が満開だ。

クリーム色の小さな花。

どうして知るのか蜂が集まってきて、

盛んに密を吸っている。

なわしろぐみのはちみつは、どんな味だろう。

いろいろな種類の蜂がいる。

小さいの、長細いの、黒くて大きくて強そうなのも。

 

先日、日帰りで

山梨の乾徳山/けんとくさんへ山登に行った。

13-14世紀、鎌倉時代末から室町時代初期に活躍した禅宗の高僧で、

禅庭・枯山水の基礎を確立したといわれる

夢想国師/むそうこくしが開山した、

修験・山岳信仰をルーツにもつ標高2031mの山だ。

武田信玄菩提寺恵林寺山号でもあり、

そこから乾/いぬいの方角・北西に位置し、

また「乾徳」は君主の示す徳、という意味をもつらしい。

 

知人に勧められてツアーをみつけ、

新宿7時発のマイクロバスで、

勝沼ICまで中央道をまっすぐ進む。

雲ひとつない晴天に恵まれてうれしい。

この日はじめてお会いする5人の仲間と、

ガイドさんのもと、9:30には登り始めることができた。

およそ990m地点にある登山道入口のすこし手前から、

森林のなかをゆっくり登る。

川の流れる音を耳にすると気持ちがおちつく。

小1時間ゆくと、錦晶水/きんしょうすいという由緒ある水場に着いた。

勢いのよい湧き水に、のどの渇きを潤す。

そのときは美味しくいただいたけれど、

あとからきいた話では、近年鹿がふえているので、

その排泄物による水質汚染の心配があるとかないとか。

国師ヶ原の十字路をすぎてから、

ひらけたすすきの草原・扇平/おおぎびらをゆき、

1764m地点の月見岩にて昼食。

振りかえって南方の富士山をみつつ、

早起きして炊いた新米のおむすびが美味しい。

こういうときは梅干しと、それから昆布の佃煮も。

その先は、ごつごつした岩場が深まってゆく、

乾徳山ならではの道行だ。

途中、手洗岩、髭剃岩、胎内、などなど、

ユニークな岩のネーミングを楽しみながら足取りは軽い。

ところがカミナリ岩あたりまでくると、

先へ行くのがけっこうこわくて立ちすくむ。

心臓がどきどき、血がひいていくのを感じる。

バランスを崩したり滑ったりすると落下する危険もある。

前だけをみて、慎重に、ゆっくり確実に。

そしてさいごの鳳岩/おおとりいわは、

この山の醍醐味で名物でもあるけれど、本当にこわかった。

ほとんど垂直に近い20mくらいある鎖場で、

大変なのは10mくらいまでだけれど、

かなり集中していたのだろう、

登っている最中はこわいと思う余地すらなく、

足をどこにかけて、手をどこについて、

という目前の動きで頭がいっぱいで、

登り終えてやっと、恐怖と手の震えを感じたのだった。

振りかえるとそれも楽しさのうちだとわかるのだけれど。

2031mの山頂は風もなく穏やかで、見晴らしもよく、

富士山は雲の帽子をかぶっていた。

小さな石の祠にはなぜか青磁のシーサーが対になっている。

来春の花芽をつけた桜の樹も2本ある。

心配した寒さもそれほどでなく、

水色の空に太陽の光がやさしい。

14時頃下山しはじめて、

行きとは別の尾根道を大平高原1340mまで降りてゆく。

紅葉の盛りを過ぎて、落葉の浜辺を歩いているみたい。

楽しかった。足は疲れているけれど、まだもっと歩いていたい。

山で逢う人はみな飾らない。

それぞれにあるはずの日常を一旦おいてきているから、

その人のなかにある自然がそのまま表現されて、

話すことも距離感も、なにより楽で心地よい。

16時頃マイクロバスで帰路に着く。

夕暮れの甲府盆地に、あかりが灯りはじめる。

きれい。宝石箱みたい。

人の数だけ光がひろがる。

宇宙からみたら人間は宝石なのかもしれない。

 

週末の中央道の上りは案の定、渋滞の連続で、

赤いテールランプが点いたり消えたり。

こういうときも宝石と思えたらいいのだけれど。

21時近くに新宿に着き、

長くて短い一日が過ぎ去ってゆく。

 

帰ってくるとまたすぐに山へ行きたくなる。

次はどこへいこう。わくわく。