佐賀町日記

林ひとみ

さくら 2024

今年のさくらはゆっくりだ。

靖國の桜は3月29日に開花宣言されたけれど、

街中はまだまだこれからという感じ。

お天気の変わりやすい日が続いている。

 

毎年きれいな花を咲かせてくれる

家のベランダの啓翁桜は、今年は咲かない。

切り花で家へやってきた2009年から15春、

毎年元気に咲いていたので、とてもさみしい。

 

昨年の秋、紅葉して葉を落したあと、

いつもどおり蕾をつけていたのだけれど、

ちょっとすると小さな緋色の蕾が見当たらない。

あれ?あれ?とまごまごしている隙に、

いつのまにか鳥たちに食べられてしまったようだ。

ちょうどその頃、知人から聴いたのは、

お庭のヴィオラの花と葉っぱを鳥たちが食べてしまって、

こんなこと始めて!という話だったから。

本格的な冬に入る前くらいのことだったと思う。

まるで秋に出没した熊みたいに、

食べ物が足りなかったのかな。

さくらの花は美味しいのかな。

鳥たちのエディブルフワラー。

 

そんなわけで、今年は一輪も咲かなかった。

それでも葉はすこしづつ出てきた。

そういう年があっても、いいのかな。

 

あるいは鳥たちのお腹のなかで、

咲いているかな。

 

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日の出山 神苑の森

雨つづきのお天気の合間をぬって、

東京都西多摩郡の日の出山へ登った。

 

山仲間のアキさんと、

武蔵五日市駅に8時頃待ち合わせて、

バスで登山道入り口へ向かうこと15分。

昨秋11月以来の再会だった。

よくストレッチして、山道へ入ると、

わけもなく、うれしくなる。

何かから、解放されるのかな。

くまと逢わないように、鈴を鳴らしたり、

手を鳴らしたり、大きな声で話したりしながら、登る。

よく整備されているハイキングコースなので、

道迷いの心配もなさそう。

ゆっくりのペースで30分ほどで、見所の顎掛岩に。

日本武尊/ヤマトタケルノミコトが顎をかけて、

関東平野を見渡したという伝説が残るそう。

でも、どの代の日本武尊だろう。

すこし先のクロモ岩あたりの分岐で、

麻生山のほうから登ってきたご夫婦が、

「さっき、15分くらい前にくまに逢いました!

 10mくらい離れたところにいるのに気づいて、

 くまのほうが先に逃げてくれたからよかったけど、

 はじめてで、びっくり!やっぱりいるんですね!」

と教えてくれた。わたしたちふたりもびっくり!

びっくりしながら木の階段を登ってゆくと、すぐ山頂/902mで、

関東平野を一望しながら、10時のおやつを食べた。

高校生のころから好きな、

リトルマーメイドのミルクフランスを、

拝島駅で乗り換えるときにみつけて、懐かしく。

「ぶぅぉーーん」という法螺貝の音が、

御嶽神社のほうから響いてくる。

丸くて力づよい、気もちのよい音に誘われるように、

なだらかな尾根道をすいすい歩いて30分、

御岳の長尾平で、すこし早めのお昼を食べる。

この後どうしようか、まだ歩いたことのない、

神苑の森を歩いてみようか、ということになり、

天狗の腰掛杉のわきの入口へ。

 

御嶽神社のたもとの、原生林ののこる森は、

人がすれ違うことがむつかしいくらい細い山道で、

あまり人も入らない様子。

神聖なきもちで、入らせていただきます。

すぐ近くから、また法螺貝の音。

強風で散らばったような木の枝を払いながら、

10分くらい歩くと、樹上から「ぶぅぉん!」という、

ものすごい風音と、朱と橙の中間色みたいな何かが、

目で追えないくらいの速さで飛行して消えて、びっくり。

大きかったので、ムササビかな。

わたしたちに驚いて逃げたのかな、ごめんね。

また10分くらいゆくと、こんどは大きなカモシカが、

5mくらい先の道のうえに、どっかと座っている。

わたしたちに気づいて、興味津々でこちらをみている。

すごくやさしい顔。それにきれいな目。

からだは熊のように大きくて、ぼわんとしたグレー色。

「こわがらないでね、なにもしないから。

 この先に行きたいのだけれど、いい?」

ときいても、立ち上がってみるだけで、動く気配はない。

しばらくにらめっこしてみても、

ものすごく気持ちよさそうに憩っている。

お気に入りの場所なのかもしれない。

神さまの使いかな。

今日はお戻りなさい、ということで、

一方通行の道を、素直に引きかえすことに。

 

ゆっくり歩いて45分の小径は、

神秘に満ちているみたい。

またあらためて、うかがいます。

 

久しぶりの山、楽しかった。

 

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モナ・ハトゥムの地図

3月にはいって、雨の日が多い。

うす灰色の雲におおわれた横長の世界は、

いつもより天と地が近づいたよう。

そんなパノラマな雨の日に、

瀬戸内の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館へ、

モナ・ハトゥムの「地図」をみに行った。

 

新幹線の「のぞみ」で岡山に入り、

特急に乗りかえて、瀬戸大橋を渡ること40分。

車窓からみえる瀬戸内海沿岸の、

重工業地帯に目を奪われる。

煙突から白い煙が、もくもくもく。

生活の基盤のようなもの。

東京から4時間すこしで丸亀駅に。

およそ17年ぶりに訪れた美術館の企画展は、

「RECOVERY 回復する」というコンセプトで、

7人の作家がそれぞれに、

パンデミックをのりこえて、

私たちの世界になにが起こっているのか、

どんな世界をつくってゆくのか、

ゆきたいのかを、静かに問いかけていた。

 

Mona HATOUM/モナ・ハトゥムは、

1952年レバノンベイルートに生まれた亡命パレスチナ人で、

1975年のイギリス滞在中にレバノン内戦が勃発して帰れず、

そのままロンドンに残って美術を学んだという、

二重の亡命者という出自をもつ女性作家。

1998年の作品「地図」は、

金沢21世紀美術館に2002年に所蔵されたもので、

ホワイトキューブの床一面に、

ラムネ色のガラスのビー玉で、

世界地図を描くインスタレーション

手法はシンプルだけれど、

表現しているものは深遠で、

わたしたちの意識を揺さぶる力があると思う。

設営は、たとえばパズルのように、

プロジェクターで投影した光の地図に沿って、

ビー玉を並べてゆくのかな、

みんなで並べたら楽しそう。

うっかり踏みつぶしたり、

ひとつのビー玉が転がるだけで、

世界の形がまるで変わってしまう。

そんな不確実性が、

こわいような、心地よいような。

今回の展示では、立入禁止のテープが張られて、

ある程度までしか近づけないようになっているうえに、

撮影もなぜか禁止に。

意図的に世界の形を変えているのだとしたら、

問題はとてもデリケートなものになりそうだし、

まるで世界が壊れないようにと、

注意深く見張っている監視員もいらして、

そんなことも現実のパロディーのようにみえたのだった。

 

今年1月22日の日経新聞に、

「ポーラーシフト」と題された、

興味深い特集記事があった。

そこには、16世紀後半に考案された「メルカトル地図」が、

欧米をつなぐ大西洋を中央に配し、

北は上に、南は下に、

アジアやアフリカが辺境に広がるという、

あるひとつの世界観をつくってきたけれど、

球体を平面に表現することには限界もあって、

また政治的な思惑も働いたかどうか、

地図に表現されている面積や配置や存在感に、

実際とは異なる錯覚を起こさせていると論じていた。

また南北を逆にして、

面積を正した地図を掲載し、

どれだけ世界の見え方が変わるか、

認識が変わるかも示していて、

どきりとする内容だった。

 

わたしたちは知らず知らずのうちに、

たくさんの無自覚なバイアスを通して、

物事を見たり、聞いたり、

判断したり、裁いたりしている。

人の意識は、目に見えるものではないから、

わかりにくいし、自覚もしずらい。

それだけ意識はフロンティアといえるのかも。

意識を制するものは、世界を制する、

そんな時代のフォーカスを、

ひしひしと感じる仲春。

もうすぐ桜前線がやってくるかな。

 

花さくら仮想現実へもひらく   ひとみ

うるふ月 新宿御苑

今日は2月29日。

4年にいち度の閏日だ。

 

この日にうまれた知人は、

4年に1歳しか年をとらない、

といっていた。オリンピックみたい。

たとえば同級生が還暦を迎えても

まだ15歳なのかな。いいのかな。

 

梅と水仙の見頃の新宿御苑で、

幼稚園から小学校と中学校と

高校までずっと一緒だった友人と、

ものすごく久しぶりに再会した。

彼女は確か5月生まれのお姉さんで、

ピアノが上手だった。

 

学生の頃は、

おてんばな私と、おしとやかな彼女とでは、

テリトリーがちがうというか、

特に仲良かったわけではなかったけれど、

大人になってから、

彼女の転勤先の山口に遊びに行ったり、

香川の直島にいるときに遊びに来てくれたりで、

ときどき思い出したように、交流がつづいていた。

山口の秋吉台や萩までのドライブ、

直島の宮本隆司さんのピンホールの展示場などを、思い出す。

その後、高校の同窓会で見かけたり、

彼女の結婚式で受付をしたり、

年賀状をやりとりしたりで、

20年ぶりくらいだったのかも。

 

お互いにわかるかなと思ったけれど、

マスクをしていても、

遠目にすぐに彼女だとわかった。

久しぶりの第一声は、

「○○ちゃん、おばちゃんそっくりー!」

「そうなの!似てきたでしょー!」

だった。

 

雨続きの中日、

日傘があってもいいくらいの、

びっくりするくらいの晴天で、

お弁当を買って、芝生の木陰で、

ピクニックみたいにお昼を食べた。

さわらの西京焼きが美味しい。

梅酢でほんのり桃色に染まった

お花の飾り切りの山芋もきれい。

目の前の、梅と水仙のよい香り、

めじろかな、小さな鳥が、あちこちに。

そういえば、鳥ずきの彼女の新婚旅行は

カナリア諸島だったよね、というと、

いまも四羽、家のなかで、

放し飼いにしているのだとか!

 

福寿草、早咲の薩摩寒桜もたわわ。

かっこいい赤松に黒松、

叡智を宿したようなシベリアシーダー、

ハルニレ、メタセコイヤなどの大木の、平和。

ツーリストが半分くらいの多国籍の苑内に、

日本人の若い女性、やっと歩けるくらいの

赤ちゃんを連れたお母さんたちが多かった。

転んでも心配ない、広々とした芝生の広場。

覚えていないけれど、同じようにここで、

よちよちの歩きのわたしの写真がアルバムに。

 

彼女の近況、

中学生と小学校高学年になった息子さん、

だんなさん、ご両親、弟さんなどの話や、

同級生たち、学校の先生たちのなどの話をしながら、

広い広い下賜庭園を、ぐるりとまわる。

妙なことを覚えていたりで大笑い。

苑内のスターバックスは、おそろしいほどの行列で、

また来るときは、飲み物をもって来よう。

 

桜の時期、3~4月の週末は予約制になるみたい。

会えてとても楽しかった。

F・D・フローレスのリサイタル

1月の終わり、

春の兆しにみちた暖かい夜に、

上野の文化会館で、

ペルー出身のテノール歌手、

ファン・ディエゴ・フローレス

リサイタルを聴いた。

 

今回はプログラムの予告にモーツァルトのオペラから

ティートの2つのアリアが組まれていて、

この人のモーツァルトが大すきな私にとっては、

昨年10月のチケット発売日から、

心待ちにしていたコンサートだった。

 

大ホールの2300席は老若男女でほぼ満員。

でも当日券も少しはでていたみたい。

お隣の席の女性は、

はるばる島根からおひとりでいらしたという。

パンデミック前には、

ペーザロにもウィーンにもスカラ座にも

行ったという、フローレスの大ファンで、

1回聴くと、それから1年は幸せなのだというから、すごい。

70代位の方だけれど、ひと昔前の3大テノールは眼中になく、

この人は特別なのだと力説されていて、なんて楽しい。

 

当日のプログラムは

前半にモーツァルトロッシーニ

後半はオール・ヴェルディだった。

東京フィルハーモニー交響楽団

快活な若手指揮者ミケーレ・スポッティの、

オペラ「皇帝ティートの慈悲」の序曲につづいて、

ティートのふたつ目の大アリアのほうから歌いはじめた。

舞台に出てくるときの間からも感じたのだけれど、

この日、体調に少し不安を抱えているようで、

しかも難曲「Se all’impero, amici Dei」を前に、

両手で鎖骨を広げるような仕草をしていたのが印象的だった。

いつもの蝶ネクタイの正装ではなく、

ジャケットの下に丸襟の黒シャツで、

そんなことも体調と関係があるのかもしれないと思った。

アンコールのときにパフォーマンスも兼ねて、

肩苦しいとでもいうように

蝶ネクタイを外して放り投げてから歌う人だから。

歌がはじまると、声量は十分と思えるのに、

くちびるの力なのか、声のあたるポイントのせいか、

声がこもって外にとんでゆかない感じだった。

大スターでも、そんなことがあるのだと学ぶようで、

お隣の方は、自分の耳が遠くなったのかと心配したらしい。

ご本人が一番わかっているのだと思う、

1曲目を終えてオケの方を向いて、ズボンの右ポケットから

スプレーをとり出して、のどにシュっとひと吹き。

何か気がかりがあるようだったけれど、

次のひとつ目のアリア「Del piu sublime soglio」になると、

いつも通りのやわらかい、自然な声にもどって、

さすがだなと思う。

なにか発声法に挑戦していたのかもしれない。

モーツァルトの死の直前につくられた

セリアの「ティート」から反転するように、

初期のセリア「イドメネオ」から

バレエ音楽の1曲目シャコンヌが奏でられたあと、

ブッファ「ドン・ジョヴァンニ」のオッターヴィオ

ふたつ目のアリア「Il mio tesoro intanto」が歌われて、

私にはこの日のプログラムのなかで、声と曲と技術とが

もっとも調和しているように感じられた1曲だった。

ため息がでるように、すばらしかった。

 

この後、ロッシーニの「ギョーム・テル」、

休憩をはさんで、ヴェルディの「リゴレット

「仮面舞踏会」「二人のフォスカリ」「アッティラ

「ルイザ・ミラー」と続き、すこし重めの声で、

アドレナリン全開のザ・オペラという雰囲気に。

お客さんは大喜びで、余韻も待ちきれず大声援と大拍手。

こうなるとヒートアップするしかないのは

百も承知のエンターテイナーだから、

アンコールのギター弾き語りの3曲で、

みんなを落ち着かせてくれて、さすが。

まるで羊飼いみたいだと思った。

特にトマス・メンデスの「CUCURRUCUCU PALOMA」は、

聴くのは3回目だったけれど、いつも自由で、

だから歌い口が毎回ちがって、

心から歌うことがすきなんだな、

お仕事でなくてもいつも歌っているんだろうな、

と思えるような、天与の音楽で。

 

後半で一度、肺のほうから出てくる、

深くて乾いた咳を2回していたけれど、

感染症の前後なのかなと気になった。

のどのスプレーをもう一度。

いつもアンコールのギター弾き語りの他に、

まだ歌ってくれるの?!こんな難曲を?!と驚くのだけれど、

今回は2曲で、この人にしてはやはり控えめだったと思う。

ベストコンディションでなくても

大きな責任とプレッシャーを感じさせない

自然体なステージングに、ますます感動は深まるばかり。

心から、ARIGATOU!

 

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日本銀行本館の見学

新年の松の内が明けて、

小正月も過ぎた頃の寒朝、

日本橋にある日本銀行本館の

見学会へ参加した。

 

およそ20年ごとに

新しいデザインに切り替わるお札は、

今年7月3日から発行されることに。

現在の福沢諭吉樋口一葉野口英世から

新しく渋沢栄一・津田梅子・北里柴三郎へ。

さらにその前の肖像を調べてみると、

福沢諭吉は変わらずで、

新渡戸稲造夏目漱石だったことを思い出す。

ほとんど無意識に日々使っているお金。

その一端を垣間見る見学会。

 

日本銀行/NIPPON GINKOは、

その名のとおり国の中央銀行で、

設立のきっかけは

1877/M10年におこった西南戦争にあるというから驚く。

当時の明治政府は、戦争の費用を調達するため、

たくさんお札を発行したので、お金の価値が大きく低下、

今でいうインフレーションが起こってしまったので、

お金の価値の安定を図る目的で、

1882/M15年に日本銀行が設立されたという。

当初は永代橋のたもと箱崎町にあった既存の建物、

ジョサイア・コンドル設計の煉瓦館を本店として使用、

1896/M29年に辰野金吾設計の本館が現在地に、

江戸時代の金座跡地に6年がかりで建てられて、

大正の震災・昭和の戦災をくぐりぬけ、

増築を重ねながら、今に至ること142年。

円の旧字「圓」がお金の単位になった

1871年/M4からは153年で、意外に歴史は浅いのだ。

 

本館は石造りの立派な建物で、

外壁は岡山の花崗岩と、湯河原の安山岩という。

中庭のドリス式の石柱に触れてみると、

ざらざらっとして、ひんやり冷たい。

竣工当初の風景に思いを馳せる。

きっとみんな着物で、

背丈は今より低かっただろうな。

 

見学会は予約制のぴったり60分。

参加者は17人くらい、

若い女アテンダントさんに案内されて、

今はもう使われていない本館の、

3階建ての2階、赤いカーペットの回廊を、

歴代総裁の肖像画を眺めながら一巡する。

三菱財閥を興した弟の岩崎彌之助や、

226で倒れた大黒様のような高橋是清翁、

渋沢栄一のお孫さんの敬三さんなどが印象深い。

26代目まで絵画で、以降は写真となり、

先の黒田さんは31代、今の植田さんは32代だそう。

開業当初55人だった職員は、現在は4600人、

うち2700人が本店勤務で、全国に32支店、

12事務所、海外に7事務ある、特別認可の法人体制。

かつて役員の集会室だったというドーム真下の八角室は、

資料の展示室となっていて、そのなかに珍しい拍子木も。

在りし日の合図として、

始業の「はじめ」に3回、終業の「おしまい」に4回、

拍子木が鳴らされたというから、趣深い。

それから電信の暗号表のような分厚い帳面もあって、

「ルアコ」とか「ルサヤ」とかいう、

意味のないカタカナの羅列に妙に惹きつけられたり。

 

その後1階へ戻り、一旦新館のほうにぬけて、

2016年から3年がかりで免震化工事した様子を見学。

首都直下型地震から国の重要文化財を守るべく、

75000㎏という想像を超える重さの本館を、

まるごと持ちあげて耐震補強したというからすごい。

 

そして全体が金庫になっている地下1階の、

分厚い金庫扉や、展示室となっている金庫室をみてまわる。

1億円分のダミーの札束10㎏を持ちあげて、

大きさも重さもお米みたいだなと思ったり、

新紙幣のホログラム技術をフラッシュをたいて楽しんだり、

浴室のようなタイル張りの庫内はずいぶん天井が低いなと感じたり。

最後に1階正面、もっとも装飾的な内装の、

銀行窓口として活気に満ちていたであろう客溜へ。

1969年まで使われていたらしい。

「おしまい」の拍子木4つ、これにて了。

 

記念に約2万円分のお札の細片をいただいた。

およそ1万円札は1~4年、千円札は1~2年で、

傷んでしまうので、ごく小さく裁断してお役目御免。

現在はお札そのものを介した取引というよりも、

銀行間での数字の移動がほとんどで、

日々およそ100兆円が動ているのだそう。

 

丸いめだまのような印象的なシンボルマークは、

「日」の古代漢字・篆書体/てんしょたいなのだとか。

お金というひとつの豊かさが、

お日さまのように、

隅々まであまねく、行き届きますように。

 

家の近く、IBM箱崎ビルの片隅に、

日本銀行創業の地」の石碑があるとか。

近いうちに見にいってみよう。

2024年はじまり

あけましておめでとうございます。

 

令和6年、甲辰/きのえたつの2024年は、

数え方を変えると、

皇紀2684年、昭和は99年、平成は36年、

なのだそう。

思えば、キリスト教徒でないのに、

エスの誕生を基点とする西暦を、

普段使いしているのだから不思議。

西洋文明が世界展開しているとしても、

世界地図でみたら、

ごく一部の地域の文化だということを、覚えていたい。

西洋以外の、

大多数の文化文明も大切にしたい。

 

日本では、元旦に北陸能登で大きな地震が、

翌2日には羽田空港で飛行機の追突事故があり、

亡くなられた方が少なくなかった。

テレビがないのでタイムラグがあったけれど、

心の揺さぶられる、激動の年明けだった。

 

元旦の夕方、江東区も少し揺れて、

窓辺のウィンドチャイムがふたつ、

くじらの形のと、ユニコーンの形のとが、

窓をあけていないのに、風もないのに、

それぞれ違う音色で、同時に鳴った。

立っていた私は、その大きな音で、

地震に気づいた。

 

ほとんどを家で静かに過ごしたお正月、

オスカー・ワイルドの全集第4巻を、

Webの古書店でみつけて購入した。

日本では「藝術論」と呼ばれる作品集だけれど、

原題「Intentions」の直訳に近い

「意向集」のほうが私はすきだ。

絶版で、図書館で借りて写筆していたけれど、

右手が痛くなってしまい捗らず、

やっと手元に安心して読めると思うとうれしい。

古典的な対話篇の形式ではあるけれど、

この人ならではの、めっぽう面白い論調で、

すんなりとは読めない、知恵比べのよう。

色鉛筆でたくさん線をひきながら。

古書は定価の3倍になっていて、

著者にとっては名誉なことと思う。

戦前に訳されはじめたということもあり、

邦訳がいささか古めかしいので、

新訳がでることを心待ちにして。

 

そんな西洋の精華を享受しつつ、

東洋あるいは日本のよいところと、

ハイブリッドしたいと思う年頭。

 

みんなにとって

よい一年になりますように。

あとの夢

今年もあと僅か。

毎年のことながら、

年の瀬になると

いつも感慨深い。

 

一年間よくがんばりました。

 

 

今年も

いちねん

おわります

 

365日

ときどき

366日

 

もしかして

 

8760じかん

3153万6000びょうの

 

夢ならどうしよう

 

まばたきと

まばたきに

むすばれた

 

穏やかで

楽しくて

 

ときどき

ドラマチックな

 

今年も

いちねん

ありがとう

師走の和太鼓

あたたかい12月。

二十四節気の大雪にあたる日に、

門前仲町の富岡区民館に、

江東区長選のための、期日前投票に行った。

 

今年の4月に行われた選挙で、

はじめての女性区長が誕生して、

明るい雰囲気になったと思ったのも束の間、

公職選挙法の違反があったそうで、

7か月くらいで辞職となってしまった。

インターネットの有料広告がNGだということを

知らずに、選挙活動してしまったらしい。

 

そんなことで改めての区長選。

投票日の3日前にようやく届いた選挙公報

よくよく読んで、5人の候補者のなかから1人を選ぶ。

みんなそれぞれ良いところがあるから迷う。

みんなのために大役を担ってくれて、ありがとう。

ボールペンでお名前を書いて、投票箱へ。

選挙が公正に行われますように。

 

その帰り道、深川不動の前を通りかかると、

太鼓とお経の大きな音がきこえてきて、

誘われるように本堂へ。

ちょうど15時の護摩祈祷の時間だったらしく、

参列者にまじって、座ってみる。

面白いといっては不謹慎だけれど、

でもものすごく面白かった。

太鼓、法螺貝、読経を、7人ほどで分担していて、

その中心で真紅の炎が猛って、美しく。

ご本尊が不動明王だからか、

悪は許すまじ、とでもいうように、

太鼓や祈祷は男前でなかなか激しい。

その律動の気持ちよいこと。

法螺貝の音色の妙。

あっという間の半時間。

その日わたしはお月さまで、

お腹に鈍痛を感じていたのだけれど、

帰り道、嘘みたいに痛みが消えていて、

びっくり。なんの力だろう。

 

太鼓といえば、12月にはいってすぐ、

友人と一緒に和太鼓の舞台公演を観た。

葛飾区で25年にわたって活動している、

若い人たちの和太鼓集団で、

小さい太鼓、中くらいの太鼓、大太鼓に、

篠笛や鳴り物、舞踊もあり、賑やかなこと。

お祭りやイベントで活躍されているそうで、

みんな元気で明るくみえて、曲も現代的で。

とくに男っぽい女性がかっこいい。

左耳が過敏な私は、大きい音が得意ではないので、

耳栓をつけて、それでやっと聴けるくらいの、

ものすごい響きだった。

全員で叩いたときの迫力といったら、

つくづくプリミティブな楽器だなと思う。

 

空気があるから、音がきこえる。

だから宇宙には音がない、のかな。

そんなことを想う師走の半ばです。

 

宇宙人にきつと鼓膜はない冴ゆる   ひとみ

 

 

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TEZUKA 2023 ブラック・ジャック

手塚治虫の名作「ブラック・ジャック」の新作が、

連載50周年の特別記念企画として、

週刊少年チャンピオンの11月23日発売号に発表された。

 

読み切り32頁の「機械の心臓 Heartbeat Mark Ⅱ」は、

天国にいる漫画の神さまのかわりに、

AI と人とのコラボレーションでつくられた、実験的な作品。

物語のプロットやシナリオやセリフ、

新キャラクターの画像生成などは、AI と人との共同作業で、

最終的な作画は人の手によるものだという。

 

あらすじは、近未来、

人工臓器が実用化されている最先端医療の現場で、

人工心臓におこった謎の血腫の原因を突き止め、

解決するという、BJシリーズらしいもの。

 

先天的な遺伝子欠陥のために、

体のほとんどが人工臓器になってしまったマリアは、

AI によって臓器間のネットワークが保たれている、

半ばサイボーグのようなヒロイン。

そしてその人工臓器を開発しているのが、

マリアの父という親子愛の物語にもなっている。

王道のストーリーにおなじみの、

本間先生やドクター・キリコもでてきて、

ブラック・ジャック」ワールドは満載。

特別篇らしい大放出感には、

賛否両論ありそうだけれど。

 

人工皮膚をもつピノコはいう。

「ろこまれが人間れ

 ろこから人間じゃなくなゆの?

 人間てなんらの?」

「ねえ先生

 やっぱり生きていられるのが

 一番よのさ」

 

ふと思う。

この無邪気なセリフを、手塚さんなら、

ピノコに云わせたかな、と。

なんとなく云わせなかったのではないかな、

そう云わずとも、自ずと、

それを読者に感じさせることができた人だったような。

 

人工知能に手塚さんの作品を学習させて、

手塚さんを再現できるのか、

また超えることができるのか。

 

とまれ、AI によって問いかけられているのは、

人には何ができて、何ができないのかということと、

人が人を愛するとはどういうことなのか、

だと思う。

 

進行形ゆえに未知数の、

ブラック・ジャックに再会できて、

とてもうれしかった。

 

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直島と月島で

瀬戸内は香川県の直島で、

2006年の秋と、2007年の春に、

島全体を展覧会会場として開催された

企画展「直島スタンダード2」。

その時に一緒にスタッフとして参加した友人と、

東京の月島で束の間の再会をした。

 

毎年、年賀状のやりとりをしていたから、

ご結婚されて、お子様がふたり、

ということは知っていて、

また逢いたいなと思ってはいたけれど、

ほんとうに逢えて、とてもうれしい。

 

お住まいの神戸から東京へ、

連休の家族旅行の合間に、

月島のもんじゃ焼きをご一緒することに。

ほんとうに久しぶりなので

お互いにわかるかなと思ったけれど、

一目ですぐにわかって、なんてうれしい。

あの当時、若者らしくふっくらしていた私たちも、

時を経て、ずいぶんすっきりしたみたい。

数えてみたら17年ぶりで、改めてびっくり。

変わったことも色々あるけれど、

何も変わっていないような気もして不思議。

 

月島のもんじゃストリートは、

連休の夜ということもあり、

驚くほどの混雑ぶりだった。

いつのまにか観光地化されていて、

どこのお店も予約でいっぱいか、

待ち時間が2~3時間という盛況ぶり。

すぐに入れそうな洋食店をみつけて、

カオリさんとアユムくんはオムライスとオムグラタン、

ワタシはカキフライを食べながら、

あれこれの話がとまらない。

 

島での寮はふたつ、ヘキと中林にあって、

わたしはヘキで、カオリさんは中林だったね、とか。

朝4時くらいの真暗な時間に、

製麺所までみんなで歩いていって、

できたてのうどんに生卵をかけて食べたね、

たまごせんべいの工房に遊びに行ったね、

鉄塔を目ざして冒険したね、とか。

ベネッセの福武会長の奥様が、

ミスタードーナツを差入れしてくれたね、などなど。

アート展のことよりも、

そんな体験のほうが思い出されるから面白い。

 

安藤さんの地中美術館は言うに及ばすだけれど、

わたしが一番印象に残っているのは、

ジェームズ・タレルさんの南寺。

真暗闇に目がなれて、

だんだんものが見えてくるときの視覚の妙。

寝るときなどにも体験しているはずのことが、

意識化されることで、ひらかれる世界があること。

見ていること、知っていることのなかに、

気づいていないことが、たくさんあって。

 

しばらくしてから、

カオリさんの畑で採れたお野菜が、

箱いっぱいに届いた。

いのちがキラキラと輝いているのがわかる。

すぐにソーラークッカーで、

フクムラサキのお芋を焼き芋にした。

なんて美味しいのだろう。

 

直島と月島。

新しいことや、未知のこと、

そんな宝ものは、

島からやってくるのかな。

上高岩山 高岩山

気もちよい秋晴の日曜日、

あきる野市の上高岩山高岩山へ登った。

 

山仲間のアキさんと、

8時ころ御嶽駅で待ち合わせると、

驚くほど山の人でいっぱい。

バスもケーブルカーも1台では間に合わず、

臨時便にお世話になって、

御岳の御師町/831mまで運んでもらう。

ストレッチをして9時頃に歩き始めて、

ロックガーデンや綾広ノ滝をのんびりと、

芥場/あくたば峠の分岐からは、

あまり人の行かないサルギ尾根のコースへ。

今年はどんぐりが不作で、

熊がでやすくなっていると聞き、鈴を鳴らす。

高岩山/1011mを過ぎて少しすると、

見晴らしのよい展望台があり、

スカイツリー東京湾がよくみえた。

関東平野はほんとにひろい。

今では航空写真や衛星写真で見なれている鳥瞰図も、

昔は歩いて高いところに登った人にしか

見ることができなかったと思うと、感慨深い。

展望台の脇にあるサインには、この先「悪路注意」とあり、

気にしながら、人気のない登山道を進む。

途中ですれ違ったお一人に「この先問題ないですか?」と訪ねると、

「はい、ないです。」とのこと。ところが、

しばらくしてすれ違った別の方からは、向うから、

「この先ずっと降るの?ぼくだったら絶対選ばない。」

といわれてしまい、その真意がわからぬまま、

しばらく進むと、どうやら道に迷ってしまったらしい。

尾根が尽きて、広い斜面にでて、

その先の道がみつからなくなってしまった。

タブレットで確認しようにも圏外で、

しばらくあちこち、うろうろして、引きかえすことに。

まだ11:30で時間はあるし、天気も良い、

ロスタイムは40~50分ほどだろうか。

木に巻かれた簡易サインの地点に戻ってみると、

小さくて分かりづらいけれど、分岐の矢印があった。

よく見ないで尾根を直進してしまったらしく、

道を外れたときは、外れたことに気づかないのだと学んだ。

気をとりなおして、登山道に戻ったものの、

やはり道が分かりづらいポイントが幾つかあり、

タブレットで確認できたのは幸いだったけれど、

心もとなく、お昼のおむすびが入らない。

なんとかチョコレートやバウムクーヘンでエネルギーを補給。

またすぐに歩き始めて、それと気づかぬまま、

高岩山/920mのピークを過ぎて、しばらくしたところで、

ご夫婦らしき同世代のおふたりと行き交う。

こういうとき、人に会うと本当にほっとする。

登りと降りでは、道の見え方が違うけれど、

お互いに情報交換をして、無事を祈り合う。

そうして14時過ぎに登山道を出たときには、

養沢神社の鈴を大きく鳴らして、無事を心から感謝。

めずらしい龍の巨像が左右に、天へ向かって、

玉を咥えているのと、舌を伸ばしているのと。

 

バス停から歩いて30分くらいの

大岳鍾乳洞へ寄って、探検を楽しんで、

バス16:36で武蔵五日市駅へ向かうこと約45分。

やはり山の人でいっぱいだった。

 

19:30ころ江東区の自宅に着いて、

食べれなかったおむすびを食べた。

帰ってこれて本当によかった。

 

 

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詩 ひかり

夜空をみあげる

みえるのは

 

星のひかりの

しろがねの

 

きらりきん

ぢかぢかじ

 

もしもしも

いまはもう

 

死んだ星かも

しれないけれど

 

夜空をみあげる

みえるのは

 

星のひかりの

むかしの噺

声楽公開レッスン2023 ふたつ

今年の夏は特別に暑かったらしい。

35℃超の猛暑日が連続○○日とかで、

毎年どんどん暑くなるから、

あまり違いがわからない。

9月になってもだいたい暑くて、

でも蟬はいつのまにか、もういない。

 

ベランダの植物たちもくったりしているなか、

挿し木したバラはとても元気で、

野生種のような花を2つ、また咲かせてくれている。

まず萼/がくが、つづいて蕾がゆっくりひらいて、

うんとゆっくり時間をかけて朽ちてゆく、赤い花。

そのすべての変化が成長にみえてくる。

 

国立音楽大学で毎年公開されている、

といってもパンデミックをはさんでだけれど、

声楽のレッスンを聴講させていただいた。

ドイツ・リートの白井光子先生と、

ベル・カントのウィリアム・マッテウッツィ先生。

先生方が心から音楽を愛していること、

レッスンをとても楽しんでいることが伝わってきて、

なんてうれしい7日間。

 

おふたりの先生に共通していたのは、

自然な声がいちばんということだった。

自然というのは、

作った声、装った声ではなくて、

その人の本当の声、オリジナルの声、ということ。

でもそれを見極めるのは、それほど簡単ではなくて、

優秀な学生さんたちだから、

色々な歌い方がけっこうできてしまう。

その人の好みの声とか、理想の声とかに、

それなりに近づくことができて、

聴いていてもとても上手にみえる。

でも先生方にはすぐわかるようで、

一人ひとり異なるアプローチを辿って、

聴こえ始めた声には、ごまかしのない説得力と、

過不足のない美しさがあった。

声というひとつしかない楽器が、

次々とひらかれてゆく瞬間のときめきも。

今はメディアが発達して、手軽に、

本当にたくさんの演奏に接することができる。

そのこと自体はポジティブなことだとしても、

You Tubeで勉強しないでね、と、

おふたりとも繰り返されていた。

音楽が大すきな学生さんほど、

勉強のためというよりは、

ただただ好きで聴いてしまうのではと思ったり。

 

先生方に共通のテーマがある一方で、

異なるメソッドがあることも、とても興味深かった。

マッテウッツィ先生は、

ベル・カント400年の歴史を負うて、

マスケラの響きをとても大切にされていた。

一方、白井先生は、

学生の時にマスケラと習ったけど、

すぐにやめちゃった、とおっしゃっていた。

自分には合わないと思われたのか、

イタリア語とドイツ語の違いなのか。

とはいえ、よく開発された頭声を

大切にされていることに変わりはなかった。

 

ひとりひとり楽器がちがうから、

その奏で方も、美しさも、みんなちがう。

 

「その人の声でなければ表現できないこと、

 その人の想っていることでなければ表現できないことがあります。

 そしてそれが美しいと私は思っています。」

という内藤明美先生の言葉を思い出しつつ。

 /日本声楽家協会・オンライン研究会20230909

 

素敵なパフォーマンスを聴かせていただいて

どうもありがとうございました。涙も少し。

 

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棒ノ峰

9月に入ってすぐ、

奥多摩と飯能の境にある

棒ノ峰または棒ノ折山/969mへ登った。

 

池袋から西武線で約1時間、

埼玉の飯能駅で山仲間のアキさんと合流、

7:16発のバスに乗る。

3ヶ月ぶりの再会をよろこび合う。

7月は猛暑日37℃の予報で見送り、

8月は私の風邪で見送ったので、

久しぶりの山登り。

残暑を気にしつつ、

朝からの曇り空にほっとする。

バスも登山人でいっぱいだ。

 

揺られること45分、

さわらびの湯のバス停で下車。

念入りにストレッチをして、

6月の生藤山で痛くなったひざに

念のためのサポーターをまく。

車道をゆくこと15分、色々な秋の虫の声、

つくつくぼうしも聴こえてくる。

ツーリングバイクがたくさん並んでいる

有間ダムの対岸へ渡り、

登山道に入ったのは8:30だった。

 

久しぶりの山道がうれしい。

樹々につつまれた沢沿いはいくぶん涼しい。

ゆっくりのペースで30分くらい登ってゆくと、

見所の岩場にでる。

よじ登ったり、沢渡りしたり、鎖場も、

アスレチックのようで、なんて楽しい。

いつのまにかたくさん汗をかいて、

リュックまでびっしょり。

小型犬を2匹連れている人や、

ご夫婦、お友達、10人くらいの団体の方々などと、

そこここですれ違う、賑やかな道行。

2時間ほどで、10:30頃に山頂に着き、

早めのお昼ごはん。

夏場のおむすびはいたみやすいかなと思い、

シナモンロールとかマーブルパンとか、

軽くて食べやすいパンをほおばる。

薊の花に、黄色の蝶がとまっている。

黒い筋模様のなかに、

青や赤の斑のある、大きな蝶。

とんぼもたくさん。

栗の樹には青いイガがたわわ。

山頂は温度計で27℃くらい、

それでも汗冷えで寒くなってくる。

11:10頃下りはじめて、

下りが得意でない私は、

足の負担を考えてはじめてストックを使った。

2本足が4つ足になり、ずいぶん楽。

途中、岩茸石という10mくらいの巨石に、

少年が登っていたので、真似して登る。

どきどき、とても楽しい。

帰りは、周回のコースをとり、

なだらかな山道をゆっくりと、

沢沿いのコースとはがらりと変わって

ほとんど人気がなく、鈴を鳴らして歩いた。

13:10頃には下山、

9km/4.6h、高低差750m、という行程だった。

水分はお茶やポカリスエットなど、

いつのまにか2リットルも飲んでいた。

 

帰りのバスを待つ間、

さわらびの湯あがりの男性がひとり、

西武秩父線のほうから、

正丸峠を越えてきたと話してくれた。

「お湯に入っていかないの?」と聞かれたので、

「温泉に入ったら帰れなくなりそうで」と応えた。

13:34のバスに乗って、うつらうつら、

江東区の家に着いたのは15:30頃。

3:30に起きたので、ちょうど半日のトリップ。

 

すぐにシャワーを浴びて、ストレッチ。

サポーターとストックのおかげで、

ひざも痛くならず、まだ元気。

すいかを食べて、歌を唄う。

山に行くと、体の感じが変わるから、

とても不思議。