佐賀町日記

林ひとみ

パソコンを買い替える、川崎の事件

5月の中旬にパソコンを新調した。

 

先代とは2011年10月から、

およそ7年半の付き合いだった。

その間にWindowsは7から10になった。

パソコンの寿命はよくて5年程ともきくので、

よくがんばってくれたという労いの気持ちでいっぱいだ。

 

さすがに最晩年は、

起動するのにもよっこいしょ、

アップデートもうんとこしょどっこいしょ、

という具合で、老体にむちをうつようで忍びなかったが、

機械との相性がよかったのか、使い心地がよく、

なにより愛着があった。

パソコンのやりたいことがよくわかったし、

その動作もテンポも、よく馴染んだものだったから、

要する時間はあまり気にならなかった。

けれどもさすがに、バッテリーの接続や

充電の機能が不安定になってきて、

いつブラックアウトしても不思議ではなかったので、

買い替えどきと承知した。

 

新しいパソコンは、

まさにパフォーマンスが若々しく、さくさくと、

それはそれは使いやすい。

いまどきはスマートフォンのように、

スワイプもフリック/スライドもピンチイン・アウトもでき、

よりフィジカリーで快適だ。

ブルーライト軽減の画面設定ができることも、

とてもうれしい。

 

ドキュメントなどの各種ファイルの引越しや、

プリンターの再設定など、ひと手間かかるけれど、

家の引っ越しと同じように、整理しつつ、

必要なものからすこしづつ手をつけている。

AIではないけれど、

パソコンにも人格のようなものがあると思うので、

これからよい関係を築いていけますように。

なにより私たちの仕事をサポートしてくれる

有能なパートナーなのだ。

 

 

ところで昨朝、

神奈川県川崎市でたいへんな事件があったようだ。

ちょうど出先のTVで知ったのだが、

50代の男性が刃物で、

スクールバス待ちの小学生と保護者を襲い、

20人弱のけが人と2人の死亡者がでたという、

じつに痛ましい事件だ。

TVでは民放のコメンテーターたちが、

お笑い番組のようなセットのなかで、

平和といわれた街でなぜ、とか

どうしたら子供を守れるのか、などと、

神妙ながらも口々にコメントしあっていた。

ふだんTVを見ないあるいは持たない者が、

たまにどこかでみる機会があると、

実に奇妙にうつるものだけれど、

やはりその時も微妙な違和感を覚えた。

国営のニュース番組はさておき、

なんだかすべてが野次馬的に展開され、

情報の慶弔の別なく次々と消費されているように感じるのだ。

まるでエンプティーフードのように、

食べても食べても身体はからっぽなまま、というように。

自分の子供をどうやって守ったらいいのか、

ということも大切だけれど、

そのような犯行におよぶ人間を

うみださない社会をどうつくっていくのか、

ということこそ電波にのせて話し合ったらいいのにと思う。

そのような視点でみれば、

だれも他人事ではすまされないだろうし、

ある意味では加害者が同時に被害者でもあるという一面にも

気づけるはずだ。

自害した犯人の動機がどのようなものであっても、

個人の責任を免れるものではないけれど、

どうかそういう不幸なひとをつくりだすことのない社会を

実現できますように。

 

マザーテレサの言葉を引用して、

ひとつの指針としたい。

 

  遠くにいる人たちを愛するのは、簡単なことです。

  インドの飢えた人たちのことを考えるのも、

  とても簡単なことなのです。

  あなたはまず自分の家庭に、次にお隣に、

  そしてあなたの住んでいるところ、

  それからあなたの街に、目を向けなくてはなりません。

  それから、初めて外に向かうのです。