明日5月1日より元号が
平成から令和になる。
今回2019年の改元は、
元号が一世一元に定められた明治から
大正・昭和・平成への代替わりとは異なり、
巷では令和の印のはいった煎餅や饅頭を見かけるなど、
時代の節目を祝うかのごとく、雰囲気はあかるい。
元号のシステムは中国から輸入したもので、
日本では飛鳥時代の大化/645年にはじまり、
この度の令和は248番目になるそうだ。
のべ1374年間で248元号ということは、
平均すると5年半ほどで改元していることになる。
本家の中国の一世一元制とは異なり、
日本は明治以前には、特別な出来事があると
改元されたというから、いささかややこしい。
天災や飢饉などの災いによる改元も多かったそうだし、
はたまた、彗星の出現とか、黄金が献上されたとか、
病を癒す泉がみつかったなどの吉兆によることもあったそうで、
おおらかな世界観が、ファンタジーのようで面白い。
そのような歴史を振り返ると近代は、明治の32年、
昭和の62年、平成の30年、と長くつづいた元号だった。
そのように時をはかるシステムのひとつの元号だけれど、
起源には皇帝の権力を国土へ浸透させる目的をもっていたという。
現代では日本でも、広く世界で用いられている
世界情勢の趨勢と関係しているのだろう。
敗戦後しばらくは、日本独自の元号制の存続が危ぶまれたというが、
家元の中国は清王朝の崩壊とともに廃止され西暦に切り替わったそうだから、
象徴天皇制とセットで継承されつづけている日本は、
つくづく慎重でしぶとい国なのかもしれない。
令和と発表された4月1日、
我が家にはテレビがないので、
新元号発表の瞬間を共有した。
わかっている限りでは、
代々は漢籍を典拠としてきたそうだから、
国書の万葉集からの典拠ということに、
あたらしさを感じる元号だった。
初春令月、気淑風和、
梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
/初春の令月にして、気淑く風和らぎ、
梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす
万葉集は全20巻からなる歌集で、
諸説はあるが、奈良時代末に成立したとされている。
編纂者も編纂方法も統一されているわけではなく、
各巻の成立にもかなりの時間差があるようだ。
おさめられている4500首超のうち、その大部分は
629-759年頃の130年間のうちに詠まれた和歌だそうだが、
なかには詠み人を確定するのがむつかしいような
伝誦性のつよいはるか古の歌もふくまれているという。
原本は現存せず、
古くは平安時代中期に写されたという各地に伝わる部分的な写本と、
鎌倉時代に僧・仙覚/せんがくによって校定された校訂本などによって、
その全貌が伝えられているというから、奇跡的だ。
元号「令和」に引用されたのは、
巻第5に収められた、梅花の歌32首に添えられた序文で、
漢文で記されている。
天平2/730年の正月13日に、
正月明けの太宰府参りの習わしのために
九州全域から集まった要人たちを招待したのだそうだ。
初春の好き月、気は麗しく風はやわらかである。
梅は鏡の前の白粉/おしろいのごとくに花開き、
蘭は帯の飾り玉の匂い袋のように薫っている。
またこの序文とよく似ているものが、
詩文集「文選/もんぜん」のなか、
張衡/ちょうこうの「帰田賦/きでんのふ」に
「於是仲春令月、時和気清」 とあるという。
「文選」は当時の中国では文人の必読書で、日本でも
飛鳥、奈良時代以降、役人らに盛んに読まれたそうだ。
梅花宴の序をしたためた大伴旅人/おおとものたびとが
それらに通じていたかどうか、また意識したものかどうかは
わからないけれど、日本の文化の礎は、
梅の樹が大陸より伝来し重宝されたことと同じく、
多分に中国のそれに負っているのだ。
学術的にも精神的にもそのことを鑑みて、
今回の典拠は、中国の文選と日本の万葉集の両方から、
といえたら素敵だったし、日本の力量もなかなかだな、
と感じられたように思う。
当時、梅の花は白色が主流だったそうだ。
白色は、すべての色が均等・均質に混ざり合い、
それが強く反射したものだから、
すべての色を含んでいるともいえる。
白に、すべての色がふくまれているように、
世界には、すべての体験がふくまれているのかもしれない。
その世界は、人の意識や思考がつくっているものだから、
私たちひとりひとりが、何を考え、何を想うのかによって、
それぞれが体験する現実が異なるところが、面白い。
同じ出来事でも、人によって受け取り方が異なるし、
喜びの在りかも、幸福の在り方も、みなちがうのだ。
令和はどんな時代になるだろう。
れいわ、まだ馴染まないけれど、
なんだか、さっぱりしていて麗しい、かな。