佐賀町日記

林ひとみ

40年

今年2018年の8月で40歳になる。

はじめて到達する年代に、今まで感じたことのない、

ほどよい重みを感じている。

 

たとえば、木の年輪やバウムクーヘンの重なりを

ひとつずつ数えてみる。

1.2.3.4.5・・・10・・・20・・・30・・・と、

30くらいまでは気軽なのだけれど、

40まで数えてみると、それなりに数え応えがあって、

また見応えのある年輪、という感じがするのは

気のせいだろうか。

 

すこし前の世代の人たちは

年齢を数え年で数えるのが一般的だったときく。

新年を迎えると同時に齢をひとつ重ねるなんて、

ずいぶんせっかちで紛らわしいなと感じたものだけれど、

今年40歳をむかえる身になって、はじめて

数え年で数えたい気持ちになったのだから、不思議だ。

なるほど確かにせっかちだし、

当事者でなければ取るに足らないことなのだけれど、

新年を迎えたばかりの元旦に、

「今年で40年生きたのか、よくがんばりました」

という達成感にも似たどっしりとした感慨が

自然と湧き上がったのは、新鮮な体験だった。

 

学生の頃の夏休み、

群馬の祖父母の家に滞在しているときに、

祖母の古くからの友人というおばあさんがふたり、

ふらりとやってきたことがあった。

久しぶりの再会なのかそうでもないのか、

土地柄を感じさせる独特のイントネーションとともに、

そのとき交わされた会話のユニークさを

今でもよく覚えている。

わたしはおせんべいをかじりながら

耳を傾けていたのだけれど、

お茶を飲みながらの和やかな談話は、

いつのまにか年齢のことに及んで、

同年齢らしきおばあさんたちは其々、

「あなたの誕生日はいつだったかしら」「5月よ」

「わたしは3月生まれだから、あなたより2か月も年上よ」

「あら、あなた2か月もお姉さんなの、あなたは何日生まれ?」

「わたしは〇月◇日生まれだから、何処どこの◇〇さんより

10日もお姉さんなのよ」などと、

ほんのすこしでも年長者であることが一大事であるかのように

感嘆し合っていたのだ。

より多く生きることは誇らしいこと

という人生観を垣間見るとともに、

そのときの屈託のない天衣無縫なお姿からはかえって、

おばあさんたちが生きてきた時代の厳しさが偲ばれるようだった。

子どもの死亡率は現在とは比較にならないほど高く、

細菌・ウィルスなどによる疫病や不治の病は身近で、

大きな戦争も経験してきた世代の方々。

生きることの切実さはいつの時代も変わらないだろうけれど、

その様相や生存条件はおおきく異なるのだろう。

なんだか「あなた40歳なの、まだほんの子供なのね」

といわれそうで、うれしいような頼もしいような。

 

中国の思想家・孔子の語るところを

弟子たちが記した「論語」の名文句を思い出す。

「吾15にして学に志す。30にして立つ。40にして惑はず。

 50にして天命を知る。60にして耳順ふ。

 70にして心の欲する所に従ひて矩/のりを踰/こえず。」

人によって歩みの緩急はあるにしても、奥深い人生談だ。

 

新しいフェーズにはいった私の人生が、

より充実したものになりますように。