2012年から声楽を学びはじめて5年経つ。
10年続けて歌えるようになるかどうかといわれると、
かえってチャレンジしたくなるから不思議だ。
クラシックの声楽において目指すところは、
腹壁に支えられて安定し、響きの充実した、
健全な歌声を習得しつつ育てることといえるだろうか。
そのためには、パッサージョ/換声点をふくめた
自分の声の性質を理解することが不可欠だ。
人の発声器官は
とてもデリケートで、どこかミステリアスでもある。
歌声は、呼気が声帯を通過し、
効果的に用いて奏でられる。
声帯を内部にかかえる甲状軟骨/のどぼとけは
耳の後ろあたりから左右の茎突舌骨筋と茎突咽頭筋により
なかば吊り下げられているような不安定な様相で、
効率的に歌うには体幹の筋肉でサポートする必要がある。
だから歌唱の基盤は有機的な全身運動、
ほとんどスポーツと等しい筋運動といえそうだ。
そうしてはじめて音楽表現が成立する、
声の芸術といいたくなるようなもの。
身体構造や発声器官のわずかな形状の差異により、
声種はいくつかのカテゴリーに分類されている。
ひとりとして同じ歌声はないけれど、
おおよそ説得力のあるカテゴリーに
自分の声を照らし合わせてみる。
私の発声器官は
日本人の女声としては比較的しっかりとしていて、
声帯はおそらく長くて薄い。
そのため音域は広めだけれど、厚みのある声ではなく、
また声の中心をどこにもってゆくかで、迷いやすい。
声種はソプラノやアルトとは思えないので、
メッゾ・ソプラノでよいのではと認識している。
声楽を学びながら歌声を育てるなかで、
混声や同声の合唱に参加している。
色とりどりの各人各様の声に出会うことや、
楽しみながら勉強できることが、なによりうれしい。
大きな課題である喚声点についても、
他者の歌声から学ぶことは多い。
私の上のパッサージョは E あたりに感じているけれど、
その日の調子、前後の音の関係や母音によって、
ものすごく歌いにくい。のどが奥にひっこんだり、
響きのポイントがみつからなかったり、
呼気圧が強すぎたりすると、たちまちうまくいかなくなる。
その手前のCとかDとか、AとかBあたりも、
弱いというか支えにくく、ずいぶん苦労している。
一方、合唱に参加するうえで戸惑うことも少なくない。
たとえば、ある合唱団では、
アルトパートで胸声的な音色を奨励されたかと思えば、
別の合唱団では、
ソプラノパートで線の細い華奢な音色を求められたりする。
合唱全体の音色やハーモニーを優先するのは最もなので、
自分らしく建設的に歌える場所を選ぶことは
自分の責任でもある。
声楽は本当に楽しい。
のどがリラックスしてポジションが安定し、
下半身や胴体のコンビネーションがとれて歌えるときは、
声というより存在が解き放たれるような煌きを感じる。
自分の声を育てて伸ばし、確立させる道のりは、
ほんとうに尊くかけがえのない経験だと思う。
どこか人生の歩みと似て、
人それぞれの道を全うする喜びに溢れていると思うのです。