佐賀町日記

林ひとみ

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン

公開中の映画「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」を

神保町の岩波ホールで観た。

 

2016年に制作された

イギリスのテレンス・デイヴィス監督・脚本による

原題「A QUIET PASSION」は、

かつての知られざる詩人の生涯を、

静かに情熱的に、きめ細やかに描き出した伝記映画だ。

 

Emily Dickinson/1830-1886は、

アメリカ北東部のニューイングランド地方である

マサチューセッツ州アマストに生まれ、

生涯を同地で過ごした詩人だ。

17世紀にイギリスの清教徒ピューリタン

入植した歴史をもつ小さな農村アマストにおいて、

英国移民の血を受け継ぐ、町の名士の家柄であったという。

生前発表された作品は

主に新聞紙上にわずか10篇のみで、

ほとんど知られぬ存在だったようだが、

死後に残されたおよそ1800篇の詩は、

その親近者等の尽力により出版されて以来、

ドラマティックに評価・賞讃されつづけ、

現在ではアメリカを代表する詩人のひとりとされている。

その詩は、身近な事柄から、愛や死や人生や神までを、

ユニークでチャーミングに、あどけなくもときに鋭く、

自然と交歓しつつ歌う、稀有な鳥の歌のようだ。

 

けれども、生前は無名であったため、

また作品を公表することに消極的だった節もあり、

その生涯について多くを知るすべはないが、

現存する1000通を越えるレターや

17歳頃のポートレート2枚から、

その一端を垣間見れることは好運だ。

また、いくつかの成就しなかったロマンスの形跡や、

32歳頃から白いドレスを着用し、世間から隠遁し、 

ほとんど屋敷の外へ出なかったという逸話等にみられる

ミステリアスな側面も、

多くの人を惹きつけるトピックスだろう。

 

デイヴィス監督は、17歳頃の詩人が信仰を問われた際に、

教師の意に反する回答をしたことをきっかけに、

女学院を退学するというエピソードから物語をはじめる。

その後、両親・兄・妹等との

家族の強い絆のなかでの充足した裕福な暮らしぶりや、

ごく少数の友人たちとの交遊が、

アマストの生家/現ミュージアムを映像に織り込みつつ、

美しい自然と20篇ほどの詩とを背景に絵描かれ、

ゆるやかに詩人の人生の経過に寄り添う。

 

一方で、冒頭の信仰問答のシーンでは

純粋で意志の強い一面が、どこか英雄的に描かれているが、

場合によっては、その美質が裏目に出て、

父や兄との衝突、苛立ちや苦悩などによる感情の爆発となり、

たびたび自他を損なう、気難しい女性としても描写される。

 

詩人の人生に何らかの重大な出来事があったとされる、

最も多作であった1862年を中心として、64年までの3年間に、

およそ全1800篇の1/3以上の作品が編まれたというが、

映画では、俗説に基づいた失恋とも尊敬の喪失ともとれぬ

ぼんやりとした描写にとどめ、解釈は各自に委ねられていた。

 

当時ブライト病とよばれた腎臓炎で

55歳の生涯を閉じたエミリ・ディキンスン。 

まるで編み物をするように、パンを焼くように、

生活の営みとして、言葉を紡いだ詩人の独自性は、

任意に大文字を使用したり、ダッシュを多用したりと、

風変わりな筆記法にも象徴されているが、

Web上のEmily Dickinson Archiveにて、

原語の各版を、直筆とともに参照できることは、

ほんとうに興味深い。

 

ほとんど屋敷から外へ出る必要のなかったほどに

天国に生きていたであろうと、憧憬を感じつつ、

静かな情熱に導かれて、

私も私の天国に生きようと思う、晩夏の夕暮れだった。

 

はてさて、

映画のなかに、真実の彼女はいたのだろうか。

 

 

   To see the Summer

   Sky

   Is Poetry , though

   never in a Book

   it lie -

   True Poems flee -

                                              F1491A/Franklin Variorum 1998

                                              J1472/Johnson Poems 1955

 

   夏の空

   にみるの

   は詩、といっても

   本のなかにはけっしてない

   それは嘘ー

   真実の詩はにげてゆくー