映画監督・黒澤明/1910-1998の
比較的初期の作品「静かなる決闘」と「醜聞」を観た。
いずれも見応えのある、力強い作品だった。
「静かなる決闘」/1949年は、
誤って患者のスピロヘータ/梅毒に感染した、
若い医師の苦悩と救済の物語だ。
劇作家・菊田一夫の戯曲「堕胎医」を原作に、
戦後間もない外科および婦人科の診療所を舞台に、
慕い合う婚約者との愛と病をめぐる医師の葛藤を軸として、
妊娠したものの交際相手に逃げられ自暴自棄になっている
元ダンサーの看護婦として母親としての成長物語、
図らずも戦地で医師にスピロヘータを感染させることとなった
やくざな元兵士との邂逅などが折り重なりつつ、
テンポよく興味深く物語が展開される。
バイタリティーに満ちたモノクロの粗い画像のなかで、
受難の医師を演じる若い三船敏郎が瑞々しく美しい。
たとえば、人を愛するということは、
その人の幸福を願うことなのだろう、そして
苦悩は時として人を聖へと導く天のギフトなのだろう。
「醜聞 スキャンダル」/1950年は、
画家と人気声楽家との偽スキャンダルが
確信犯である出版社との裁判にまで発展し、
一癖も二癖もある弁護士を交えて珍走する群像劇だ。
弁護士を怪演する志村喬が愉快で、
一徹な画家を演じる三船敏郎の端正な演技が清々しい。
弁護士の一人娘は結核に臥せっているが、
病という逆境により超人的に透き通った彼女の命と精神が
物語を方向づける原動力となり、感動的だ。
早坂文雄のさりげなくも効果的な音楽と相まって、
ひとつの星がきえて、ひとつの星がうまれる、
なんとも慈悲深くユニークな作品だった。
生涯におよそ30本の作品を世に送り出した
黒澤監督が40歳前後に手掛けた2作品だが、
人間を相対化し、
善人と悪人、気位の高い者と低い者、
成功者と落伍者などの何人にも、
奥行きを与えて絶妙に描き出す、
その大器に、ジーンと胸が熱くなる。
後のエンターテイメント性は影を潜めつつ、
ある種のうぶさやナイーヴさが魅力的な作品群に、
開きはじめた花が盛りへと向かうような
ときめきを感じたのだった。