1945年8月9日に長崎で原子爆弾を体験した
医師・秋月辰一郎/あきづきたついちろうの著作、
「長崎原爆記」と「死の同心円」を読んだ。
福島の原子力発電所の事故以来、
思いがけず人工放射線が身近なものとなり、
ふとしたきっかけで読みはじめたが、
あらためて原爆および被爆の事実に圧倒された。
長崎市に生まれ育った秋月辰一郎/1916‐2005は、
爆心地から1.4㎞にある浦上第一病院で
勤務中に被爆する。幸い無傷だったため、
廃墟となった病院で負傷者の救護・治療に奔走し、
戦後まもなく再建し名を改めた同病院/聖フランシスコ病院の
院長を永年つとめながら、長崎の平和運動を先導した人物だ。
「長崎原爆記」は
1945年8月9日からの一年間にわたる原爆白書で、
1966年に弘文堂から刊行されたのち、久しく絶版であったが、
1991年に日本図書センターの「日本の原爆記録」全20巻のうち第9巻に所収、
その後2010年に同社の平和文庫に収められ、読み継がれている作品だ。
「死の同心円」は
「長崎原爆記」に大幅な加筆と訂正を加え、まとめなおした作品で、
1972年に講談社から刊行され、2010年に長崎文献社から復刊されている。
少なからず重複し、共鳴し合うふたつの作品では、
原子爆弾による被害の実態が、医師の視点から記録され、
この世のものとは思えぬおそろしさに、気が遠くなる。
想像を絶する、71年前の夏の日の出来事だ。
また、恩師のひとりで「長崎の鐘」「ロザリオの鎖」などの
著作で知られる医学博士・永井隆との因縁や、
透徹したまなざしで語られ、心に響く。
一方、生来の虚弱と結核体質を克服すべく、
明治の医師・石塚左玄/いしづかさげんの食養学を
桜沢如一/さくらざわゆきかずが発展・提唱した
現在のマクロビオティックの理論を学んでいた秋月医師は、
それらを独自にアレンジしたミネラル栄養論/秋月式栄養論を考案し、
塩と玄米と味噌を積極的に摂り、
砂糖を避ける食養を実践していることも、興味深い。
終生、長崎の地に在りつづけた秋月医師は、
1992年に核戦争防止国際医師会議/IPPNW終了後、
喘息の発作で倒れてから、13年間の昏睡状態を経て、
2005年/89歳で永眠した。
今日、地上に生きつづける私たち人類は
原子力との新しい関係を構築中だが、
よりよい未来への希望を失わず、
ミネラルの豊富な塩と玄米とお味噌汁を食べ、
かけがえのない命に感謝したい、2016年の8月だった。