佐賀町日記

林ひとみ

展示 フリーダ・カーロと石内都

七夕のころ、

石内都展「Frida is」を資生堂ギャラリーで観た。

 

1947年生まれの写真家・石内都/いしうちみやこは、

かつての生者たちの遺物を女性らしい繊細さで記録した仕事、

近年の「Mother's」や「ひろしま」「Frida by Ishiuchi」などで

よく知られている。

 

本展は

2012年の作品「Frida by Ishiuchi」と

その続編にあたる2016年の「Frida Love and Pain」からの

31点の作品/写真で構成されていた。

 

ギャラリーの壁面はそれぞれ、

原色の青・赤・黄、そして鮮やかなすみれ色にペイントされ、

メキシコの女性画家のヴィヴィットでカラフルな遺品たちは、

白いフレームに縁どられた写真のなかで、なまめかしく息づいていた。

 

フリーダ・カーロ/1907‐1954年は

もちまえの強く類いまれなる個性から、

幼年時に患った感染症ポリオによる足の障害や

10代後半で遭遇したバス事故による後遺症および度重なる手術に、

また画家である夫ディエゴ・リベラとの愛の確執に、負けていない。

 

ポリオのために成長が異なる左右でサイズの違う靴や、

カラフルな素描で埋め尽くされた胴体のギブスは、

まるで彼女の代名詞であるかのような圧倒的な存在感だ。

些細な身の回りの小品、

体温計・空き瓶・割れたサングラスなどからも

ただならぬ気配が漂うが、

それは表現する者と観る者の双方が

大小なり彼女の人生を共有しているからなのだろう。

 

ふと、コンセプチュアルな表現にときにみられる

非自律性という弱点あるいは美点を意識した。

不在の被写体であるフリーダ・カーロの人生を知らぬとき

人は何をどう観てよいのかと戸惑うかもしれない。

あるいはよく知っている場合、感慨は密やかでありながら、

またそのためにいっそう甘美であるかもしれない。

 

 

7月7日、

東京の夜空は、日中の晴天から一転し、

どんよりとしたあつい雲に覆われていた。

織姫と彦星は無事に再会できただろうか。

 

星のひとつとなったフリーダ・カーロ

地上の痛みから解き放たれて

幸福な愛に恵まれていますように。