展覧会「北大路魯山人の美 和食の天才」を
三井記念美術館でみた。
「和食」のユネスコ無形文化遺産登録の記念展として
2015年6月より京都国立近代美術館で開催され、
同年8月に島根の足立美術館を、
2016年4月からは東京を巡回している企画展だ。
北大路魯山人/きたおおじろさんじんは
1883年に京都上賀茂神社社家の次男として生まれたが、
生後6か月で養子としてあずけられ、
6歳で再び他家の養子となる複雑な幼年時代を送る。
1903年/20歳で実母をたよって上京し、
まもなく書で認められ書道教授として独立するも、
朝鮮や中国、滋賀や金沢などを渡り歩き、
見聞見識および数寄者らとの交流を深める。
1919年/36歳で鎌倉に移り住むとともに、
大雅堂という古美術店を東京京橋にて共同経営し、
ほどなく会員制の美食倶楽部を始め、
魯山人と名乗るようになる。
星岡茶寮/ほしがおかさりょうを借り受け、
翌年開業、顧問兼料理長となり、
1926年には北鎌倉に星岡窯/せいこうようを築き、
茶寮のための器を創作しはじめる。
1936年/53歳で茶寮を解雇となるも、
作陶をはじめとする創作は海外でも好評を博し、
また様々な独自の逸話をのこして、
1959年/76歳で肝硬変のため逝去した。
展覧会は「器は料理の着物」という魯山人の言葉を題し、
その創作の中心であった和食器およそ120点と
数点の書画とで構成されていた。
作家ともデザイナーとも趣味人とも言い得ぬ
独特の立ちまわりで采配をふるった、
クリエイティブディレクターとアーティストを合わせたような、
プロジェクトリーダーともいえるだろうか。
古陶磁を熟知していたという魯山人ならではの、
志野や織部や伊賀や備前、粉引きや染付や上絵付けといった
様々な技法を用いながら、
なんとも楽しそうに、遊ぶように、おおらかに、
作陶に取り組んでいる様が伝わってくる。
織部の大きな長板皿には、
線刻で描かれた草むらのなかに
ひょうきんなコオロギが一匹、ちょこんととまっている。
大鉢に施されたもみじの絵柄は、
器の外側手前に幹が、内側向こうに紅葉が描かれ、
正面から対峙すると1本のもみじの樹が完成し、
ひとつの立体的な絵画をみているようだった。
誰からもすかれるようなタイプではなく、
むしろ敵をつくってしまうような
むつかしいところのあった人のようだが、
その創意にあらわれる花鳥風月は、
ユーモラスでどこかやさしい。
その思想の随所からは、
無形文化遺産として認められる和食の価値を
充分よく知っていた人なのだろうと感じられる、
親しみやすい展覧会だった。