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本 ピエール・リヴィエールの犯罪 狂気と理性 | ミッシェル・フーコー編著

本 | Book

コレージュ・ド・フランス/国立特別高等教育機関における

哲学者ミッシェル・フーコー率いるゼミナールの共同研究書である、

「ピエール・リヴィエールの犯罪 狂気と理性」を読んだ。

オリジナルは1973年にガリマール出版社より、

邦訳は1975年に河出書房新社より刊行され、

幾度かの新装や改訂や新訳を重ねている作品だ。

 

ノルマンディーの農村に生まれ育った

20歳のピエール・リヴィエールは、

1835年6月3日に、実の母と姉と弟を殺害し、

およそ一か月逃亡したのち、7月2日に逮捕される。

当初「神が命じた」と供述し狂人を装ったことや、

犯人の特異な性質と独特の動機から、

その精神状態をめぐり様々な議論が交わされたが、

裁判では有罪および死刑の判決に至り、

上訴は却下されたものの、国王の特赦をうけ終身禁錮刑に減刑された。

約5年後の1840年に刑務所で自死し、

複雑な残響をのこしたまま、事件は歴史に埋没する。

 

およそ140年後に、コレージュ・ド・フランスのゼミ一同は、

精神医学と刑事裁判の歴史的関係を研究する過程で

リヴィエール事件と出会い、その成果を世に問うこととなる。

本書は、事件の訴訟関連資料と論評の二部から成り、

前半は、可能な限り調査・収集された

裁判関係書類・犯人の手記・当時の新聞記事等が掲載され、

時系列にしたがい、事件の全容をくまなく伝えている。

後半は、フーコーを含めた8名の編者たちによる、

多角的な論評が収められており、

事件の歴史的背景や、犯行と手記の相関性

裁判の正当性や、司法と精神医学の関係等が展開されている。

 

ともあれ白眉は、質量ともども不思議な魅力をはなつ、

犯人/被告ピエール・リヴィエールによる手記だろう。

本書の原題「Moi, Pierre Rivière, ayant égorgé ma mère, ma sœur et mon frère…

/私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した」には、

その手記の書き出しが引用されていることからも察せられるように、

またフーコーが序論で言及しているように、 

ある種の美しさと驚嘆を喚起させられる。

予審に際した司法官の求めに応じて拘置所で書かれたものだが、

読み書きをろくに知らないと断ってはいるが、翻訳の力も借りてだろうか、

かなりの記憶力と素朴かつ力強い文章力で、生い立ちや家庭環境、

犯行までのいきさつや動機、犯行後の心情の変化や行動を、 

整然と詳細に述べている。

 

産まれたときから両親の折り合いが悪く、

ヒステリックで意地の悪い母親は、穏やかで誠実な父親に対し、

罵詈雑言や借金の苦労を絶え間なく負わせていたため、

自分を犠牲にして父を救おうと思ったと告白している。

そして、父を苦しめていた母と、母に共謀した姉を殺害すること、

また弟については、母と姉を愛していたため、

加えて犯行後に父が自分を憐れむことのないよう、

父がとりわけ愛していた弟を殺害することで、

自分が死刑に殉じても心残りに思わずに、その後を幸福に暮らせるようにと、

犯行を決意したと記している。

 

裁判では、リヴィエールが白痴/狂人であるか否か、

すなわち罪となるか否かが論点となり、

13名の証人たちの供述には、低能/白痴であるという共通の認識や、

気ちがいとしか思われぬ奇行の目撃が多く寄せられ、

また父親もリヴィエールに対して匙を投げていたと見受けられる

客観的な証言も多い。

リヴィエールの供述および手記と、他者による証言には矛盾が多く、

どちらにも真実と主観的な見解が混在しているのだろうか、

陪席員や医師たちの意見はほとんど二分し、

決定的な判定を導き出せなかったようだ。

専門家たちをはじめ各人におよんだ動揺の形跡が、興味深い。

 

殺人という行為は決して肯定できないが、

意識あるいは無意識のいずれにせよ

多少の創作が行われているであろうその手記には、

同情を起こさせるある種の力がある。

自らを犠牲にして父を救ったという動機の深層は、

父親への愛情からというよりはむしろ、

ヒロイックなものであったと感じられるが、

犯行とともに、自分自身をも葬ってしまったのだろうか、

減刑もむなしく、死を希求し遂げている。

また、リヴィエールが意図したように、

その後に父親は幸福に暮らせたのだろうか。

仮にもし以前より幸福に暮らせたのだとしたら、

事件に対する解釈はますます錯綜するだろう。

 

映画監督ルネ・アリオは、 フーコーの仕事に共鳴し、

1976年に同名の映画を製作している。

当時助監督を務めたニコラ・フィリベールは、

2007年に「かつて、ノルマンディーで」を制作し、

撮影が行われたノルマンディー地方を30年ぶりに訪れ、

かつて映画に出演した村の人々と再会を果たしている。

翌年の日本公開時に観て以来、

ルネ・アリオの作品を観ることは叶わぬままだが、

本テキストに対峙するのに8年かかったことになる。

 

もう一度「かつて、ノルマンディーで」を観てみようと思う。

そして遠くない未来に、

ルネ・アリオ監督の解釈と創作に触れられることを期待して。