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本 ジャンヌ・ダルク処刑裁判 | 高山一彦編訳

本 | Book

フランス史におけるジャンヌ・ダルク研究者である、

高山一彦による編訳の「ジャンヌ・ダルク処刑裁判」を読んだ。

1971年に現代思潮社より初版刊行、

1984年に大幅な改訂版が白水社より、

2002年には「ジャンヌ・ダルク復権裁判」の訳書とともに、

新装版として同社より出版された、貴重な史料だ。 

 

当時イングランド王国の支配下であった

フランス北部ノルマンディ地方の町ルーアンで、

1431年1月9日~5月30日に行われた、

19歳の乙女ジャンヌの宗教裁判の記録は、

数奇な運命をたどり、独特の形で現存している。

 

審理の場で記録されたフランス語による原本は、

はたして消失し現存しないということだが、

裁判過程の公開を目的として、

「フランス語原本」をラテン語へ翻訳した

ラテン語記録」の写本が3部現存しているようだ。

けれども、裁判が不正に行われたことから、

幾つかの記録の差し替えや削除といった

作為が施されているようで、それらを補うかたちで、

フランス語原本に準ずる価値を認められているという

「ユルフェ写本」と「オルレアン写本」が存在する。

あまたの古文書コレクションに紛れこんでいたという、

失われたフランス語原本から写されたとされるユルフェ写本、

ユルフェ写本またはフランス語の古記録から写されたといわれる、

オルレアン市の図書館が所蔵するオルレアン写本は、

いずれも部分的で不完全な形ではあるものの、

主要な校訂版であるP・シャンピオン版やP・ティセ版で、

ラテン語記録に併記され、裁判記録に奥行を与えているようだ。

 

編訳者である高山一彦氏は、

いくつもの校訂版や研究書を参照したうえで

妥当と思われる多少の編纂を加えて翻訳しているが、

どこまでも公正に正確に史料に対峙しているという印象で、

安心して日本語で裁判記録をたどることができ、

その稀有で誠実な仕事に感謝を感じた。

 

当時、正確に裁判が記録されたという前提のもと、

審問に対する乙女ジャンヌの答弁からは、

文盲であったという一説にもかかわらず、

すぐれた思考力をもっていたことがうかがえる。

教会の虚偽や、その政治的な意図を見抜きながらも、

答えられることには誠実に答え、

答えられぬことには答えられぬと明言し、

屈することなく毅然と立ち向かっている。

 

巧みに紳士的な手続きを装ってはいるが、

裁判を主導したイングランド側としては、

奇跡的な勝利につづきフランス国王シャルル7世を戴冠させた

乙女ジャンヌの異端/破門と処刑を公にすることで、

フランス国王の尊厳を冒し、勢いづいたフランス勢力に陰りを与え、

1420年のトロア協定により王位継承権があるとされた

イングランド王ヘンリー6世のフランス支配拡大にむけて、

戦局を有利に進めたかったようだ。

 

その後明らかになる、

数々の不正が横行する裁判において、

審理の進行にしたがい、

この者たちに何を言っても無駄だという諦念や絶望からか、

殉教を望む発言がみられるようになるが、

すでに自らの死を予見しているふしもあったと見受けられる。

 

天啓を授かり、

聖ミッシェル、聖カトリーヌ、聖マルグリットといった、

天使や聖女たちの姿を目にし、

常に交流していたという乙女ジャンヌは、

およそ500年を経て列聖されることからも窺えるように、

あまりに聖なるものに近かったゆえに、

地上では長く生きられぬ運命にあったのかもしれない。

 

フランスの作家ジャン・ジュネは、いみじくも、

「聖女とは言葉を変えていえば、人間の否定である」

といったが、その魂は神と直接に関係し、

社会の秩序におさまらず、

むしろそれらを破壊する可能性を秘めているために、

悲劇は宿命を帯びているかのようにもみえる。

 

そして、乙女ジャンヌのもうひとつの物語は、

およそ25年後に行われた復権裁判の記録へと綴られる。