佐賀町日記

林ひとみ

映画 ルキノ・ヴィスコンティ | 若者のすべて

ルキノ・ヴィスコンティの「若者のすべて」を観た。

 

1960年制作の本作は、

長編全14作のうち、6本目の監督作品だ。

ジョバンニ・テストーリの短編「ギゾルファ橋」を原案に、

常連のスーゾ・チェッキ・ダミーコ等と共に脚色したという、

イタリア南部の農村から、北部の大都市ミラノへ移住した、

寡婦とその5人の息子たちの物語だ。

 

夫と死別した喪中の母親は、生来の勝気な性格から、

4人の息子たちを連れて、長男の住むミラノへ移り、

安価な地下の借家で、念願の新生活をスタートさせる。

兄弟たちは、それぞれの個性に従って、

大都市へ順応する者、積極的に適応する者、

故郷に哀愁を抱く者、悪にそまり破滅する者があり、

それぞれに異なった運命を辿ることになる。

なかでもフォーカスして語られるのは、

次男シモーネ/レナート・サルヴァトーリと、

三男ロッコ/アラン・ドロンと、

娼婦ナディア/アニー・ジラルドの、

不幸な三角関係の悲劇だ。

 

都市と農村、聖性と暴力、

家族の絆や、故郷へのノスタルジーなど、 

いくつかの主題が重なり合う重層的な本作だが、 

象徴的なシーンのひとつは、

壮麗なドゥオーモ/大聖堂の屋上を舞台に描かれる、

愛し合うロッコとナディアの別離だろう。

聖人君子さながらに自己を顧みぬロッコは、

同じ女性を愛し、また大都市に毒され堕落してゆく

兄シモーネへの憐みと罪悪感から、

兄を救えるのは君だけだとナディアに告げるが、

はからずもすべての者を裏切り不幸にする、

悲劇的なある種の美しさに眩暈がする。

また、ふたりの兄弟に翻弄されるナディアの、

磔刑されたキリストを暗示するような最期も、印象的だ。

 

エピローグで、堅実な四男チーロは、

まだ幼い弟ルーカに、シモーネの破滅について、

聖人ロッコの寛大さが輪をかけたと語り、

物語に陰影を与えている。

そして描かれざる五男ルーカの物語へと希望をつなぎ、

ほがらかに家路をたどるルーカの後ろ姿を見送るように、

物語は幕を閉じる。

 

 

イタリア語の原題「ROCCO E I SUOI FRATELLI」は、

「ロッコと兄弟たち」だが、

5人の兄弟たちの名前をそれぞれタイトルとした、

5つの章により構成されている本作に、

邦題「若者のすべて」は、

よりよく馴染んでいる名訳と感じた。

 

制作当時50代半ばであった監督は、

以降、本領発揮ともいえる豪奢な大作を生み出してゆく。

ヴィスコンティヴィスコンティに成ってゆく、

おのれを完成させてゆくその軌跡に、

ますます興味は深まってゆく。