ロベルト・ロッセリーニの「INDIA Matri Bhumi」を観た。
「インド 母なる大地」だ。
1958年制作の本作は、インドを題材とした、
新聞の三面記事から着想を得たといわれる、
4つのエピソードで構成されている。
プロローグは大都市ボンベイ/現ムンバイの
おびただしい群衆への視線からはじまる。
多様な民族・言語・宗教が、
また植民地時代の支配をうけいれた、
寛容な国民性を映し出す。
第1話は象と象つかいの話、またその結婚、
第2話は巨大ダムの建設労務者の話、またその労働移動、
第3話は虎と森の老人の話、またその森の開発、
第4話は飼い主を熱波で失った猿の旅路、の物語。
それらを通して、
インドにおける人間と動物の関係や、
悠久の時の流れに相対/あいたいする近代化の様相が、
ドキュメンタリータッチで描かれている。
各地で異なる時期に撮影され、
編集で統合されたという粗い画像だが、
自然の雄大さや美しさ厳しさが伝わってきて、
感動的だ。
ナレーションは、
各エピソードの主人公たちによって語られる設定でありながら、
全編を通して同一のナレーターによりイタリア語で語られるため、
異国のおとぎ話や紙芝居をみているような、
不思議な感覚を覚えた。
森のなかで木を伐採し材木を運ぶ象たちの、
大きな体にぶら下げられた鈴が鳴り響く、
牧歌的な情景のなかで、思考が停止する。
労働を終えた象たちの水浴びと食事の世話に、
大忙しの象つかいたちがユーモラスだ。
野生の虎と適切な距離を保って暮らしていた、
80才の森の住人のモノローグ、
「陽が昇り眼をさますと 生きる喜びが身体にみなぎるのです」
という言葉が美しい。
開発によりバランスが崩れた森では、
傷ついた虎が人間を襲いだし、
自然の湖や寺院は、人工のダムのなかへ沈み、
飼いならされた猿は野生に戻ることができず、
サーカスの曲芸へと辿り着く。
時の流れのなかで、
わたしたちが得たものと失ったものに思いを馳せることは、
現在と未来をよりよく生きるために、有意義なことだと思う。
また、いつでも今が一番よいにきまっている、
という建設的な考え方も有用だろう。
映画に引用された、
ギータ書からの箴言が、複雑な余韻を残す。
真実の何たるかに悩むは 凡なる者の常なり
正しからざる物の中にも 真実の在する事あれば
今はただ行う事 これ肝要なり