人の世に、
小説家の数だけ、
種々様々な小説がある。
そう短くも長くもない人生のうちに、
すべてを読むことはできないだろうし、
またその必要もないだろう。
すると、
いつ、なにを、読むかということになる。
そういうとき、
呼んでいるような、呼ばれているような、
作品に巡り合えると、幸運だ。
去年の暮れから今年の始めにかけて、
木山捷平をはじめて読んだ。
1904年岡山生まれの作家は、
10代から詩作をはじめ、
20代後半に詩集2冊を自費で発表し、
その後、小説や随筆へ創作を展開させた。
直接に体験したことがらを素材とした、
私小説を得意とする作家と評される。
代表作は、中国での戦争体験をもとに書かれた、
長編「大陸の細道」であるようだが、
作家をこよなく愛する知人のおすすめは、
収録されている10の短編のうち、
9編は1962~1968年発表の作品であるから、
1968年に逝去した作家にとっては、
晩年の作品群といえる。
ささやかな、あるいは些細な、
身近におこる出来事を、
独特の淡々とした語り口で、
ユーモラスで印象的な出来事に変身させる。
その様は、職人のように鮮やかだ。
しみじみと、
しみわたってゆくような味わいが、読後につづく。
ひととなりは文体に現れるだろうから、
小説を読むとは、物語をうみだした、
作者を読むことでもある。
さっぱりとしていて、
飄々とした個性、といえば、
作家はどのように応じるだろうか。
はたして、呼んだか呼ばれたか、
幸運であったかといえば、
いまひとつ未知数なところがあるのだが、
味わい深い、ユニークな作品に、
ほっこりとした幸福を感じた。
木山捷平風にいうと、
そういうところに人生の妙味があり、
不思議なものである、かな。