佐賀町日記

林ひとみ

ゆきがふる

今日は東京に雪が降っている。

朝方から粉雪が降りはじめ、しばしの休止をはさみつつ、

ぱらぱらと、ときおり本格的に舞ったりと、

表情をころころ変えながら、空はいつになく、

ライトグレーの分厚い雪雲に覆われている。

 

今季の東京の初雪は、

気象庁の発表は1月12日だったけれど、

1月6日にもかすかに白いものがちらついたのを、

父と甥っ子と車からみてはしゃいだことを思い出す。

3歳半だからそう聴こえるのかうまく言えないのか

「ゆち?ゆち?」といっていた。

 

今日はあたり一面真っ白とはいかないが、

街路樹や家屋や車の屋根の上などに、

また身近では植木鉢の土や植物の葉の上に、

ベランダの木製のバーのうえにも、うっすらと積もっている。

土曜日ということもあり、町全体がひっそりと静かだ。

雪を見るとふわっと力が抜けるような、

ほっとニュートラルな気持になるのはなぜだろう。

 

そんな寒い日にはあたたかいものが食べたくなる。

昨夜、黒豆を水につけて戻しておいたので、

火を入れてお汁粉にしよう。

お餅は食べごたえのある玄米餅で、

甘味は身体を温める作用のあるてん菜糖でつくろう。

 

人間と同じように、

今日は鳥たちも寒さに堪えているようで、

いつもより頻繁にベランダにやってきては、

パン切れを食べている。

常連のスズメ・ヒヨドリイソヒヨドリ・ハトたちは

我先にと競っているけれど、力関係がはっきりしているようで、

そうでもないようなところが面白い。

たとえば1対1だとハトが大きさでものをいうけれど、

スズメが集団になると尻込みしたり、

ヒヨドリとはお互いを見合っているようなところがあったり。

みんなに恐れられているイソヒヨドリも、

死角なのか鈍感なのかハトがうっかり近寄ると踵を翻したり。

また個体差もあって、要領のいいスズメがいたり、

いつももたもたして食べ損ねるスズメがいたり、

そうかと思うと、口にひとつ咥えているのに、

もっと欲しいのか、もうひとつ咥えようとして、

咥えているものを落としてしまうスズメがいたりと、

なんだか人間をみているようで可笑しい。

 

節分と立春を過ぎて、

ずいぶんほかほかとした日があったけれど、

月の満ち欠けと連動している旧暦/太陽陰暦では

今日は1月5日のようだ。

 

暦によって時が微妙に変化して感じられるから、

いろいろなツールをもって現実を認識することは、

ひとつの豊かさにつながると思う。

 

たまにだからか、

ゆきがふって、うれしいな。

 

詩 ゆき
銀座ウエスト|ゆき|風の詩バックナンバー

 

 

皇居参観

成人の祝日のあたりに、

はじめて皇居の一般参観に参加した。

 

その日は寒くお天気も不安定だったけれど、

午前と午後に一回ずつ設けられている一般参観の、

参加した午後の回には、おそらく300人近くが集まっていた。

東京駅の西方、皇居の東側の桔梗門付近で

12:30から当日受付整理券が配布されるということで、

12:40頃に着いたときには97番だった。

それにしても外国人の多いこと多いこと、

近年は参観者の半数以上を占めるのだという。

13時から順に、身分証明書を提示しつつ入場する際には、

「マスクを外してお顔をみせてください」と

形式的だけれど運転免許証の写真と照応しているふう。

誘導されるままにぞろぞろと、

手荷物検査と参観申込書の記入を経て、

お休所の窓明館/そうめいかんに集められた。

土産屋もあって、菊の形の最中とかチョコレートとか、

菊の紋入りの財布とか椀などが、物珍しそうに並んでいた。

全員が入場手続きを済ませるのに40分はかかっただろう、

その間、社会科見学のようなVTRをみて待ちに待つ。

 

ようやく13:45からスタートした参観は、

ガイド氏の誘導のもと、

英語のグループを先頭に、中国語のグループが続き、

最後に日本語のグループという順で、

約2.2㎞、70分程のコースを辿った。

ちょうど小雨が降りだしたので、

折りたたみ式の傘で冷たい雨粒をしのぎつつ、

白い息を吐きながら、いくぶん高低差のある皇居内を散策する。

 

参観できるのは南側のごく限られた一部で、

宮内庁のあたりと、7つの棟からなる宮殿の東庭/とうていと、

二重橋として知られる正門鉄橋/せいもんてつばしと、

遠目に仰ぎみる富士見櫓や伏見櫓に、

乾通り沿いの石垣の下にひろがる蓮池壕などだった。

 

見応えがあったのは、

熊本の加藤清正公の指揮で築かれた富士見櫓の石垣で、

主に伊豆の自然石を積み上げた野面積み/のずらづみという、

武骨なのだけれど堅牢といわれる石垣が、雨に濡れて美しかった。

 

また「宮殿」のイントネーションについての挿話も印象に残った。

マスコミをはじめ一般に聞かれることが多いのは

「きゅう⤴でん」と「う」が上がるけれど、

宮内庁では、たとえば「旧」の字と同じ具合に

「きゅう⤵でん」と「う」が下がるイントネーションなのだという。

ささいなことだけれど、その内向きの頑なさに、

宮内庁の矜持が見え隠れするようでなんだか面白い。

 

その宮殿の南庭/なんていに

小さなお山のような二つの大刈込/おおかりこみがあって、

数十種類の植物が組み合わさり混然一体、

6mほどの高さの半球に整えられていて、目をひいた。

ほかにも有田焼のクリーム色の灯篭をはじめ、

力と技の見せ所が随所に用意されているのだろう。

 

両陛下のお住まいは、西側の半蔵門の付近だそうで、

まさに都心のブラックホールだけれど、

江戸城本丸のあった東御苑は1968/S43年に公開され、

いつでも自由に無料で散策できるところが平和でいい。

 

新年1月2日と天皇誕生日には

宮殿の長和殿のバルコニーに両陛下がお出ましになり、

東庭にて誰でも一般参賀できるそうだけれど、

自国のことながらつくづく不思議な象徴天皇制と思う。

そして日本固有の元号も5月に新しくなるのだった。 

 

参観を終えて再び桔梗門をまたいだ頃には、

雨も上がり、まぶしいくらいの西陽に照らされて、

皇居前広場に敷きつめられた白い小石がきらきらと光っていた。

 

私は日本に生まれ育ち、日本に住んでいるけれど、

たとえどこの国や地域に住んでいようと、

日々をツーリストの気持ちで過ごせたら理想的だ。

この世は仮住まい、と世界の古典にあるとおり、

その開かれた透明な目で、新鮮な気持ちで、

いつも世界に接していたい。

卒業試験公開演奏会

お正月の三が日が明けてすぐ、

上野の音楽学校の奏楽堂で行われた

卒業試験公開演奏会を聴いた。

 

12月から冬休みをはさんで1月いっぱい行われている

音楽学部の卒業試験公開演奏会は、

年明けすぐの2日間に、声楽科55名の

卒業試験を兼ねた演奏会が行われ、

その第1日目にあたる28名の舞台を聴いた。

 

あたたかくおだやかな日がつづいているなか、

会場には100名程だろうか、

ご家族や友人をはじめ多くの方が聴きにきていた。

それぞれ10分前後のステージは、

様々な個性が輝る、堂々とした立派なものだった。

プログラムは、歌曲とアリアの組合せが多く、

その選曲には人柄がにじみでているようでたのしい。

熱心に勉強して自分をよく知っているのか、

みな自分に合った曲を選んでいると感じた。

一言では語りえないけれども、

陽気な人、華のある人、艶やかな人、端正な人、

パワフルな人、麗しい人、儚げな人、スマートな人、

スタイリッシュな人・・・など、というふうに印象された。

なかにはずいぶんな難曲にチャレンジする人もいて、

大学4年生で歌えるのかとびっくり感心するばかり。

 

ふつうの演奏会といささか趣が異なるのは、

演奏者/生徒が舞台に登場するとたちまち

「学業の修了おめでとう」というニュアンスの

あたたかい拍手に包まれることだった。

ほっこりした雰囲気も束の間、

試験特有のきりりとした緊張感のなかで、

いつもどおりに演奏できるのは力のいることだ。

そのうえで本番という特別な場の力を借りて、

いつも以上のことができた人もいたかもしれない。

 

たとえば会場からうなり声が聴こえてくるような、

心に響くすばらしい歌唱に、思わず拍手も熱くなる。

「あれ、この曲こんなに素敵な曲だったかな」というように、

知っている曲の、知らなかった美点を、

初めて知ることがあるから、とても不思議。

それが歌い手に委ねられている創造性や芸術性なのかもしれない。

同じように、伴奏の技術も奥深いものだ。

 

朝10時から夕方16時近くまで、

幾度かの休憩をはさみながらの、

聴きごたえのある公開試験。

 

人が歌を奏でることのすばらしさに感じ入る

新年1月だった。

音楽の冬期講習会

クリスマスの時期に4日間、

音楽学校の冬期講習会を受講した。

 

講義は連日9~12時の3時間に行われ、

大学受験をひかえる高校生たちをメインに、

数人の社会人がまじった25名前後で、

ソルフェージュと楽典を勉強した。

声楽を勉強していくなかで

必要を感じたので受講したのだが、

いずれも楽譜から音楽を紡ぎだすのに、

欠かせない基礎的な音学力だ。

 

ソルフェージュは実力によって教室がわかれ、

初級のクラスで勉強したのだが、

それでもついていくのがやっとだった。

聴音を主に、視唱はほんのすこしだったが、

なんといっても聴音がたいへんだった。

ソルフェージュの聴音とは、

ピアノで弾いた旋律を聴いて五線紙に音符を書きとることをいう。

子どものころからピアノに接している人には、

鍵盤をたたいた音が、ドーとかファーとかラーとか、

音名として聴こえるらしいのだけれど、

こちらにはただ様子の異なるボーン・ボーンという音にしか

聴こえてこないから、ほんとうに困った。

聴音のコツは、拍節を数えてまず小節はじめの音を記すこと

と教わったので、拍節を数えるのだけれど、

おおよそ聴こえてくる音の音程がわからないから、

何も書くことができない。

たまに「あ、いまのはド・ミ・ソ・シ!」とわかっても、

4分音符や8分音符にタイや付点やシンコペーションがつくと

まごまごしてしまって、いっこうにはかどらない。

そのうち臨時記号の♯・♭・♮がでてきたり、

基本のハ長調/C-durから平行調イ短調/a-mollになっただけで、

もうたいへん、先が思いやられるようだった。

なんでもそうだろうけれど、できる人からみたら

どうしてできないのだろう、という世界にちがいないが、

それでも少しずつわかるようになっていくのは楽しかった。

 

楽典は、音楽の基本的な理論や作法で、

覚えることがたくさんあったけれど、

どうしてそうなのかという構造がよくわかっていないから、

覚えたこともいまいち心もとない。

小学4年生の頃だったか、学校の勉強で、

10mmが1㎝とか、100㎝が1mとか、1000mが1kとか、

1000gが1kgとか、1000mlが1ℓだとか、

そういうことがどうしてもよくわからなかった。

「どうしてそうなの?」というところから、

「そういうふうに決まっている」と父に諭されても、

「誰がどうしてそう決めたの?」といって、

なかなか納得できず受け入れるのに時間がかかった。

今では何の疑問も感じないことだけれど、

楽典を勉強しているとなぜだかそのことを思い出す。

 

大人になってからはじめた勉強なので、

できなくてふつう、

ほかにできることがいっぱいある、

という図々しさが備わっていて、

幸いとも災いともいえるけれど、

勉強できることがうれしいし、ほんとうに楽しい。

真剣でありながら、

できない、ということを、

どこか楽しんでいるフシもあって、

いいのかよくないのか。

 

やりたいことができることに感謝する、

2019年のお正月だった。

とらや赤坂本店 | 内藤廣

先日、リニューアルした「とらや赤坂本店」へ行った。

ずいぶん長いこと建て替え工事中と思っていたら、

内藤廣氏の設計による新しい本店は、

すっきりとした佇まいのなかに、

木のあたたかみを感じさせる、

たおやかな空間に生まれ変わっていた。

 

地上3階・地下1階の4フロアからなる低層の建物は、

前面の大きなガラス窓が内と外を穏やかにつないで、

招き入れられるように中へはいると、

広々としたエントランスが凛と迎えてくれる。

ゆるやかな階段がB1Fと2Fへのびて、つぎのフロアには

どんな空間がひろがっているのだろう、とわくわくする。

壁や天井には吉野の檜や黒漆喰壁などが贅沢にとりいれられ、

きめ細やかで丁寧な職人技を感じさせる随所の設えは、

研ぎ澄まされているけれど尖っていなくて、

優しいけれど甘くない、匙加減が素敵だった。

リニューアルに丸3年かけているのも然りなのだろう、

内藤氏は松尾芭蕉の不易流行の思想を参照し、

「simple and elegant」を表現したという。

 

B1Fのギャラリーでは、

第1回企画展「とらやの羊羹デザイン展」が開催され、

大正7/1918年の菓子見本帳から450点程の図案を

パネルでみることができた。

羊羹の四角い断面図だけれど、

色味がやさしく、意匠が奥ゆかしく、

ひとつひとつの絵柄と由来を楽しく閲覧した。

虎屋さんの創業は室町時代後期の京都だから、

江戸の元禄8/1695年の見本帳も現存しているのだという。

古くは注文方法が異なっていて、限られたであろう顧客が、

見本帳をみて注文するスタイルだったそうだ。

現代でも特別感をもとめるラグジュアリー志向の人たちに

喜ばれそうな販売方法ともいえそうだ。

ほかに「羊羹づくりの道具や材料」「日本各地の名所にちなんだ羊羹」

などの展示も併設され、寒天をかきまぜる巨大な鍋やへらは、

実際に触ることができ、新鮮で楽しかった。

 

3Fの菓寮/かりょうは、

祝日ということもありとても混んでいて、

10組ほど、1時間近く待った。

天井が高く、ゆったりとしたつくりなので、

長居したくなる気持ちもよくわかるから、

待っている人たちものんびり構えているようにみえる。

席についた時にはすっかり日も暮れて、

窓越しに青山通りと赤坂御所の緑を眺めつつ、

本店の特製羊羹「千里の風」とコーヒーをいただいた。

虎の模様を模した羊羹は、見た目よりもやわらかい味で、

コーヒーが勝ってしまったのだけれど、どちらもとても美味しかった。

その日は小雨模様でクローズしていたが

テラス席はお天気の良い日には気持ちよさそうだ。

  

もしかすると

平成最後の天皇誕生日になるかもしれない祝日の23日に、

3年ぶりくらいに会った友人たちと共有したとらやさんでの時間は、

きっとすべてがひとつの絵巻物のように記憶されるのだろう。

とても楽しいひとときだった。

 

富士山のふもとの御殿場にも

同建築家が手がけた工房と菓寮があるようなので、

いつか行けることを楽しみに。

冬とティートリー

今年は秋から冬のはじめにかけて

ずいぶんあたたい日がつづいている。

 

ときおり思い出したように

寒々とした冬空が訪れることがあっても、

またすぐに過ごしやすい日和につつまれて、

コートの出番はもうすこし後になりそうだ。

 

だからめずらしく

木枯らしも吹くタイミングを逃したようで、

やっと12月も数日過ぎたころに

春一番のような生あたたかい強風が吹いて、

一応といったふうに枯葉を舞わせていた。

温度と映像がちぐはぐで、

めまいのメカニズムが作動しそうだ。

 

家のベランダの啓翁桜/けいおうざくらも

いつもなら紅葉している頃だけれど、

夏の猛暑と水不足で葉を落としたこともあってか、

10月下旬に狂い咲きの花がふたつ咲いたり、

紅葉を忘れたりと、ちょっと混乱しているようだ。

 

そんななか、規則正しくやってきたのは空気の乾燥で、

そろそろ皮膚や呼吸器のケアに気を配りたい。

私の場合、2015年に慢性上咽頭炎を経験したので、

とくに喉鼻の乾燥には注意している。

 

咽頭炎/じょういんとうえんは、

空気の汚染・乾燥・冷気などをはじめとした様々な要因から、

咽頭/喉と鼻が交わる辺りに炎症が起こる

はやりの慢性疾患のひとつということだった。

ひりひりとした強い乾燥感に悩まされて

1年近く続いた耳鼻咽喉科通いだったけれど、

治療は炎症箇所に塩化亜鉛溶液を塗布するという原始的な対処療法しかなく、

不快で痛みも強いので、ほんとうに辛かった。

発症すると完治することはないといわれたけれど、

その後はマスク・耳栓・鼻うがい・吸入器・ミントオイルなどで、

幸い小康状態を保っているので、ほんとうによかった。

 

また慢性でなくとも、

風邪などから誰でも急性/一過性の咽頭炎になったことはあるだろう。

そろそろインフルエンザの季節でもあるので、

うがいと手洗いはきちんとしたい。

 

うがいにはティートリーの精油が効果的だと

最近教えてもらった。

ミネラルウォーターに塩/10%と

ティートリー/2~3滴を混ぜてうがいしてみると、実に強力だった。

ティートリーは主にオーストラリア原産のフトモモ科の常緑植物で、

その精油には抗ウィルス・細菌・真菌などの作用があるという。

そういえば以前、歯茎にちょっとした炎症がおこったときに

歯科医から「ティートリーを綿棒にしみこませて

ちょいちょいと炎症箇所につけておくとよい」

と聞いたことを思い出した。

 

今年は1月にインフルエンザB型でダウンしたので、

今季はパワフルな精油に守られて、

どうか元気で過ごせますように。

詩集「藍の月」

詩集「藍の月」をつくりました。

 

 

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A5判、68頁。

詩22篇を挿画ととも収録。

2018年11月22日発行。

 

詩集を通して

ご縁のある方と出逢えますように。

 

下記よりご注文いただけます。

よろしくお願いいたします。

 

季節書房HP

https://kisetu-shobou.jimdofree.com

☆リンクしづらい場合は、ブラウザでURL検索してみてください。

 

バラの花 またひとつ

ベランダの鉢植えの

バラの花がまたひとつ咲いた。

 

今年4月に挿し木した幼いバラの樹に

花が咲いてびっくりしたのは秋分の9月23日頃だった。

そのひとつめの花は1週間ほど元気に咲いていたが、

9月30日から翌10日1日にかけての夜中に通過した

ものすごく大きな台風に、ひとっとびにさらわれてしまった。

台風24号はまれにみる大きな台風で、翌朝は街中が

ひきちぎられた樹の枝や葉っぱなどで、雑然としていて、

おちおち車も通行できないような吹き溜まりもあった。

バラの花びらはどこへ運ばれたのだろう、

あっけないような、いっそきもちがいいような。

 

そのことが悔しかったのか、その後、

枝をぐんぐん上に伸ばして、葉をもっと大きく広げて、

秋の変わりやすいお天気にもめげず、樹丈も50㎝ほどに成長し、

ふたたび新しいつぼみをつけたのは、10月28日頃だった。

えっ、また花が咲くの?と驚きつつ、

バラという植物の気丈さを感じたのだった。

すこしずつ、ふくふくふくとつぼみがふくらみ、

5枚のガクが星のようにひろがって、ようやくここ数日で、

深紅色の花輪がふんわりとほころびはじめた。

秋の深まりのためか、ずいぶん時間がかかったけれど、

ひとつめの花よりもずっと大きく、また形も進化して、

花屋さんに並んでいてもおかしくないような

立派な八重の花になった。ちょうど昨年の今頃、

切り花だったときとおなじような美しさで咲いている。

 

とっくに立冬を越したのに、もう11月下旬も近いのに、

そういうことはあまり関係ないのか、

咲きたいときに咲きたいように咲いていて、

なんだかいい。

 

自由って、自分自身に忠実であること。

わたしの中の自由の種の、その声に、

静かに耳をすませたい、秋のおわり。

 

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詩 かぼちゃ

トリック・オア・トリート!

いたずら・か・お菓子!

 

かぼちゃの

ランタンに照らされて

 

呪文をとなえる

ハロウィンの魔法の夜

 

ニャーニャオと

かわいらしい2匹の猫が

電車にのってきた

 

三角の耳に

ふさふさした体毛と

しっぽのついた

 

グレーの猫は

 

こどもでも

おとなでもない

メスとオス

 

どこか

新天地に降り立つ

旅人のように

 

あたらしくて

あどけない

 

いっぽう

かぼちゃの馬車の通勤電車に

ゆらゆら揺られて家路をたどる

 

おとなたちはみな

おなじみどおりで 

 

だれひとり 

2匹のグレーの猫に

気づかないようだった

 

まるでみえないのか

みえないふりをしているのか

 

魔法にかかってしまったのか

魔法にかからないのか

 

ふんわり楽し気なグレーの猫たちと

いささかグレーにしずみがちな

通勤馬車とのコントラストに

 

くるくるくるくる

 

おとぎの国に迷いこんだ

アリスの気分

 

かっちりと

スーツに身を包む

おとなたちの

 

さまざまな

装いを身に纏う

わたしたちの

 

だれが仮装で

だれが仮装でないと

いえるだろう

 

すべてが曖昧に

奇妙にみえるのは

 

トリック・オア・トリート!

 

ゆらめく

かぼちゃのランタンの

 

いたずらな

夜のせいかな

かぼす 2018

今年もかぼすの季節がやってきた。

 

猛暑や台風などの変りやすいお天気にもめげず、

むしろ寒暖の差のはげしさも手伝って、

今年はたとえばぶどうの実りがよいときいたけれど、

9月のおわりに届いた大分のかぼすも、

いつになく元気いっぱいだった。

 

夏はあんなに暑かったのに、

台風がきて急に寒くなったり、

また突然暑くなったりしたのに、

あなたへっちゃらだったのね、すごいわね、

といいながらレモネードならぬ

カボスネードをつくって飲んでみる。

すっぱあまい、しぼりたてはほんとうにおいしい。

 

いつものように

パスタやうどんにかけたり、

はちみつ漬けをつくったり、

種でローションをつくったり、

皮をお風呂にいれたり。

 

今年ははじめて寒天ゼリーをつくってみた。

粉寒天4gを水400ccにしばらくなじませて、

中~弱火で3分程ようく煮とかし、

火からおろしたらはちみつ約80gを加えて、

粗熱がさめたらかぼす大3個くらいの果汁100ccと混ぜ合わせて、

冷めたら出来上がりだ。

 

簡単で美味しかったのだけれど、

うっかり水の分量をまちがえて

カチンコチンになってしまったり、

甜菜糖でつくって

鮮やかなイエローが茶色になってしまったり。

 

そういえば、

なにか落としたり零したり忘れたりと、

なんだかぼっーとしている数日だけれど、 

秋の深まりつつある一日一日を、

ゆっくりとした気持ちで過ごしたい10月だ。


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声楽公開レッスン ウィリアム・マッテウッツィ

先日、国立音楽大学・講堂小ホールで

声楽の公開レッスンを聴講した。

 

講師はイタリアから招聘された

William matteuzzi/ウィリアム・マッテウッツィ教授で、

2015年以来、毎年来日し講義されているそうなので、

今年で4年目・4回目になるのだろうか。

イタリア北部・ボローニャ出身のテノールで、

とくにロッシーニの歌い手として名高いそうだが、

バロックから近代までレパートリーは幅広く、

またフランス音楽にも造詣が深く、

hight F をファルセットではなく実声で歌える、

驚異的な高音域をもっていらっしゃるとのこと。

 

今回のマスタークラスでは4人のレッスンが公開され、

すべてのステージが充実し見応えがあった。

昨年以前にも何度かみていただいている受講生もいて、

そういう場合、声も気心も多少知れているというふうで、

よりパーソナルで具体的なレッスンへと進展したことも、

興味深かった。

 

ソプラノ2名、メッゾ・ソプラノ1名、テノール1名の

各40~50分前後のレッスンは、

イタリア風の?「あなたのいいところは〇〇」からはじまって、

曲の構造や演奏記号を確認しつつ、

具体的な課題にフォーカスしてゆくという流れだった。

公開レッスンというデリケートな環境にある

受講生をリラックスさせ、聴講生たちもふくめて、

指導をよりよく受容できるような雰囲気に満ちていた。

 

各レッスンに共通する発声のトピックスは明瞭だった。

 発声の3本柱として、

・一定の息を送りつづけること。

・マスケラに集めた響きをつくること。

・軟口蓋をあげて喉頭をさげて、共鳴空間をつくること。

をあげていた。

 

また度々「molto molto molto 」と、

時には片言の日本語で「もっと もっと もっと」といって、

軟口蓋をあげてその上を音が通過するように、

ハミングの響くところ・マスケラをつかって、

頭部から音響がでてゆくように、

子音 r や d がはっきりと聞きとれるように、

などがくりかえされた。

 

よくいわれるアッポッジョ/支えについては、

意識しすぎて必要以上に力んだり踏んばったりすると、

つられて胸部も緊張して硬くなり、

息が通らなくなって、音がとじこもってしまうから、

支えが必要と思ったら、とにかく息を送ること。

というアプローチ法は明快だった。

 

換声点/パッサージョあたりの音域で不安定になったり、

母音 a や e が、ひらきすぎたりおおきすぎたりして、

ピッチが落ちてしまいがちな問題についても、

実際に歌って音の違いを明確にしていただき、わかりやすかった。

音を聴きわける耳があって成立するのだと感じた。

 

所々で表現を変えながら伝えられた問題の解決法は

かけがえのないもので、たとえばよく知っているものでも、

とても新鮮に、新しいことのように聴こえたから不思議だ。

高音は力をつかってださずに、響きを一点に集める。

息がまわらないと思ったらトリルをすると楽になる。

頭に r をつけてみると余計な力が抜けて息がとおりやすくなる。

ni・mi で響きの場所を確かめてから歌詞でうたう。 

などなど。

 

3時間半にわたるレッスンは

ほんとうにあっというまだった。 

 

「発声の説明は十分で済むが、身につけるには十年かかる」

というルネ・フレミングの言葉を思い出しながら、帰路につく。

とにかく楽しくて。

また来年も聴講したい。

 

 

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バラの花

4月に挿し木したばかりの

バラの樹に、一輪の花が咲いた。

 

まだ背丈も30㎝にならないくらいの

子どもの樹だと思っていたので、

つぼみができて、ふくらんで、

日々すこしずつひらいていく様子に、

ほんとうにびっくりした。

 

昨年11月に切り花でいただいた時と同じく、

花は華やかな深紅色だ。

ベランダの鉢植えたちの緑色のグラデーションのなかで、

紅一点、よく映えている。

ところがその形、切り花のときは手毬のようにまあるい

ボリュームのある八重の花だったのだけれど、

心機一転あらめて咲いたのは、

8枚の花びらが一重にひろがる、お星さまような形。

肥料をあげていないせいなのか、

本来はそういう形だったのか、

野生にかえって、人の意向を気にしないで、

すきに咲いているというふうで清らか。

 

もしバラが言葉を話せたら、なんていうだろう。

「切られて、運ばれて、植えられて、

 どうなることかと思ったけど、

 今のこの場所なかなか気に入ってるんだ。

 生きてるって、すごく楽しいね!」かな。

 

今日はちょうど秋分の節日だ。

バラの種名がわからないので、 たとえば

「Autumnal Equinox Rose/秋分のバラ」

と名付けてみよう。

気に入ってくれるかな。

 


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ルネ・フレミング インナー・ヴォイス

アメリカのオペラ歌手

ルネ・フレミ ング/Renée Flemingの自伝

「THE INNER VOICE : The Making of a Singer

/魂の声 プリマドンナができるまで」を再読した。

 

冒頭でも語られているように本書は

人生の自伝というよりも声の自伝、

「私がいかにして自分の声を発見したか、

 いかにして声を磨きあげたか、そして、

 それがいかに私自身をも磨くことになったか

 という物語である。」という本。

 

度々、部分的に何度も読み返している本だけれど、

ひさしぶりに全編を通して読んでみて、

その内容の豊かさと素晴らしさに、改めて感動した。

本文の執筆が本人によるものか

ライターさんによるものかはわからないけれど、

音楽のようになめらかな文体は読み心地よく、

翻訳の中村ひろ子氏の巧みさにも助けられていると感じた。

 

ルネ・フレミング/1959.2.14-は

アメリカ北東部のペンシルヴァニア州の生まれで、

隣のニューヨーク州ロチェスターで、

ローカルな音楽家声楽家だったという両親のもと

音楽にかこまれた環境で育った。

曽祖母プラハから渡ってきたというから

ヨーロッパの血がすこしはいっているようで、

その娘で祖母にあたる先代も音楽を嗜んでいたそうだから、

クラシックの声楽家を志すようになったのは、

ごく自然な成り行きだったことが伝わってくる。

地元のニューヨーク州立大学・クレイン音楽院に入学し、

イーストマン音楽学校・大学院を経て、

ジュリアード音楽院・博士課程の2年目に、

フルブライト奨学金を得てドイツに留学。

帰国および卒業後はしばらく下積みの時代が続き、

オーディションにチャレンジし続けて、

1988年29歳の時に待望の転機が訪れる。

メト・ナショナル・カウンシルをはじめとした

オーディションやコンクールなどに合格し、

マネージャーを得て、ヒューストン・グランド・オペラの

モーツァルトフィガロの結婚」の伯爵夫人役で、大成功。

時を同じくして結婚、娘をふたり産み育てながら、

世界中のあちこちのオペラハウスに出演し続ける、

順風満帆で目の回るような数年が続いたという。

その後、子どもたちの成長にあわせて、

あちこちを飛び回る多忙なオペラの仕事をセーブし、

リサイタルやコンサートとのバランスを図りつつある頃、

10年ほど連れ添ったパートナーとの離婚をきっかけに、

精神的な危機を体験。

思わぬ長いトンネルをくぐり抜けて、自分を見つめ直し、

自信を取り戻してゆくその過程は、とても人間的だ。

一方で、天性のバイタリティやスタミナによって磨かれた歌声は、

なんとも超人的という印象で、びっくりするばかり。

師事したビヴァリー・ジョンソンは

「鋼鉄の芯をもつ聖なる大地の母」と形容し、

アシスタントたちは「ビロードの鞭」や

「ハリケーン」というそうだから、わかりやすい。

声種は典型的なリリック・ソプラノといわれ、

レパートリーはヘンデルから現代曲初演まで幅広く、

得意とするのは「フィガロの結婚」の伯爵夫人、

ドヴォルザーク「ルサルカ」や

マスネ「マノン」のタイトルロール、

R・シュトラウスばらの騎士」のマルシャリン、

同じく「カプリッチョ」の伯爵夫人などだろうか。

3種類の声が必要といわれる

ヴェルディラ・トラヴィアータ」のヴィオレッタも。

学生の頃にジャズを歌ったり、

映画のサウンド・トラックに参加したり、

最近ではビョークのポピュラーソングをアレンジして

アルバムに収めたり、歌唱や流儀が柔軟なところもユニークだ。

 

本書のオリジナルは2004年に、

翻訳は2006年に春秋社から出版され、 

一説には日本のある音楽大学

声楽科の教材になっているという。 

所どころで触れられる

発声の秘訣はほんとうに興味深いし、

オペラでの経験談や解釈は、とても面白い。

またひとりの女性として、

とくに母親としての在り方には、深い感動を覚えた。

 

本書を初めて読んだのは、

声楽を習い始めてすこし経った2014年頃で、

名前はきいたことがあるけれど、

歌声をきいたことはあったかな、という程度だった。

友人にすすめられて、

図書館で借りて読み始めるとすぐに夢中になり、

たちまち彼女が大好きになった。

宝物を手にするようなときめきを本に感じたのだ。

ある歌手との出会いが、

歌声/OUTER VOICEよりも先に、

書籍/INNER VOICEであったことが、

適当だったかどうかわからないけれど、

私にとってはよかったといえそうだ。

たとえば先に歌声を聴いていたら、

好きになっていたかどうか、

本を読むことになったかどうかわからないから、

人の心の仕組みは不思議だと思う。

 

 「音楽は、傷つきやすかった若き日の私に、

 言葉にできない感情を表現する術としての声を与えてくれた。

 そして今の私には、人びとに語りかける比類なく神秘的な

 力をもった声を与えてくれた。」

 

おそらく4度目の来日公演となった

2017年3月、東京国際フォーラムでの

プラシド・ドミンゴとのコンサートでは、

豆粒大の彼女のステージに接することができた。

あんまり熱心に双眼鏡をのぞいたので、

きもちがわるくなってしまったくらいだ。

とくにヴェルディシモン・ボッカネグラ」の

アメリアとシモンとの二重唱が聴けてうれしかった。 

アンコール・ステージの際には、

ドミンゴ喝采にくらべると、隣席のご婦人が

「あら、またあの女の人も歌うの?」といっていたように、

日本での人気は海外ほどではないらしい。

 

いつかまた、

できればリサイタルを聴くことができたら、

とてもうれしい。

あつい夏

2018年の夏はほんとうに暑かった。

ときどき台風が通り過ぎて

つかの間の涼しさにほっとすることもあったけれど、

またすぐに太陽がギラギラと、

そのうちにメラメラと、

降りそそぐ熱量がすさまじかった。

 

小学校の中学年頃だったか、

夏休みの宿題のひとつに絵日記があった。

クラスメイトのある男の子のそれは、

7月27日「今日もあつかった」

8月11日「今日もあつかった」

8月23日「今日もあつかった」という調子で、

その日の出来事を象徴する絵に添えられた言葉は

ほとんど「今日もあつかった」だった。

当時はなんだかちょっと可笑しいような、

いい加減に済ませたように感じたのだけれど、

あるいはそうでもなかったのかもしれない。

まさに今年の夏は、

ほんとうに毎日「今日もあつかった」。

 

人間もたいへんだったけれど、

植物もさぞたいへんだったと思う。

私たちは必要に応じて、水を飲んだり、

日陰にはいったり、エアコンを使うことができる。

植物は人の羨むような光合成という天性をもつ一方で、

自分の意志で水を得たり、場所を移動することはできない。

その場所で、どのような環境でも生きようとするだけだ。

街路樹はおおかたくったりしているし、

我が家のベランダの植物たちも、

鉢の中でじっと日照りをやり過ごしている。

かなり堪えている様子なので、

できるときは朝と昼と夕と夜に、給水する。

例年の夏は朝と夕だけで問題なかったのだから、

今年の夏のあつさは特別なのだろう。

 

そのような猛暑のつづくなか、

先日4日間、家を空けることがあった。

やむを得ぬこととはいえ、

ベランダの植物たちが気がかりで、

滞在先では東京都江東区に雨が降るように祈った。

雨乞いは天に通じただろうか、

そうこうして帰宅してみると、

やはり植物たちはみな瀕死の状態だった。

彼らの悲鳴がきこえるようで、

大急ぎで給水し、給水し、給水して、

12鉢のうちのほとんどは、

翌日および翌々日にはなんとか一命をとりとめた。

ダメージがのこったものもあったが、

なんとか気を取りなおしてくれたようで、ほっとした。

けれども、水がだいすきな北海道産のミントと、

春に花咲く山形県産の啓翁桜/けいおうざくらは、

致命傷だったのか、どんどん衰弱してゆくばかり。

桜の葉はずいぶん枯れ落ちてしまい、

枝先からのぞく新芽も、やせて元気がない。

なんとか持ちなおしてくれますように。

ミントはほとんどすべて干からびてしまい、

一週間後にはもはやこれまでと諦めかけた。

とすると、まるで錯覚でもみるように、

枯れ果てた茶褐色の枝葉の奥底から、

ほんのちいさな緑がぽつと頭をのぞかせたのだ。

はじめは半信半疑だったけれど、

数日を経てはっきりとした若葉がぽつぽつと、

地面近くから芽吹きだしたので、

まるでキリストの復活の奇跡をみているように歓喜した。

ほんとうによかった。

 

また、数日の干ばつにもめげず、

すこぶる元気だったのは、

4月に挿し木をしたばかりのバラの幼樹だった。

なるほどアフリカでも栽培されているというだけあって、

暑さと乾燥には強いらしい。

新葉をぐんぐん伸ばして、ちいさな棘もピンピンと、

むしろ絶好調といったふう。

 

暦のうえでは初秋といえど、

あつさはもうしばらく続きそうなので、 

すこしでもバラの気持ちで、

元気に9月を迎えたい。

40年

今年2018年の8月で40歳になる。

はじめて到達する年代に、今まで感じたことのない、

ほどよい重みを感じている。

 

たとえば、木の年輪やバウムクーヘンの重なりを

ひとつずつ数えてみる。

1.2.3.4.5・・・10・・・20・・・30・・・と、

30くらいまでは気軽なのだけれど、

40まで数えてみると、それなりに数え応えがあって、

また見応えのある年輪、という感じがするのは

気のせいだろうか。

 

すこし前の世代の人たちは

年齢を数え年で数えるのが一般的だったときく。

新年を迎えると同時に齢をひとつ重ねるなんて、

ずいぶんせっかちで紛らわしいなと感じたものだけれど、

今年40歳をむかえる身になって、はじめて

数え年で数えたい気持ちになったのだから、不思議だ。

なるほど確かにせっかちだし、

当事者でなければ取るに足らないことなのだけれど、

新年を迎えたばかりの元旦に、

「今年で40年生きたのか、よくがんばりました」

という達成感にも似たどっしりとした感慨が

自然と湧き上がったのは、新鮮な体験だった。

 

学生の頃の夏休み、

群馬の祖父母の家に滞在しているときに、

祖母の古くからの友人というおばあさんがふたり、

ふらりとやってきたことがあった。

久しぶりの再会なのかそうでもないのか、

土地柄を感じさせる独特のイントネーションとともに、

そのとき交わされた会話のユニークさを

今でもよく覚えている。

わたしはおせんべいをかじりながら

耳を傾けていたのだけれど、

お茶を飲みながらの和やかな談話は、

いつのまにか年齢のことに及んで、

同年齢らしきおばあさんたちは其々、

「あなたの誕生日はいつだったかしら」「5月よ」

「わたしは3月生まれだから、あなたより2か月も年上よ」

「あら、あなた2か月もお姉さんなの、あなたは何日生まれ?」

「わたしは〇月◇日生まれだから、何処どこの◇〇さんより

10日もお姉さんなのよ」などと、

ほんのすこしでも年長者であることが一大事であるかのように

感嘆し合っていたのだ。

より多く生きることは誇らしいこと

という人生観を垣間見るとともに、

そのときの屈託のない天衣無縫なお姿からはかえって、

おばあさんたちが生きてきた時代の厳しさが偲ばれるようだった。

子どもの死亡率は現在とは比較にならないほど高く、

細菌・ウィルスなどによる疫病や不治の病は身近で、

大きな戦争も経験してきた世代の方々。

生きることの切実さはいつの時代も変わらないだろうけれど、

その様相や生存条件はおおきく異なるのだろう。

なんだか「あなた40歳なの、まだほんの子供なのね」

といわれそうで、うれしいような頼もしいような。

 

中国の思想家・孔子の語るところを

弟子たちが記した「論語」の名文句を思い出す。

「吾15にして学に志す。30にして立つ。40にして惑はず。

 50にして天命を知る。60にして耳順ふ。

 70にして心の欲する所に従ひて矩/のりを踰/こえず。」

人によって歩みの緩急はあるにしても、奥深い人生談だ。

 

新しいフェーズにはいった私の人生が、

より充実したものになりますように。