20世紀ドイツ文学の大家トーマス・マンの
初期短編小説「トニオ・クレエゲル」を読んだ。
1903年に出版された「TONIO KRÖGER」は、
1901年発表の処女長編「ブッデンブローク家の人々」で
成功を収めた直後、27歳頃に書かれた作品で、
自伝的要素の色濃い、少年時代への追想と邂逅の物語だ。
現在は幾つかの日本語訳で作品を楽しむことができるが、
1927年/S2に出版されて以来、名訳として語り継がれている
実吉捷郎/さねよしはやおによる岩波文庫版を選んだ。
裕福な穀物商家に生まれた作家の自画像ともいえる
トニオ・クレエゲルの主題による第1楽章では、
故郷である北ドイツの港町リューベックでの過ぎし日々が
象徴的なふたりの人物とともに描写される。
ひとりは14歳の頃に愛した学友ハンス・ハンゼンで、
並外れて美しく明朗な友人に対する憧憬や愛とともに、
およそ対極的で風変わりな自己への認識が深めらる。
もうひとりは16歳のころに恋した
快活な金髪の娘インゲボルグ・ホルムで、
舞踏の講習会では彼女に見惚れるあまりに
とんだ失態をさらし道化のごとく笑いものになった。
時は流れ、青年は独自の流儀で大人になる。
芸術家としての自己に目覚め、故郷を離れ、
精神と言語の力に天職を見いだし、作家として成功する。
つづく第2楽章は、春の南ドイツ・ミュンヘンを舞台に、
30歳すぎの作家と女友達の画家リザベタ・イワノヴナとの
芸術談義が、なかば独白めいて饒舌に交わされる。
つづいて秋の第3楽章では、
北方デンマークへの旅の途中で13年振りに故郷に立ち寄る。
民衆図書館として再利用されている生家を訪れ、
警察に手配されている詐欺師と疑われる奇妙な体験をし、
複雑な余韻とともにバルチック海をデンマークへと渡る。
数日コペンハーゲンを観光し、さらに北へ30㎞ほど移動して
ヘルシンゲアのハムレット王子ゆかりの古城クロンボ―近郊の
海岸のホテルに落着く。
最終の第4楽章では、シーズンを過ぎたホテルでの
穏やかな数日ののちに数奇な出来事に遭遇する。
街からバカンスにやってきた賑やかな大勢の一行のうちに、
かつて愛と憧憬の的であったハンスとインゲボルグが
手をたずさえて同行しているを発見したのだ。
すっかり動揺した彼は、
夜にひらかれた舞踏会を覗きにゆくのだけれど、
今回の道化役は彼ではなく、ダンスで転倒した少女で、
彼は少女を抱き起すナイトの役を演じることになったのだ。
けれども思い出のふたりとは視線も言葉も交せぬまま、
彼は自室に舞戻り、友達のリザベタに手紙を綴り、
告白めいた青春の物語は、円を描くように完結する。
女流画家リザベタとの間で交わされるのは、
芸術家としてのある種の優越や矜持にはじまり、
一方では病的なまでの異質性や欠落の表明、
創作においての逆説や、詐欺師性についての自覚、
健全な市民と宿命的な芸術家という対比における
芸術を必要としない凡庸で幸福な市民に対する
ひそかな激しい憧憬、いわゆる俗人愛についてなどだが、
物語は美しい手紙とともに静かに幕を閉じる。
「この愛を咎めないで下さい、リザベタさん。
それはよき、実りゆたかな愛です。
その中には憧憬があり憂鬱な羨望があり、
そしてごくわずかの軽侮と、それから溢れるばかりの
貞潔な浄福とがあるのです。」
トーマス・マンは後年/1939年5月10日
プリンストン大学の学生たちのために、
『「魔の山」入門』と題された自作についての講演を行い、
影響を受けたといわれる音楽家について語っている。
『ヴァーグナーの例にならってライトモティーフの利用を
物語の中に移しました。-略ー
音楽の象徴的な行き方という意味でヴァーグナーに従ったのです。
これを私は最初に「トニオ・クレエゲル」で試みました。』
作家が述べたように、ライトモチーフとして
ある一節が効果的に幾度も挿入されたり、
ロンド形式のごとく物語が高まってゆく様は、なるほど音楽的だ。
またわたしがトーマス・マンという作家に魅了されたのは、
その鮮烈な描写の筆致だった。
研ぎ澄まされた密度の高い文章は、
実吉捷郎氏の格調高い文体と相まって、
稀にみる幸福な読書体験を授けてくれた。
「最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ」
とはよく知られた一節だが、語られたその言葉の背後から、
語らざる作家の声が、かすかに聴こえるような気がした。
「最も多く愛する者は、常に敗者であり勝者でもあり、
常に悩まねばならぬゆえに幸福たりうるのだ」と。