佐賀町日記

林ひとみ

山陰の旅 鳥取編 

中国山地の北側に位置し

日本海に面して東西にひろがる山陰地方は、

古代にまでさかのぼる歴史をもち、

かつて出雲・石見・隠岐伯耆因幡と呼ばれた国々は

多くの神話の舞台となったことから、

神話の国とも謳われている。

 

島根から東へ、中海/なかうみという湖を越え、

鳥取県北西部の境港/さかいみなとを訪れた。

山陰特産のカニや魚介類が水揚げされる漁港で、

貿易港でも、客船の航路でもあるという大きな港だ。

かつては北前船/きたまえぶねが寄港し、

現在では隠岐の島をはじめとした国内船や、

韓国やロシアへの国際船も出入港するようで、

大型フェリーからイカ釣り漁船まで、

水産庁から海上保安庁まで、大小さまざまな船が停泊していた。

ときおり世界共通の言語である汽笛が鳴ったが、

Buoooーという深みのあるニュートラルなその音を聴くと、

懐かしいような気持ちになるのは、なぜだろう。

 

県中央部に位置する城下町・倉吉は、

かつて城が築かれたという打吹山/うつぶきやまのふもと、

玉川沿いの白壁土蔵/しらかべどぞうの街並みが、

伝統的建造物群保存地区として整備されていた。

白い漆喰壁に、黒い焼杉の腰板が張られ、

屋根に朱い石州瓦を葺いた土蔵や商家が、

江戸・明治期の面影を伝えていた。

ゆるやかなカーブをもつ一枚石の石橋が

小川をまたいで建物の裏口と通りをつないでいたが、

その実用的で何気のない石橋がとても美しかった。

陣屋町/行政の中心地でもあった倉吉には、

現在も市役所があり、建築は丹下健三氏によるそうだが、

昨年10月21日の鳥取県中部地震により、震度6弱を記録したという

市内のあちらこちらの民家の瓦屋根には、

いまだ青いブルーシートが張られたままで、

ぬきさしならぬ現在進行形の、リアルな街並みが印象深かった。

 

岡山との県境にほど近い

県南東部の智頭宿/ちづじゅくは、

江戸時代には宿場町として大そう栄えたという町で、

奈良時代以前に結ばれた兵庫県姫路へ通ずる因幡街道と、

岡山へ通ずる備前街道が交わる地で、杉の産地でもあるという。

同地で山林業や問屋業を営んでいた大庄屋・石谷家の住宅が

国指定重要文化財として公開されており、

部屋数約40に広大な土間・7棟の土蔵・茶室・庭園などを有する

武家屋敷風の大規模なその邸宅からは、

往時の繁栄が偲ばれ、見応えがあった。

 

県北東部にひろがる鳥取砂丘では、

雨と雪との入り混じる、すさまじい強風に、

砂が舞い、目を開けているのがやっとだった。

黄土色の砂の上に、およそ同系色の駱駝/らくだが3頭、

目も脚もたたんで休息していた。

はじめて見るラクダは、なんてユニークなのだろう、

背中に同じくらいの大きさのこぶがふたつ、

犬のようにWoonと吠えたのでびっくりした。

年々縮小しているという東西16㎞・南北2㎞の海岸砂丘は、

雨雪を吸収して、常に内部に水分を保っているそうで、

出現したコバルトブルーのオアシスが、ひときわ神秘的だった。

 

湯治湯として名高い三朝/みささ温泉は、

荒涼とした三徳川/三朝川の周辺に宿や病院が集まり、

大学施設とも連携しているという、珍しいラジウム温泉だ。

白い狼を助けたお礼に神託を得たという伝説の起源をもち、

1164年/長慶2年以来、

楠の木の根元から湧出し続けているという株湯/かぶゆは、

口に含むとわずかに湯の花の味がした。

41~42℃の源泉は、無色透明・ほぼ無臭で、なめらかだ。

放射能ラジウムが崩壊したときに生じる

微量の放射線ラドンガスを体内に吸収すると、

心身が活性化され免疫力が高まるということで、

入浴・飲泉はもちろんだが、より効能を求めるならば、

肺から蒸気を取り入れるのが最も効果的ということだった。

かつて三朝温泉病院は傷痍軍人の療養所として

設立されたという歴史をもつことからも、

傷ついた多くの人を癒し続ける、

懐の深い名湯であり温泉街なのだろう。

再び、ゆっくりと訪れたい霊泉だ。

 

深緑色の小山のもこもことした山並みや、

朱や黒色の石州瓦屋根の家並みが印象的な、 

奥の深い、どこか気品の漂う山陰だった。

山陰の旅 島根編

冬の名残と春の陽気が交差する3月の上旬に

山陰の島根・鳥取へ小旅行をした。

 

島根の出雲大社足立美術館・松江・美保神社

鳥取の境港・倉吉・智頭宿・砂丘を巡り、

玉造と三朝の温泉に宿泊するという

駆け足のバス旅行だったが、

はじめて訪れた山陰地方は、

寒気の影響から薄灰色の雨雲に覆われて、

ひっそりとしていた。

 

海の近くだからだろうか、風が強く、

また小雪が舞うなか参拝をした出雲大社/いづもおおやしろは、

60年毎に行われる遷宮をほぼ終えて、

新装されたばかりということだったが、

虚飾の感じられぬ、さっぱりとした佇まいが美しかった。 

なだらかな勾配をもつ長い参道に、

石・木・鉄・銅と素材の異なる4つの鳥居がたち、

とくに左右に松の植えられた参道が印象的だった。

8世紀頃に記されたとされる歴史書「古事記」にも

記述のみられるという大社は、

時の経過とともにいっそう輝きをます、神話そのものだ。

 

庭園が名高い足立美術館では、

コレクションである横山大観日本画20数点や、

同地/安来市出身の河井寛次郎の陶芸作品、

また北大路魯山人の手掛けた器や調度に、

「細民の美食から大名の悪食までに通じていなくては、

一人前の料理人とはいい難い。」という魯山人節を楽しんだ。

徹底的に設計され整備された庭園は館内から鑑賞する大作品で、

郊外という立地も手伝って、都の寺院などでは望んでも得られぬ借景が

悠々と保たれているところが稀有と感じた。

 

宍道湖畔の城下町・松江では 、

城の内濠沿いに軒を連ねる武家屋敷と老松の並木が

美観をなす塩見縄手/しおみなわてや、

7代藩主で茶人でもあった松平不昧公/ふまいこうによって

1779年/安永8年に建てられ、後に移築された

茶室・明々庵/めいめいあんを訪れた。

厚いかやぶきの屋根に黄土色の土壁の

ゆかりの庵を目前にお抹茶をいただきたかったが、

早朝であったため喫茶の時間外ということで叶わなかった。

また、茶の湯とともに根付いている和菓子をお土産にと

楽しみにしていたのだが、銘菓といわれるそれらの多くには、

赤色2号・黄色4号・青色1号といった

着色料が使用されていたので、ひるんでしまった。 

不昧公の頃も、おなじように着色していたのだろうか。

県立美術館の閉館時間が一定ではなく、

日没後30分という、素敵な文化をもつ水の都は、

しっとりとした空気が心地よい、雨の松江だった。

 

県の最東端の美保関/みほのせきは、

江戸時代に多くの商船が往来した関所であった小さな港町で、

まるで時がとまったような鄙びた風情が新鮮だった。

高台にある美保神社は、

二柱/ふたはしらの神様を祀るため

本殿がふたつ並んでいる珍しい古社で、

森閑とした大樹に囲まれた、朗らかで美しい神社だった。

また、えびす様の総本宮でもあり、

えびす様である事代主神/ことしろぬしのかみは、

出雲大社大国主神/おおくにぬしのみことの息子なので、

両社を参拝することを親子参りというそうだ。

風が舞い雪が踊ったかと思うと太陽がふりそそぐ、

不思議な天の気だった。

 

宍道湖の南岸に位置する玉造温泉

湖へと注ぐささやかな玉湯川の両岸に旅館がならぶ

こじんまりとした温泉街で、歴史のある古湯ということだ。

8世頃に記され、ほぼ完全なかたちで伝承されているという

出雲国風土記」にも記述がみられるそうだから、

八百万の神々も湯あみされたかもしれない。

源泉59.4℃という低張性弱アルカリ高温泉は、

絹のようにきめが細かくなめらかで、

無色透明・無臭のさらさらとした湯ざわりが、心地よい。

はらはらと雪の舞い散る露天風呂では、

居合わせた各地からの旅人との一期一会の談話に

旅情が募るようで、とりわけ近畿特有の

はんなりとした語調が花を添えているようだった。

寒さに凍えた身体がぽっぽと芯から温まり、

挽きぐるみの出雲そばや、宍道湖のしじみ汁、

新鮮なお魚、鯛めしなどを美味しくいただき、

お水がよいところはお料理も美味しいと、感じ入る。

 

どこか、

原始の歴史をもつ矜持の感じられる、島根だった。

詩 ラピスラズリ

純粋さは

否定によって強化される

 

繊細すぎる君は

愛を忘れてしまう

 

あなたを想う独りの時間を

あなたに侵されたくない

 

とうたっている

 

動物でも天使でもなく

無邪気な子供のやり方で

 

青い嵐をおこす

 

わかっている

 

星の位置は

そのうち変わる

 

思い出す

 

生まれてきた

意味を知る

深川のお不動さん

1月の終わりころ、ぎっくり腰にはじめてなった。

朝起きしなに、物を取ろうと、

ほんのすこし前屈した瞬間に、激痛がはしった。

 

背中から腰にかけての鋭い痛みに、

しばらくの間、動けなくなり、

症状が落ちついてから、近所の整体院へ初診に伺うと、

「あぁ、それはぎっくり腰ですね、

 冬の朝に起こりやすいのですよ」ということだった。

 

ぎっくり腰は、

腰の筋肉の断裂・損傷・炎症などによる

急性の腰痛をさす俗称で、原因や症状は様々らしい。

幸い軽症で、数日安静にすれば、

1週間ほどで自然治癒するといわれて、ひと安心。

 

ところが、すこし良くなってくると、

眠る前の習慣のストレッチをして、

また左の股関節周りの筋肉を痛めたり、

すっきりしないまま、2月も中旬に。

 

小康状態には歩くと良いときいて、

先日は江東区門前仲町

深川不動堂の縁日と、富岡八幡宮の青空市へ行った。

 

門前仲町は、お不動さまと八幡さまのある寺町で、

東西に走る永代通り沿いの商店街/約400mと、

そこから北へ伸びるお不動さまの参道/約150mとに、

さまざまな露店が軒を連ねていた。

青果・乾物・惣菜・花木・生地・金物・雑貨など、

みているだけで楽しくて、足どりも軽やかになる。

 

ふと、お不動さまから八幡さまへ向かう道すがら、

ものすごくユーモラスな問答が聞こえてきた。

5~60代くらいの女性がおひとり、

深川不動さん、どこですか?」と道を訪ねると、

犬と散歩している土地のお兄さんらしき人は、

深川不動産?いやぁ、ちょっと・・?」と答えて、びっくり。

メトロの駅から出たばかりで方角がつかめないのか、

女性はもう一度「深川不動さん」ときいてみるけれど、

男性もやはり「深川不動産?」といって、

あたりをきょろきょろと見回している。

わたしは足早に通り過ぎてしまったのだけれど、

参道の目と鼻の先での、なんとも珍妙なやりとりに、

心のなかで大笑いしてしまう。

 

穏やかによく晴れた暖かい一日で、

陽射しには春の気配が満ちていた。

人々もどこか寛いでいるようにみえる。

ひととおり街を楽しんで、

徒歩20分ほどの帰路を辿りながら、

深川不動さん、どこですか?」

深川不動産?いやぁ、ちょっと・・?」

というやりとりを思い出すと、なんだか可笑しくて、

腰の痛みも和らぐような気がするのです。

詩 オレンジ

オレンジ色に

塗られたオレンジ

 

忘れてしまう

忘れてしまったことさえも

忘れてしまう

 

小さな雪の

降る朝に

 

オレンジ色のくちばしの

鳥が2羽

飛んできた

 

過去と未来は

現在とともに

形をかえる

 

花の精は

特別なときに

姿をかえる

 

花瓶のなかには

鳥のくちばしと同じ

 

おしゃべり上手な

オレンジ色のチューリップ

 

ぼくたちの背中には

みえない羽が生えている

 

翼をひろげて

風にのって

飛んでゆける

 

小さな雪の

降る朝に 

 

思い出す

思い出したかったことを

思い出す

酒粕とパン

寒い時期には、個性豊かな各種の

新鮮な酒粕が手に入りやすいので、うれしい。

 

たとえば、鍋ものやスープに加えると、

なんとも味わいに奥行きがますようだし、

ご飯を炊くときに加えると、

つややかにふっくらと、

ほんのり甘く炊き上がるので、不思議だ。

 

また板状のものは、素焼きをして、

塩とオイルをかけてクラッカーのように食べたり、

クリーム状のものは、

チーズと同様にパスタやリゾットに絡めて食べたりと、

様々にアレンジできるのも楽しい。

 

今年ははじめて、

酒粕からおこした酵母でパンをつくったが、

思いのほか簡単で美味しかったので、定番になりそうだ。

酒種酵母は、

酒粕:小麦粉または冷ご飯:水を、

割合1:1:2で混ぜ合わせ、3~7日間発酵させておこす。

酒粕が新鮮であるほど、

元気よくぷくぷくと、スムーズに泡立つので、

目には見えない微生物の営みを、

目のあたりにするようで感動的だ。

そのようにおこした酒種酵母120gと、

小麦粉300g、水100cc、塩小さじ1を合わせてしばらく捏ね、

艶がでてきたらクッキングシートのうえにひとまとめして、

蓋をした鍋のなかで半日ほど発酵させ、

およそ2倍に膨らんだら、加熱して出来上がりだ。

家にオーブンがないので、ホーロー鍋で30分ほど焼いたり、

もちもちにしたいときは20分ほど蒸して、調理している。

 

成形も二次発酵も省略した

どっしりとした素朴なパンだが、

夜寝ているあいだに発酵させて、翌日に火を入れると

2~3人分の朝食や昼食にちょうどよく、

素材の小麦や酒粕が味わい深いので、

オリーヴオイルと塩を添えて

シンプルに食べるのが気に入っている。 

 

日本酒を醸造する過程で産出される酒粕は、

なんて魅力的な副産物なのだろう。

酒を花に、粕を果実に、喩える蔵もあるそうだ。

 

節分を明日、

立春を明後日に控え、

豆まきや恵方巻などで縁起をかつぐように、

酒粕酵母のパンを仕込もうと思う、

2017年の2月2日だった。 

詩 いちご

きみが元気になるようにと

あなたからのおくりものの

 

赤いいちご 

 

わたしは

熱でほてった

身体をおこして

 

花束のような

宝石のような

 

あなたのいちごを

ほおばった

 

みずみずしく

そして

 

このうえなく

甘酸っぱい

 

なにより

あなたのやさしさを

映画の年2016

2016年は映画をよく観た。

 

数えてみると88本を観たようで、

年に数本という年もあることを考えると、

2016年は映画の年だった。

 

きっかけは、

自室にビデオデッキとブラウン管TVを設置し、

VHSを再生する環境を整えたことにある。 

いくつかのどうしても観たい作品が

VHSでレンタルされていたので、

時代に逆行するようで迷ったが、

一時的にと思い切り、リサイクル品を安価で入手した。

余命いざ知れずのビデオデッキと、

地上波に切り替わり行き場を失ったブラウン管という、

取り残され忘れ去られた機器のコンビが、

忘れ去られたかのようにみえる作品を再生する様は、

どこか甦りに似て、どきどきした。

 

念願がかない夢中で観た作品のなかで

とくに印象深かったのは、 

フランスの監督クロード・ソーテ、エリック・ロメール

ロベール・ブレッソン、ジャン・ルノアール

スウェーデンイングマール・ベルイマン

アメリカのロバート・アルトマンなどの作品群だ。

1960年代~80年代に制作された作品が多かったが、

いずれも時代を反映しつつも、

いまなお強度のある新鮮な輝きを放っていた。

簡単には到達できぬ

独自の高みにある監督たちが、すばらしい。

 

また、邦画では小津安二郎の作品をよく観たが、

独特のテンポと雰囲気に親しみを感じるとともに、

奥ゆかしい台詞や言葉遣いが新鮮でうれしかった。

 

 

ふと、昭和の数寄者・青山二郎の言葉を思い出した。

「高度の芸術に完備してゐる芸術の大衆性と

大衆芸術と謂はれる娯楽の大衆が喜ぶ魅力の相違・・」

 

映画に限らず、様々な表現に対しての、

一理のある見立てだ。

ときに両者を明確に区別することはむつかしく、

また善し悪しや好き嫌いとは別の問題であることが、

奥深く神秘的で、興味は尽きない。

 

映画はフィクションだけれど、

その体験はリアルなものだと確認した、2016年の暮れだった。

クリスマス

クリスマスになると思い出すことがある。

 

社会人になりたての頃の12月の或る夜、

学生時代からの友人たちと集まり

鍋を囲んだことがあった。

 

当時、西荻窪に姉妹と同居していた友人宅に向かう道すがら、

買い出しの袋をさげて、賑やかな商店街を歩いていた。

白い息をはきながら、何気ない会話をしていたのだと思うが、

「クリスマスだからといって、幸せな人ばかりではないよね」

と、一緒に歩いていた友人がふいに言った。

その言葉が、どこか天上的な響きを伴って、慈しみ深いようで、

なんだかとても印象的だった。

 

暖かい鍋を一緒に囲み、大いに語らい、

楽しい時間を共に過ごした友人たち。

 

今から15年近く前のことだけれど、

クリスマスになるとふと思い出す、魔法の言葉だ。

ローズマリー

ベランダのローズマリー

ひとまわり大きな鉢に植え替えた。

 

株分けから5年ほどたち、

どことなく元気がないようにみえたので

植え替えてみると、鉢の中でびっしりと

とても窮屈そうに根を張っていた。

乾燥や寒さに強く、手のかからない

ローズマリーの生命力旺盛ないでたちに対して、

その根が糸のように華奢であることを

はじめて知った。

 

また、自然にまかせるままに

アンバランスに斜めに伸びていた枝を

まっすぐになるよう角度を調整して植え直したので、

心なしかすくっと気持ちよさそうだ。

 

ローズマリーは、 

地中海沿岸を原産とするシソ科のハーブで、

スープやパスタなどの料理にはもちろんだが、

リンスやスキンローションの一部としても

みずみずしいそのエッセンスを分け与えてくれる。 

 

たとえばせっけんで洗髪したあと

指どおりをよくするため、

ローズマリーを漬けたお酢でリンスをすると

なめらかになり、ふんわりと仕上がる。

 

また、ローズマリーを煮出し

グリセリンを加えたローションは、

洗顔後の肌にさっぱりとなじみ心地よい。

冬季には、かぼすやゆずの種を浸水させた天然のジェルを重ねれば

乾燥にも効果的だ。

 

なにかとお世話になっているローズマリー

いつも今年もありがとうといいながら、

植え替えが終わったころにはすっかり日も暮れ、

藍色と橙色のいりまじった夕空がとても美しかった。

すると、青と赤のボディが印象的なイソヒヨドリ

すぐそばまでやってきて、ヒトを警戒するそぶりもなく、

ベランダのバーにしばらく留まっていた。

まるでローズマリーの木の精がお礼に来たような、

ささやかなうれしいひとときだった。

りんご

今年もりんごの季節がやってきた。

 

毎年12月に入るころ、

群馬の月夜野から収穫したてのりんごが届く。

箱をあけると甘酸っぱいなんともよい香りだ。

今年は9月の長雨の影響で、

形がいびつであったり、色づきが不安定であったり、

ところどころ傷ついたりしているが、

味はいつもと同じようにとても美味しかった。

 

できるだけ自然に栽培されたりんごたちの

厳しい自然条件をくぐりぬけた健気な姿に、

むしろ愛おしさはひとしおだ。

 

フレッシュなりんごを楽しみつつ、 

春頃から使用しているソーラークッカー/エコ作で

焼きりんごにすると、甘みと酸味が凝縮されて際立ち、

とびきり美味しく、また感動的だった。

冬の低い太陽高度でも、よく晴れていれば2時間ほどで調理でき、

りんごの他にもお芋類やスープ類、

すこし時間はかかるがお豆類などが、ほくほくに出来あがる。

12月の東京の安定した冬晴れは、

ソーラークッカー日和ともいえそうだ。 

 

りんごは、アダムとイヴの創世記の頃から、

現代ではApple社のシンボルマークに引用されているように、

どこか神話的で象徴的な果実だ。

赤いりんごを食べながら、

いまここに生きていること、

行く2016年と来る2017年のことを想う、12月だった。

クリスチャン・ボルタンスキー アニミタスーさざめく亡霊たち

美術作家クリスチャン・ボルタンスキーの

東京での初個展「アニミタスーさざめく亡霊たち」を

目黒の東京都庭園美術館で観た。

 

クリスチャン・ボルタンスキー/1944ーは

匿名の人々の生や死をモチーフとした

ホロコーストを連想させる作品群や、心臓音のアーカイブなどの

インスタレーション/空間芸術で知られるフランスの作家だ。

 

「アニミタス/小さな死」と題された本展は、

美術館として公開保存されている歴史的建築物との

コラボレーション的な展覧会という印象で、

本館/旧朝香宮邸に3点、

新館/ホワイトキューブに3点の作品が展示されていた。

 

往年はパブリックスペースとして機能した、優雅な大広間・

応接室・大客室・大食堂などが配された本館1階では、

観覧者があるポイントに接すると、センサーライトのごとく、

ランダムで脈絡のない音声によるセリフが流れ、

不在の存在を喚起させられるようだった。

「そのネックレス、本当によくお似合い」

「なんて言っていいかわからなかったから」

「わたしの声が、聞こえますか?」

などの30種のセンテンスが、

あちらこちらで立ち現れては消えていくさまは、

まさに「さざめく亡霊たち」だろう。

 

プライベートスペースとして設計された本館2階の

居間と寝室には、1984年以降作りつづけられているという

影絵を用いた不気味でユーモラスな「影の劇場」が、

書庫には、採集された心臓音が、赤い電球の点滅とともに、

規則的にときに変則的に大きく鳴り響いていた。

瀬戸内海・豊島/てしまのアーカイブからの12人の心音だそうだが、

現地では心臓音の登録/1540円もでき、

作家には巡礼地や聖地を、

また物語や神話を作るという意図もあるようだが、

それらのパロディとしての一面についても考察させられた。

 

朝香宮邸は、1933年/昭和8年に建てられた

華麗なアール・デコ/1925年様式の洋館で、

宮家の自邸として、首相官邸として、迎賓館として

時代ごとに遍歴を重ねた国指定の重要文化財でもある。

そのため展示方法に制限があり、

作家にとっては必ずしも仕事をしやすい場所ではないようだが、

条件と表現をユニークに融合させているところに好感をもった。

また、多彩な室内装飾にフォーカスした「アール・デコの花弁」展も

同時開催されているため、見どころは尽きなかった。

 

一方、写真家・杉本博氏をアドバイザーとして

2014年に新築された新館の2つのギャラリーでは、

古着の山を金色のエマージェンシー・ブランケットが覆う「帰郷」/2016年と、

その山を取り囲むように、

証明写真からクローズアップされた匿名の人々の目元を

薄く透ける白布にプリントし天井から吊した「眼差し」/2013年が展示され、

何かを告発しているようだったが、それが何であるかは重要ではないのだろう。

また、干し草/イネ科のチモシーが床の一部に敷かれ

その香りがたちこめるもうひとつの展示室では、

チリのアタカマ砂漠に600個の風鈴を設置した「アニミタス」/2015年と、

豊島の山中の森に400個超の風鈴を設置した「ささやきの森」/2016年が、

ヴィデオで再生されていた。

「地球上でもっとも乾燥しているから星座がはっきりみえる高地の砂漠なんだって、

風鈴はボルタンスキーが生まれた時の星の配置になっているんだって」

「へぇ~そんなこといわれても~笑」とキャプションを眺めながら

会話している女学生たちがキュートだった。

 

美術館を後に、隣接する自然教育園を散策し、

落ち葉でいっぱいの遊歩道を歩く。

さくさくと足音が響き渡り、

枯葉の濃厚な香りに包まれ、気持ちよい。

 

自然教育園一帯は、縄文時代中期に人が住みつき、

室町時代には豪族・白金長者が屋敷を構えたといわれ、

江戸時代には高松藩主/松平讃岐守頼重の下屋敷に、

明治時代には陸海軍の火薬庫、

大正時代には宮内省の白金御料地として、

歴史を重ねた土地であるという。

ボルタンスキーの「さざめく亡霊たち」ではないけれど、

もののけたちが住んでいても不思議ではないような豊かな森だ。

姿のみえない無数の野鳥の鳴き声がこだましていた。

 

鮮やかに黄色に染まったイチョウ

透明な秋の太陽をうけてきらきらと輝く

とりわけよく晴れた日の午後だった。

詩 イカロス

私が私の怒りを表現したいとき

私はそれに相応しい場所にいた

 

私が私の哀しみを表現したいとき

私が私の喜びを表現したいとき

 

私はそれぞれに相応しい場所にいた

 

因果は同時に存在している

けれど地上では

すこし時差があるようにみえている

 

太陽の光は8分18秒で地球に届く

 

私たちがより敏感に

今何を信じているのかを明らかにすれば

未来はみえる

 

進化にも

光と影があるのは

万物の法則のようなもの

 

人間の歴史がはじまってから

 

私たちが獲得したもの

私たちが失ったもの

 

人間の歴史の外で

 

受け継がれたもの

変容を遂げたもの

 

羽ばたいたイカロスは

 

太陽に焼かれたというよりは

己の情熱に焼かれたというほうが

正確なのかもしれない

 

そして未来は

今わたしたちの内にある

詩 ナナカマド

 

強い雨の音につつまれて

秋の虫の音につつまれて

 

時間がきえる

 

永遠の彼方に

閉じこめられて

 

読まれることを

待っている書物たち

また

書かれざる物語たち 

 

時なき時を

みつけては

 

夢の世界のように

唐突に

不可思議に

大胆に

 

それぞれの

物語をユニークに

うたいはじめる

 

昔話も

神話も

 

ホメーロス

シェイクスピア

 

聖書も

コーラン

 

矛盾や

不調和さえ

 

世界のうちでは

ハーモニーの一部となり

 

いにしえの 

神様同士の喧嘩のような

 

よどみのない

いきいきとした

 

喜怒哀楽に

彩られている

 

ナナカマド

秋の香り

 

カチカチカチと

秒針が

 

世界を一応

ととのえた